epilogue

epilogue 2年後

 俺たちは大学2年生になった。



 しゃーしゃーしゃー、と蝉の声がうるさい8月の中頃、ちょうどお盆の時期のこと。俺は花と桶を持って坂道を登っていた。

 今年はどうやら酷暑らしい。気温は35度を超え、熱されたアスファルトの上には陽炎が揺らめている。うんざりするくらいの暑さにバスが目的地まで通ってないことに悪態を吐いた。確かに一般車が多く通る道であるし、バスが通るのが難しいということもわかる。だが、この時期にちょっと小高い丘、あるいは背の低い小山を昇らせるのは酷だろう。


「あー、くそ、あちー」


 しかし文句を言ってても仕方ない。便利な馬車が現れるわけでもなし。桶を置き、空いた手を使ってハンカチで額を拭うと、また歩き出す。

 すると、目に痛いほどの日の光の中、見慣れたシルエットが現れた。


「和治さーん」


 俺の名前を呼ぶ彼女は鹿苑——いや茉莉花だ。

 今日は全体的に白でまとめているようだ。袖が短い白のワンピースに黒のラインが入った限りなく白に近いベージュの日傘、そして黒い手提げを持って立っている。服にアクセントがなくて寂しいが、それはそれでまとまっているのでよく似合っていた。

 茉莉花は家の、つまり鹿苑家の用事を済ませてからここに来る手筈となっていた。どうやら少し待たせてしまっていたようで、俺は茹だる体に発破をかけて駆け寄った。


「悪い。待たせたか?」

「いいえ、それほどは。ちょうど自動販売機ので飲み物を買って来ることのできるくらいの時間です」


 そう言って手提げから差し出されたのは一番小さいボトルのスポーツドリンク。ありがたい。ちょうど倒れそうな心持ちだったころだ。

 「お花を受け取りますね」と言ってくれた茉莉花に花を渡して、俺はスポーツドリンクを受けとる。

 すぐさまキャップを開けると一気に喉に流し込んだ。

 茉莉花が言う。


「そんなになるまで辛かったなら、一緒の車に乗ってくれば良かったのに」


 実を言うと、茉莉花と一緒に車で来ることは提案されていた。茉莉花ではなく、彼女のお父さんに。ただ鹿苑家の大事な用事があったし、わざわざ俺を拾ってもらうのも面倒をかけると思って俺が断った次第だ。

 

「『私の申し出を断るとは良い度胸だ』なんて言ってましたよ?」

「ほんとか?」

「また後日、良家に相応しい人間になるための英才教育に呼びつけられますよ。お父さんは和治さんに色々教え込むのは楽しいみたいです」

「…………愛娘に寄り付いた悪い虫を退治するという意味で?」

「違います。叩いて伸びるあたりが好きみたいです。和治さんってお父さんに結構気に入られてるんですよ」


 茉莉花と交際していることを彼女の父に報告してからと言うもの、茉莉花の父はどうにも俺をほうぼうに連れ出すことが多かった。茉莉花曰く、鹿苑家の子女が与えられる教育をそのまま与えられているとのこと。どうやら茉莉花との交際関係は全面的に認めてくれているようで、茉莉花の実家との関係性はそこまで悪いものじゃない。


「お父さんとしてはもう私と和治さんを婚約させたいみたいですけど。対外的にもその方が良いですからね」

「茉莉花としてはどうなんだ? やっぱりしてた方が安心か?」

「いいえ。だって今更そんなことしたって私と和治さんの関係性は変わらない。そうでしょう?」


 薄く微笑みながらの問いかけに俺は「違いない」と笑う。

 俺と茉莉花の付き合いが始まって、もう2年だ。たった2年と人は言うかもしれないが、俺たちにとっては十分過ぎる時間だった。エゴとエゴのぶつけ合い。限りなく醜い心を曝け出しあった俺たちの関係性が揺らぐことの方が難しい。俺は茉莉花を離さないし、茉莉花は俺を離さない。そう言い切れるだけの深くて強い関係性が出来上がっている。

