手向け

@shesuid

手紙

 初めてお便りします。一年間も一緒にいたのに、あなたに宛てて手紙を書くのは初めてのことです。こんなに畏まるのも、変な感じがします。もうすっかり寒くって、街路樹も骨ばかりのさびしい街並みです。でも枝ばかりの木々にも雪は白く積もるし、いずれ春が来て、また新芽が綻んで、街は緑に満ちるのです。春は花と草のにおい。そうして夏、なつかしい過去のまぼろしを、すべて陽炎のせいにします。頭を茹らすような蒸し暑さのせいにします。秋も冬も、春だって、正気でない言い訳を探せばいくらだって見つかります。全て世はこともなし、なにもかも問題なく、平穏、過ぎていくばかりです。わたしは取り残されるばかりだと思っているけれど、あなたにとってはわたしも、過ぎていくものでしたか。あなたはひとりきりですか。あなたがわたしのせいで孤独を感じていたら、少しうれしく思います。わたしはあなたのせいでさびしくて仕方がないのです。いや、これは話を盛りすぎたかな。あなたのせいもあって、がきっと正しいです。それはきっと、あなただけじゃなくて、わたしがこれまで好きになったひととものと、わたしの生来もつ気質と、すべてのせいですから。


 記名はしていないのだけど、わたしが誰かわかりますか。いや、わからなくていいんです。わかんないでしょう。うそです、ほんとはきっと、あなたならわかるんだろうなあと思っています。あなたのこれまでの恋人のなかで、こんなに字の汚い人間はわたしくらいだろうって、変な確信をしているのです。悪筆でしょう。ちゃんと読めているのでしょうか、これでもていねいに書いているつもりなのだけど。あなたにとって、この手紙を一字も読めなかったほうが、却っていいことかもしれません。こんなことをして、気持ち悪いと思うでしょう。こんな手紙、意味なんて、価値なんて、なにひとつないのだから、破り捨ててしまって構いません。未練がましい元恋人とか、最悪でしょう。ごめんね。もう好きな人はできましたか。恋人はいますか。やはりわたしはどうしてもあなたのことが気にかかってしまいます。わたしにはまた恋人ができました。わたしと同い年で、あなたとは似つかない、別種のかわいさをもったひとです。だけれどあなたとおなじに長い髪をしていて、彼女の髪を撫でるたびにあなたのことを思い出します。髪もあなたとおなじ色なんです。彼女のことはたしかに好きなはずだけれど、彼女をとおしていまだにあなたを鮮烈に思い出してしまいますし、わたしが彼女にむけているものが恋愛感情であるかはよくわかっていません。不誠実だと思いますか。これは弁解ですけれど(あなたの付き合っていたひとはほんとうに言い訳がましい人間ですね。ごめんなさい。)、彼女にはあなたのことも、ちゃあんとすべて言ってしまってあるのです。罪悪感に蝕まれて、ある夜にすべてを吐いてしまったのです。覚えていますか。三日月の夜です。あなたに告白をした、あの日みたいな、冴え冴えと白い、つめたい光をした三日月の夜でした。彼女の部屋のカーテンはラベンダーいろで、合わせのところがほの白く発光していたのを、あなたの部屋の窓辺とちがうのだと眺めていたのを、ハッキリと覚えています。


 わたしはあなたに恋をしていたのか、結局のところ別れるまでわかりませんでしたし、いや、別れたいまでもわかっているわけではないのです。わたしは永遠に、恋の何たるかを明確につかむことなんてできないのでしょう。ただ、今思うのがわたしは自覚していたよりずっと、あなたのことが好きだったのだということなのです。あなたのことはたしかに好きで、好きだからこそ別れを切り出したのですけれど。わかってくれますか。自分勝手なことを言っていることはわかっています。これはあなたには言ったことのないことですけれど、あなたなんか死んでしまったらいいとずうっと思っていました。あなたがわたしのことを好きなままで死んでしまったら、あなたはずっとわたしのものです。違いますか? わたしはそう思い込んでいて、いまもきっとそのままです。だから要するに、わたしがあなたと別れたのは、このままいるとあなたのことを殺してしまうと思ったからです。あなたは好きな人の首を絞めたくなったことがありますか? このひとが死んでしまえばと思ったことがありますか? ないのならば、わたしの言うことをあなたが理解できることはないでしょう。わたしたちはまったく別種の人間であったと、それだけの話です。理解しあえなくたって好きでいることはできるので、わたしのあなたへの好意にはなにひとつ変わりありません。断っておきますけれど、わたしは特段嗜虐趣味をもっているわけではありません。あなたが憎いわけでもありません。ああでも、これが憎悪でないということはできませんね。あなたが愛しくて、どうじにひどく憎いのです。でも、わたしはあなたの苦しむすがたを見ると、きっとじぶんまで苦しくなるのです。いや、どうかしら。あなたならば、かわいく思うこともあり得てしまうのかもしれません。ごめんなさい、わたしはわたしのことなんかなにひとつわからないのです。しかしながら、能動的に傷つけたいと思っているわけではけっしてないのです。


