ep.04 雨降って、地固まる

 ――シャッター音が聞こえたような気がした。



「んん……」


 瞼越しのオレンジの光が不快で俺は目を覚ました。

 一体何がどうなってる。とりあえず体を起こそうと全身に力を入れる。


「い……っ」


 痛みが走った。具体的には背中を中心に頭と腰、太もも辺りにも。まるで何か植物の根が張っているかのような痛みだった。

 それでも痛みに耐えながら俺は体を起こすと、白い掛け布団が上半身から落ちた。叩いてみるとやや堅い感触。多分保健室のベッドだろう。

 なんでだ。首を傾げていると、直前のことを思い出した。

 そうだ。俺は階段から落ちたんだった。


「やっと起きたわね」

「こ、恋鐘?!」


 ベッドの左側から声が聞こえて、初めて丸椅子に座る恋鐘に気が付いた。


「一体何があったんだ?」

「階段から落ちた貴方を見て半狂乱になった茉莉ちゃんが泣きついて来て、アタシが先生とか呼んでアンタを保健室に運んでもらったってわけ」

「今、何時だ?」

「5時前、もう授業はとっくに終わってるわよ」


 それから「頭が痛いとか、気持ちが悪いとかないわよね?」と聞いてきたので、それに俺は頷いた。

 そうか、そんなことがあったのか。記憶が途切れた後、そんなことが……

 鹿苑に心配かけちゃったか。

 そう思った時、俺は傍と気づく。

 

「鹿苑は?! 鹿苑はどうなったっ!」


 泡を食った俺は恋鐘に噛みつくように問うた。彼女はそんな俺の右足の方を指さした。

 其処には恋鐘と同じ丸椅子に座りながら、ベッドに突っ伏す鹿苑がいた。明らかに無理な姿勢で、頭が腰よりも低い位置にある。よく寝られるな。


「さっき泣きついて来たっていったでしょ。無事よ、アンタが庇ったおかげでね。今は泣き疲れて眠ってる」

「そうか、良かった……」

「大変だったのよ、色々」


 その大変の内容を問うてみても、恋鐘は首を振るばかりで教えてはくれなかった。ただ恋鐘の疲れ切った表情から色々あったのだろうなと推測できる。

 しかし寝顔か……いけないと思いつつも、目が離せなくなる。ほっそりとした面に、透き通るような白い肌、黒い髪がとかかったその寝顔には思わず背筋がぞくりとした。魅入られる、とはまさにこのことなのだろう。隙だらけで無防備な姿が生む妖しさは俺をすっかり虜にしていた。


「寝顔を撮るんじゃないわよ」

「撮らねーよ!」

「ふんっ、どうだか」


 恋鐘の横紙破りに俺は反射的に大声を出して反駁する。そのせいで鹿苑が身じろぎをした。


「ん、うぅ?」


 何 そ れ 可 愛 い。

 なんとも言い難い呻き声を上げて目を覚ました鹿苑は、そのまま大きく伸びをすると腰に手を当て体を逸らし、腕を引っ張り体を解す。というありふれた音が彼女から鳴ったのにドキドキした。

 そして焦点の合っていない目を鹿苑に合わせて、


「愛さん、おはようございましゅ」


 などと言う。萌え殺す気か?

 恋鐘はやや硬い声で、


「はい、おはよう。それでそのまま視線をこちらにスライドスライド」

「スライド?」


 ぽけーっとした鹿苑の視線が恋鐘の手ぶりに合わせて動く。動いた視線の先にいるのは俺だ。

 鹿苑はしばし気の抜けた顔で俺を見ていた。それからだんだんと目の焦点が合っていくと、みるみるうちに顔を赤くして、


「~~~~~~~~っ!」


 声にならない悲鳴を上げた。


「愛さ、これ、ど……ね、寝顔を見られ……!」

「いやアンタだってコイツの寝顔を見てたでしょ。おあいこよ、おあいこ」

「いや、俺のは厳密に言えば気絶顔だろ」


 口答えすると鋭く睨まれた。おお、怖い怖い。


「ちょっと、でも、これぇっ」

「情けない声出してないで、まずはコイツに言うことあるんじゃないの?」


 苛立たしさを隠さずに恋鐘は鹿苑に行った。

 言うこと? さて何かあったか?


