ep.03 恋愛相談

 結局、今日は一日中落ち着かなかった。時計の針と睨めっこ。秒針の進みすら遅く感じた日の帰りのホームルームが終わる。

 

「それでは皆さん、寄り道せずにお帰りください」


 生真面目な教師がお堅い口調でそう言った。相も変わらず面白味がなく、何を考えているのかよくわからない先生だ。良く言えば真面目で不祥事を起こさない良い教師なのだが、悪く言えば人間味がなくてだいぶ不気味。どことなくとっつきにくいんだよな。

 帰りのホームルームの後も生徒と話し込むことなく粛々と帰っていく。何処までも態度は機械的で、アンドロイドと言われた方がまだ納得できるというものだ。

 生真面目な教師が荷物をまとめて教壇から去ると、堰を切ったような喧騒が教室を満たした。約8時間の拘束時間。解き放たれた学生は1日の鬱憤を払うように自由を謳歌する。

 俺の右隣の席からは椅子を勢いよくずった音がした。頭のネジが外れた女子高生、恋鐘愛がそそくさと荷物をまとめて立ち上がった音だった。

 恋鐘は立ち去り際に、


「じゃ、また後で」


 などと言い残す。顔がドヤってやがった。すっげー、むかつくッ。自業自得ではあるが。

 左隣の相沢は相沢で興味津々に聞いてくるし。


「なんかあるの?」

「あ゛?」

「えぇ、なんでキレられてるの僕……」

「いや、すまん。マジですまん」


 完全な八つ当たりだ。相沢は事情を知らないからしょうがないのに。

 いや、だが、それでも触れられたくないことに触れられた俺の気持ちも理解して欲しい。こちとら昼休みから自己嫌悪で死にそうなんだ。


「はぁーーーー」

「どうしたのさ、深いため息なんかついちゃって」

「その、なんだ。まぁ、色々あるってことだよ」

「なに、その曖昧な感じ」


 相沢は微かに笑う。いちいち鼻につく奴だ。ただもし仮にコイツが美少女だったら、惚れちゃってたかもしれない。おそらく男である俺にとっては癪に触る振舞いかもしれないが、女子にとっては違うのだろう。立場が変われば、見方が変わるもんである。


「惜しいな」

「何が惜しいのかわかんないけど、ものすごく変態チックなことを考えてるのはなんとなくわかった」


 不満気な顔をする相沢。不機嫌顔すら絵になるイケメンを適当にあしらって、俺は立つ。片手で開くのはスマートフォン、そのアプリ。コミュニケーションアプリ、Cルームだ。そしてトーク履歴の一番上には、友達登録したばかりの奴の名前がある。


「あ、今日カラオケいかない? ちょうど新曲入ったんだよね」

「悪いな。用事がある」


 俺を誘う親友に見せつけるスマートフォンの裏側。俺から見た表側——つまり画面側では件の奴とのトーク画面が開かれている。そのトークは奴からのこんな一文で締められていた。


『放課後、校舎裏で』

 



 さて校舎裏は校舎裏で良いのだが、問題が1つあった。


「校舎裏って言ったってどの校舎だよ」

 

 我らが青石せいせき高校の校舎と呼ぶべき棟は3つある。1つは教室棟、2つは教室棟と垂直になるように併設してある特別教室棟、そして3つが運動場を挟んだ向こう側にある職員棟だ。そしてそのどれもに『裏』と呼ぶべき領域があるのだから厄介。単に『校舎裏』と指定されても分かりはしない。

 転校生だから仕方がないとは思う。校舎の事情なんて知らないだろうし。責めるのはお門違いだろう。

 だが、放課後にリプライ送っても返事が来ないのはどういうことだ?!


「くっそ、アイツ、自分から言っておいてこの仕打ちか」


 とにもかくにも拘泥していたところで仕方がない。校舎裏って言ったら、まぁ教室棟の裏だろう。オーソドックスに。

 と思った俺が馬鹿だった。


「いねぇし」


 教室棟裏に来て、開口一番。

 なんでいねーんだよ。普段使う教室棟の裏ってのが普通じゃねーのか。いや、まぁ、転校生だから普段使う意識ってのがないだろうから、それはそれ、文句を言うのは酷というものか。

 スマホを見る。未だに返事は来ていない。


「ったく、そんじゃ、特別教室棟かね」

 

 教室から出てすぐに行く校舎裏と考えれば、教室棟と併設されている特別教室棟に行く可能性は十分にある。

 というわけで教室棟の校舎裏を――表現としてあってるのか?――真っ直ぐ進み、教室棟と特別教室棟の角を曲がる。


「おーい、おくれt――」


 曲がった先に待ち人はいなかった。あったのは薄暗い空間、ただそれだけだ。

 

「ちぃ――ッ」


 躊躇わず大きく舌打ち。静かな特別教室棟裏に大きくそれは響き渡る。

 いないんかい。じゃあ、何だ? いるのは一番遠い特別教室棟ってか? なんでわざわざ遠い方に行ったんだ! わけがわからんっ。

 そして反射的にスマホを見る。返事はない。

 これもうぶち切れて良いよな?