 そして、そんな関係になれたのはあいつが居てくれたおかげだ。

 俺は空になったスポーツドリンクのペットボトルを捨てる。それから茉莉花から日傘を受け取って、2人で同じ傘の下に入って歩く。

 ここは墓地だ。お盆の墓参りのために俺たちはここにやってきた。

 誰の墓参りかなんて言うまでもない。

 恋鐘愛。俺と茉莉花にとっては忘れられない親友のだ。

 あの遠回りに遠回りを重ねた告白の後、恋鐘はあっという間に亡くなった。

 その喪失感は大きく、これが恋鐘が味あわせたくなかった悲しみなんだなと遅ればせながら痛感する。

 ただそれでも俺は恋鐘がキューであると知ることができて、全てを詳らかにして想いを聞くことが出来てよかったと心の底から思っている。

 胸にぽっかり空いた穴の大きさは俺が恋鐘のことを大事に思っていたことの裏返しだ。そんなあいつを見知らぬうちに失っていたことは決して看過できないことだった。

 茉莉花も恋鐘のことを大事に思う気持ちは同じだ。恋鐘が亡くなった後の落ち込みようは寄り添うこちらが傷つくほどで、今でも強く記憶に残っている。

 自分を蔑ろにしてまで俺の幸福を願った恋鐘は自分の死で俺たちが傷つくのを許せなかった。

 だがその傷は俺が遥昔に得た傷と違って悪いものじゃない。何故ならその傷は俺達が友であったことの確かな証明だからだ。友達を思う証明が悪いものであるわけがない。

 恋鐘愛がくれた贈り物と傷と共に俺たちは生きていく。それを確かめるために、毎年お盆になると恋鐘の墓参りに行くようにしている。 


「よう、恋鐘。また来たぜ」

「お久しぶりですね。あちらでお元気だと良いのですけど」


 『恋鐘家之墓』。そう掘られた墓石にそう呼びかける。勿論返事はないが、これは気持ちの問題だ。親友と会うのに挨拶もないのは、寂しいだろう。

 挨拶も早々に俺は鹿苑に花を任せて、桶に水を汲んで来る。

 墓石に水をかけ、濡らした雑巾で拭いていく。それから古い花と水を捨て、花立に改めて水を注いで新しい花を挿す。

 まだ来ていない恋鐘の家族にここまで掃除をしてしまうと申し訳ないだなんて思ってしまうくらいに心を込めて掃除をする。

 墓の掃除の程度なんて分からない。大体やれば綺麗だからな。細かな汚れは分かりにくい。だから自分の心が満足するまでやりきることにしていた。

 最後の気になった部分を拭き取る。それから雑巾を絞り、残った汚水は道路の側溝に捨てると、俺と鹿苑は恋鐘の墓の前に寄り添い立った。

 

「2年が経ったな」

「えぇ、あっという間でしたね」


 俺が付き合ってから2年の時が過ぎた。つまり恋鐘の死から2年が経ったわけだ。

 あれから多くの事があった。楽しいこともあったし、悲しいこともあった。互いに名前で呼び合えるようになって、違う大学に行く寂しさを埋めるように2人で楽しい時間を目一杯過ごして、時にはすれ違って喧嘩もした。だが、それでも俺と茉莉花は共にいる、居続けている。

 恋鐘が教えてくれたエゴとエゴのぶつけ合いが俺と茉莉花を強く、強く結び付けてくれている。

 ろうそくを立て、俺達は線香をあげた。

 手を合わせて、目を瞑る。

 恋鐘の告白から恋鐘が亡くなるまでの5日間。俺と茉莉花と恋鐘は嘘もなく、隠し事もなく、複雑な間柄でありながらも短い時を過ごした。俺や茉莉花は楽しく過ごせたと思っているが、恋鐘の心は分からない。あいつは誤魔化すのが上手いから、ほんとは嫌がっていたかもしれない。

 だから俺は信じている。告白をした後のあいつが自分自身のエゴを隠さず、さらけ出してくれていたことを。

 祈りを込めた合掌から俺は瞼を持ち上げる。

 目の前に鎮座する墓石は8月の太陽に照らされてもうすっかり乾ききっていた。

 


 茹るような暑さ。焼けつくような空気。ぎらつく太陽。

 来年もまた、この場に立つことに思いを馳せて、今度は車で送ってもらおうなんて俺は考えるのだった。



 

 

 

 

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