 つまるところこれは、あなたのことをいまだに好きである元恋人からの、弁解の手紙なわけです。いや、弁解というより、ただ書き出さないと気が狂うと思ったから書いたまでです。そんなものを送り付けられてあなたはさぞや迷惑していることでしょう。書いたまま死蔵しないで、あるいは破り捨てないで、あなたに送りなんかしたのは、あなたに許してもらいたかったためかもしれません。いいえ、違うな。許してもらわなくても構いません。許すことが忘れることであるならば、許してもらわないほうがよいとさえ、いまだに思っています。きっと、わたしの思っていたところをあなたに知ってもらいたかったのです。愛想を尽かされて別れたというほうがましでしたか。ごめんなさい。あなたには見せないように努力していたつもりなのですけど、わたしは自分勝手で臆病者で、そのくせそんな自分に酔っている、どうしようもない人間なのです。だけれど、たしかにわたしはあなたのことが好きでした。これは本当に。あなたとあなたの好きな人が、どうか幸せでありますように。それと、あなたがわたしのことをずっと忘れないで、すこしだけ、さびしく在り続けますように。 


 それでは、どうか、お元気で。




 私はそう綴られた便箋をもとの通りに畳みなおして、封筒へと仕舞いこんだ。元恋人への、おそらく最後の手紙であるわりに字は乱雑でととのわず、畳まれた便箋の端と端は合っていなかった。それを見て私が一番に思ったのは彼女らしいということであった。

「殺しに来てよ」

私はそれだけルーズリーフに書き殴って、ライターで火を点けた。彼女のものだ。彼女が煙草を喫むときに使って、私の部屋に置いていったもの。廉価なライターはなくすたびに簡単に買い替えられて、部屋に溜まっていく一方だった。どうせ彼女は私を殺しには来ない。手紙にもあるとおり、彼女は臆病者なのだ。ひどい女だと思った。どうしようもないやつ。私はこのどうしようもない女を受け入れる女が、私以外にもいるという事実を憎んだ。女を籠絡することの得意な女だ。飄々とした立ち居振る舞いと華はないが整った顔だち、思いのほかに不器用なしぐさ。私のような、ある種の人間にとってはどうにも気にかかってしまう女だった。だから、すべて無意識のうちにまた私と同じにばかな女を誑かしたのだろう。ばか。もっと賢くなれ。こんな女を好きになるな。こんな女、どうせおまえを不幸にしかしないのだから。私は見も知らぬ女に毒づきながら、送りつけられた手紙をゆびさきで撫ぜた。かすかに柔軟剤の香りがした。私の使っているものとはちがう、きっとなにか花の香りだった。しかしそれもすぐに、有機物の燃える匂いにかき消された。

 彼女からの手紙は抽斗の奥ふかくに仕舞った。記憶の奥底に封じ込められないそれを、せめて物理的には仕舞いこめたようにするためにだ。手紙のなかで、彼女は散々自身を未練がましいと形容していたけれど、私も同様であった。きっと私のほうがむしろ粘着質である。彼女は私のことなんかすぐに忘れて、いまの恋人のこともすぐに忘れて、そうして結局のところひとりで生きていくのだろう。憎いと思った。 

 彼女が私を殺してしまったならば、彼女の記憶のなかで、あるいは経歴のなかで、一生消えることのない傷になっただろう。私は彼女を、実際はどうあれ、女を捨てることにたいした感慨も抱かない人間であると評していたけれども、さすがに一人の人間を殺すともなると、相応の罪悪感情はもつはずである。それは否が応にも私のことを思い出させるはずだ。彼女が私を殺すことで独占しようとしたように、私も彼女に殺されることで彼女の一部を独占できたと思う。殺したいと手紙を送り付けるくらいならば、どうして彼女は私を殺してはくれなかったのだろう。私を害する機会はいくらでもあったはずである。実行もできないのならば口にすべきでない。私みたいに黙り込んでいろ。 

 私はみずからの首筋に手をあてがってみる。皮膚のしたのやわらかな隆起は血管である。いまだあたたかいそれは、ハッキリとわたしのてのひらのなかで脈打っている。憎い体温、憎い脈動であった。すべてなくなってくれたらいい。彼女が私のものでないならば、私も彼女のものでありたくなかった。生きているかぎり、私は彼女を忘れることなんかできやしなくて、永遠に捕らわれつづけるような予感がしている。せめて彼女といるうちに、彼女の眼前で自殺でもしてやるのだった。意気地なしの負け惜しみである。ぎゅうと手に力をこめてみると、ごく軽微な頭痛と、唇に血の集まる感覚だけがあった。それだけである。

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