「えっと、その……」


 鹿苑は所在なさげに視線を泳がせた。髪を一房いじり、目を伏せるとしばらくしてから意を決したようで、やや意気の入った口調でこう言った。


「助けてくださって、ありがとうございます!」


 助け……あぁ、そういうことか。


「えーと、まぁ、そのなんだ。鹿苑に怪我がなくて良かったよ」

「はい! 怪我はないです!」


 なんかずれてんな? まぁ、元気そうだからいいか。

 

「…………」

「…………」


 気まずい沈黙が俺達の間に流れた。そりゃ、これまでまともに話したことがない同士で間をつなげと言う方が無理である。

 とはいえこのぎくしゃくとした空気を打破するだけの気力はないわけで……こういう気まずさすら俺にとっては好きな相手と関われる数少ない機会で嬉しかったのだ。

 だからこの沈黙を打ち破ったのは鹿苑だった。彼女は視線を左にずらし、何やら驚くような、怒ったような表情をすると、咳払いをしてこう言う。


「今週の土曜日、お礼をさせていただけませんか?!」

「お礼? いや、そんなもの――」

「――させてください!」


 前のめりになって鹿苑が距離を詰めてきた。顔が近い。こちらの目を真っ直ぐ見て来る。なんというか、気迫が凄かった。「お、おう……」とたじろいだ返事をするしかないくらいには。いわゆるクールビューティな平素な彼女からは想像できないくらいに目をギラギラさせていて、鼻息が荒い。こう言うのが正しいのか分からないが、情熱的、もしくは倒錯的と言えた。

 それから鹿苑はこちらの戸惑いなんか無視して、と生真面目なアンドロイドのように立ち上がり、


「じゃあ駅前の噴水に14時で!」


 とだけ告げて、こちらの返事も待たずに走り去ってしまった。

 まるで嵐のようだった。もしくは暴走機関車か。あまりにも俺の知らない、淑やかな少女像の鹿苑の一面に、何かイケナイものを垣間見てしまったような気がして座りの悪さと少しばかりの興奮を覚えた。


「……良かったわね、デートよ、デート」

「デ……ッ?!」


 恋鐘の茶化しに頬が火照るのが分かった。


「デート、なのか?」

「馬鹿ね、年頃の男女が一緒に出掛ければそれはデート。『アオハル!』にも書かれてるんだから」

「なんだ、それ」

「少女漫画」


 ほんと好きなんだな、お前な。


「っていうか、何? なんで壁ドンしなかったのよ、この腰抜け」

「あん? っていうか普通の人間はしねーよ! あんなもん!」

「壁ドンで胸キュンが王道なのよ、王道!」

「それは少女漫画だろーが!!」

「あー、もう! 助けられている身分で文句言わない!!」


 ぐ……それを言われると弱い…………


「はぁ……まぁ良いわ。あの娘のおかげで目的は果たせそうだし」

「目的……?」

「あん? 忘れてんじゃないわよ、当事者。チョコよ、バレンタインデーの」


 あぁ! 色々ありすぎてすっかり忘れてた。っていうか、さっき十分に鹿苑とコミュニケーションとれたから結構満たされてて、どうでも良くなってる。

 でも、なんでだ、なんでチョコがもらえるんだ?

 俺は鹿苑に言われた言葉を思い出す。

 今週の土曜日にお礼……今週の土曜日といえば、2月14日――バレンタインデーの日だ。

 つまり、


「バレンタインデーデートって、ことか?」

「そういうことね」


 ということらしかった。

 雨降って、地固まる。当初の目的からはずれたが、大勢は誤っていない。とはいえ、とはいえだ。

 

 え、あぁ……どうすりゃいいんだこれ?

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