「あぁもうなんだよなんだよ頭のネジが外れてるから常識まで欠落してるっておちかとにかく返事くらいしてくれよもぉぉぉぉッ」


 あぁ、くそっ、苛つく奴だ。何より苛つくのはそんな奴に頼らなくちゃならない自分自身だ。

 情けない。情けないが、どうしようもない。目的のためならば、手段は選ばない。選ぶなんて贅沢ないんだから。

 若干の速足で俺は職員室棟裏を目指す。走りはしない。だってあっちだってこちらのトークを無視しているんだ。こちらが骨を折るのは違う気がする。


「…………」


 いや、でも待たせてるのは事実だしな。トークも気づいてないだけかもしれないし、無視していると考えるのは早計だ。自分勝手とも言える。だからトークの返事がないことを理由に怠けるのは聊か問題があるような気もしてきたぞ。

 逡巡すること約3秒。

 結論は出た。


「ええいっ」


 一歩踏み込み、前へ進む。それから前傾姿勢となって、腕を前後に振った。

 全力疾走。結論として導き出されたのは、つまりはそういうことだ。これ以上、待たせるわけにいかない。その後ろめたさを無視はできなかった。

 50m6.8秒のそこそこな俊足で特別教室棟裏から一気に運動場へと駆け抜ける。すれ違う生徒から奇異な目で見られた。まぁ、制服かつローファーで全力疾走なんて普通はしないよな。奇異な目も当然だ。俺だって何があったのか目を見張るだろう。俺の場合はふたを開ければ拍子抜けするような理由だが。

 風を切り、走っていけば職員棟なんてあっという間。ぶつかりそうになった教師には適当に謝罪して、職員棟裏へ飛び込んだ。


「悪ィ、遅れた!」


 あんまり謝意を籠められなかった謝罪と共に、俺は待ち合わせを約束した奴の前に躍り出る。

 待ち合わせの約束人は若干明るめな髪色で校則破りのミニスカートな恋鐘愛。転校早々恋愛相談を募集する頭のネジが外れた転校生だ。

 遅れた俺は恋鐘からの罵倒くらいは覚悟していたのだが、しかし身構えていたようなことは起きなかった。

 何故ならば、恋鐘は黙々とスマホで何かを見ていたからだ。スマホを持つ右手の親指が左から右へフリックをしているところを見ると、見ているのはおそらく無料漫画アプリ。最近流行りで、多くのアプリが乱立する新進気鋭のビジネス分野である。

 別に漫画アプリで漫画を読んでるのは良い。待たせたのは俺だし、暇つぶしに漫画を読むことだってあるだろう。

 問題なのは、


「お前、スマホ見てんなら返事よこせよ!」


 スマホを見てたなら俺からトークが来てるのも分かっているはず。だというのに、こいつは返事をよこさなかった。つまり無視したってわけだ。

 むかっ腹を立てる俺に、しかし恋鐘はこともなげに言ってのけた。


「ん、遅かったわね! 待ちくたびれちゃったじゃない!!」

「待ちくたびれたじゃねえよっ。だったらきちんと場所を送ってくれ」

「Cルームのこと? めんどくさかったから無視したわ!」

「そんなこと堂々と言うなっ、この常識知らずの転校生め」

「しょうがないじゃないッ。この漫画が面白いんだから!」


 鬼気迫る表情で恋鐘は俺にスマホの画面を見せつけてくる。其処に映っているのはイケメンが女子高生に迫られているのが一番に飛び込んでくる漫画の1ページ。絵柄で分かる。少女漫画だ。

 半目で俺は、


「ちなみにどんな漫画なんだ?」

「10年くらい前の少女漫画ね。久しぶりに再会した幼馴染が恋愛する話。面白いわよ。アンタも読んでみたら?」

「いいや、遠慮しとく」

「男子だからって恥ずかしがらなくても良いのに」


 にやにや笑いで揶揄ってくる恋鐘。本当にいちいちムカつく奴だな、こいつはっ。

 仕切りなおす意味で咳払いすると、俺は本題を切り出した。


「もう色々良いから、とにかく本題だ。忘れてないだろうな?」

「当たり前じゃない。このアタシがそんな大事なことを忘れるわけないでしょ」


 (ムカつく)得意げ顔に恋鐘はなると、『ズビシィッ!』という擬態語が似合う鋭さで俺に人差し指を突きつけると言った。

 

