第1章 転校生

ep.01 隣の空席

 席替えをしたばかりの翌日は常に自分の席分からなくなる。だから登校するとついつい前の席に行ってしまうのが俺、飯田和治の治したい癖だった。もし間違えた先の相手が自身を嫌っている人間だったら、殊更にそう思う。


「なん、でしょうか?」


 席替え前の俺の席に座る女子生徒、鹿苑ろくおん茉莉花まつりか。艶やかな黒髪ストレートが特徴の淑やかな少女。いつものように読んでいた小難しい本から端正な作りの顔を上げて、彼女は不快げに言った。それはもう親の仇でも見るように、切れ長の瞳を鋭利にさせて俺を睨みつけながら。

 俺は内心で苦虫を噛みつぶしたような顔をして、実際には気まずさを表した笑みを浮かべて言う。


「あー、いや、悪い。この席が前の俺の席だったからさ、間違えたみたいだ」

「……そう、ですか。だったら座席表で自分の席を確認してください」


 それだけ言って、鹿苑は小難しい本へ視線を落とした。その口調は刺々しい。読書の邪魔をされたのが、それほど癪に触ったか。いや、


(いつもこんな調子だもんなぁ)


 この場合の『いつも』とは2重の意味を孕んでる。

 まず第一の『いつも』は鹿苑の平素の態度。誰にもに対して彼女は素っ気ない。他人を寄せ付けないのだ。そんな彼女をクールビューティと人は呼ぶ。

 そして俺にとっては肝心の第二の『いつも』。それは彼女の俺に対する態度が他人に対するそれよりも、一層冷たいということだ。

 落としたプリントを拾って渡したらゴミでも見るような目で見られるし、手伝おうとしたら不快な表情をありありと浮かべられる。人助けのつもりでやることでも、やっぱり彼女は俺に手ひどく当たるのだ。理由は分からん。

 …………嘘をつくのは辞めよう。1つだけ心当たりがある。

 たった1つの心当たり。それは俺が鹿だ。遠くで見かければ思わず目で追っちゃうし、席が彼女より後ろになるとついつい目が彼女の背中に向いてしまう。彼女に気取られるほど露骨にはしないように理性で抑えている……はずだが、もしかしたら気取られてしまっているのかもしれない。そして、それを彼女は嫌がっているのではないか、とそういう考えが俺の中にある。

 とはいえ、わからんもんはわからんし、考えたところで分かるものでもない。人の心の内なんてわかろうとするのは無為だ。

 ……鹿苑の内心は滅茶苦茶気になるけども。

 とりあえず「邪魔して悪かった」と再度謝罪をして、俺はその場を離れた。適当にクラスメイトに挨拶しながら、俺は俺の席を目指す。座席表を確認するまでもない。俺の席は窓側から数えて2番目の列の最後尾。奇数人数クラスにおいては唯一独りぼっちの席だ。

 独りぼっちの席だった、はずなんだが、


「――? なんで隣に席があるんだ?」


 俺の左隣、すなわち窓側から数えて一番目の列の最後尾。本来ならば席すらないはずの其処には空席があった。

 不可思議な状態に俺が首を傾げていると、右隣の席からこんな気取った声が飛んでくる。


「『空席が在る』というのは中々に面白い状態だと思わない?」


 相沢あいざわ道慈みちつぐ。(偏見ではあるけど)寺の息子のような名前だが、その実際は髪をしっかり整えて、校則違反しない程度の着崩しをするチャラ男だ。いつも何処か気取ったというか、すかしたというか、まぁなんというかな野郎なわけだが、一応俺の親友である。

 もし少女漫画だったら背景に光のエフェクトが散ってそうな爽やか笑顔で次澤は言ってきた。


「おはよう、和治。今日は朝から災難だったね。前の席になったのが、まさかまさか鹿苑さんだったとは」

「ん、まぁ、そうだな」

青石せいせき高校2年一の秀才にして地元の名士の娘ともなると気位が高くなっちゃうのかな。人を寄せ付けないくらいに」

「逆、じゃないか。きっと俺達の方が彼女から遠ざかってるんだ」


 鹿苑は人とつるむようなことはない。皆に嫌われている、わけじゃないと思うし、遠ざけているわけじゃないだろう。ただ、その顔の良さと頭脳と生まれが多くの人を気後れさせてしまうのだ。彼女自身もそれを知っている。だから積極的に誰かと関わらないのだと思う。コミュニケーションを取るたびに一線を引かれていたら嫌になるだろう。

 とはいえ、


「真実はわかんないけど」

「だまし絵みたいだね。なんだか」

「あるいはコインの裏表だな。正しい情報がないと真実なんて見えやしない」

「あはは、確かに。じゃあ、鹿苑さんが和治を嫌う理由はさしずめブラックボックスといった具合かな」


 ぐふ……っ。くそ、痛い所を突いてくる!


「なーんで鹿苑さんは和治のこと嫌うのかなぁ。和治、良い奴なのに」

「俺が気づかないうちになにかしちゃったんだろ」

「でも、鹿苑さんとこれまで関わりなんてほとんどないんでしょ?」

「1年の頃、同じクラスだったくらいだし、当時もそんな関わりはなかった」

「2年になっても?」

「2月までで鹿苑と関わった回数は両手の指で事足りるぞ」

「だったら余計にわかんないなー」


 腕を組んで唸り始める相沢。確かにコイツの話し方をムカつくが、しかし誰かのことを真剣に思える良い奴だ。だからこそ俺は相沢と親友をやっている。


「そして嫌われてても、鹿苑さんのことが好きな和治はもっとわかんない」

「ほっとけ、ほっとけ。恋は盲目、惚れた弱みってやつだ」

「若干意味が違くない?」


 いーんだよ、細かいことは。


「俺のことはさておいてだ。これは一体どういうことなんだ?」


 『これ』と言って差したのは昨日まではなかった俺の隣席。俺より先に登校していて、事情を知ってそうな相沢に問う。

 相沢は片目を閉じると、得意げにこう言った。


「学校のイベントで席が増えるって言ったら?」

「転校生」

「ピンポーン」


 つまりはそういうことだった。確かに席を増やすなら、席すらない俺の隣が一番適切だ。


「クラスだと、いや学年でかな。朝からその話題で持ち切りだよ」

「まぁ、高校で——特に偏差値が高い青石高校うちで転校生って言ったらなかなかないイベントだもんな。はしゃぐのも分かるぜ」

「因みに自分のクラスに転校生が来たって経験ある?」

「一応はある。小学校の頃だったか。1人男子が来た」

「僕はないからさ。結構わくわくしてる」


 確かに相沢の目はと少しばかり輝いている、ように見える。いつも心からの感情を見せないから、確かなことはわからんが。

 けど奇妙だった。


「高校2年、しかも2月の初めに転校か? 時期としては妙な時期の転校なんだな」

子供僕らなんて親に命の手綱を握られた不自由な人間だし、親の事情だったらどうしようもないからね。大方、親が転勤族とか、そんなところでしょ」

「だったら転校生は気の毒だ」


 確かに気の毒だ。折角1年間をそのクラスで思い出を積み重ねてきたというのに半端な時期に転校になってしまったんだから。俺だったら結構へこむ。


「来てよかったと思えるようにしようぜ。席も近いし」

「だね。出来る限りのことはしようか」


 折角、転校してきたんだ。残り2ヶ月となった高校2年の生活をより良いとしてあげたいと思う。

 キーンコーンカーンコーンなどとお約束のチャイムが鳴って、朝礼の時間を告げる。生真面目な教師はチャイムと同時に教室の扉を開けてやってきた。そして、黒板側のドアの曇りガラスに映る影こそが転校生なのだろう。

 俺は席に着きながら、相沢と取り留めないやり取りをする。


「転校の時期が変だから、それに合わせて変な人だったりして」

「流石にそんなまさかはないだろ」

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