「恋愛相談。やっぱり私の言った通りになったじゃない」


 自信満々な恋鐘を前に、俺は歯噛みする。

 鹿苑への恋心。悔しく、そして情けないことに俺はこの悪魔の手を取った。これでも結構迷った方だった。最初に持ち掛けようと思ったのは恋鐘の自己紹介直後。結局、午前中悩み続けて、トークを送ったのは昼休みのことだった。

 恋愛相談を持ち掛けられた時の恋鐘のにんまり顔は忘れられないくらいムカついたことは言うまでもない。


「それでそれで? アンタが恋してる理由ってのは誰なのよ。教えて見せなさいよ。言わなきゃ恋愛相談にならないわよ?」


 恋鐘はによによ笑いながら、俺を肘で突いてくる。

 相談を申し込んでから覚悟はしていたが、改めて聞かれるとくっそ恥ずかしいなこれ。親友である相沢に告白するのとまた違う。初対面の誰かに伝えるには強い覚悟が必要だ。

 息を深く吸い、肺を膨らませる。全身に酸素を行き渡らせて、活力をみなぎらせる。活力に満ちた自分になって、弱気な自分を追い出すと俺は告げた。


「鹿苑茉莉花。それが俺の好きな人だ」

 

 うぉぉぉぉぉっ、言った。言っちまったぞ、俺! 顔が熱いのを自覚する。嫌な汗が滲んでいるのを知覚する。これがカミングアウトの衝撃か。恥ずかしさで死にそうになる。

 内心では滅茶苦茶焦りまくっている俺に対して、打ち明けられた恋鐘は意外なくらい冷静に呟いた。


「鹿苑茉莉花。綺麗な黒い髪の女の子だったよね」

「あぁ、そうだ。間違いない」

「そういうのが好みなの?」

「別にそういうんじゃないが、なんだろうな」


 そうだ、好みのタイプとかそういうのじゃない。

 

「始まりは1年前のことだった。下校してる時にさ、彼女がおばあさんを助けてるのを見たんだ。それからだったな。以降、彼女が人助けをしてるのを見たんだ。だから、そのなんだ。俺が彼女を好きになったのは、つまりはそういうところだよ」


 気恥ずかしい内容が不思議なくらいすらすらと口から飛び出した。其処には既に好きな人を言っているから今更だという投げやりな感情が半分と、彼女を好きに思う理由には誠実でありたいという手遅れな思いが半分ずつある。

 しかし今のは明らかな自分語り。恋鐘のことだ。馬鹿にされることはないにしろ、なにかしらのお小言はもらう気がした。

 恋鐘の様子を恐る恐る伺う。だが、彼女の様子は俺の予想と反する様子だった。薄く、柔らかい微笑を浮かべ、小さく彼女は呟いたのだ。


「……そっか」


 そう呟く声色は妙に優しかった。さながら別人のような、そんな声色だった。


「恋、鐘……?」


 あまりにもこれまでと違う彼女の様子に思わず呆けた顔で名前を呼ぶ。何かしおらしくなるような事情が、ある……のか?

 

「ん、何よ。そんなバカみたいな顔して」


 …………。

 違った。俺の気のせいだった。こいつは恋鐘愛。転校初日に恋愛相談を募集するような奴なんだ。裏に何か事情なんてあるものか。ただ単に恋鐘の恋愛脳に何かが引っかかっただけだろう。

 恋鐘はすっかり調子が戻った様子。上機嫌になって、謳いあげる。


「いいじゃないいいじゃない。若干擦れた感じの男子高校生と淑やか系お嬢様女子高生の恋愛。漫画にしたらよい話になりそう!」

「おいおい、こっちは割と真面目にお前に相談してるんだが」

「わかってるわよ! きちんと相談内容はこなすわっ」


 自信満々に恋鐘は言い放つ。彼女の頭のネジは外れている。けれども、その外れっぷりと自信満々さが今はとてつもなく頼もしい。

 極めつけに恋鐘愛は今日をこう締めくくった。


「アンタの恋愛、必ずハッピーエンドに導いてあげる!」







 かくして俺と彼女の、そしてこの場にいない彼女の恋物語が幕を開けた。

 しかし、思えばこの時に俺は気づくべきだったのだ。これから始まる、否、既に始まっていた恋物語に。

 忘れられない高校2年の冬。それは恋鐘愛が転校してきた2月8日から始まった。

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