忍術小町の拳戟絵巻~ちから時々いかずち慕情~
浜野真砂
第1話 力こそ『ぱわぁ』
「待ってー! ねー、待ってよー!」
「あはは、イズミはほんとに遅いなぁ」
透き通るような青空の下で、黄金色の草原を駆けるイズミと呼ばれた小さな女の子と男の子。
ようやく追いついたイズミと呼ばれた女の子は、少々ふてくされながら男の子に近づくも、側に寄ればたちまち笑顔を見せる。
「サイゾウ君はやっぱり早いね!」
「そりゃそうさ。早く@&/#@_/忍術を身に付けて、立派な忍になりたいからね!」
夢を語る男の子、それを聞く女の子……甘酸っぱい思い出のひとつになるだろう。
一部は聞き取れなかったが、イズミは特に気にする様子もない。
しかし、幾ばくもなく青空は濃厚な漆黒に包まれ、草原の黄金色はしおれて鼠色に染まる。
重い空気を醸し出し、冷たい風が吹き荒れ、息苦しさすら感じられる。
そして空にはヒビが入り、辺りは終末感漂う荒廃した大地へと様変わりした。
目の前の男の子はみるみる大人になり、剣呑な面差しでイズミを見つめる。
「イズミちゃん……/&@#//__##/&/@#/&#//」
「サ、サイゾウ君……? 何を言ってるの?」
「本#/&/#@詳し#/@#/&/たい。で/##@@//#/出来@/#@&&@@@れて#/&&g@##/#&/でしか君に#/&&//#//&g伝#&//#/だ」
意味不明の言葉を並べるサイゾウ。
何かを堪えるような様子があり、もどかしさも感じているように見える。
「西に%&)&だ(‘&%で君#&&つ/##_/……」
サイゾウの頬を涙が伝う。
同時に彼の姿は少しずつ透過し、最後には消えてしまった。
「サイゾウ君!? サイゾウ君!! 分かった! 必ずそこに行くからーーー!!」
イズミには内容が理解出来たようで、必死に返答する。すると目の前が空間ごとぐにゃりと曲がり、彼女は少しずつその意識を手放していった……
※※※
「……」
五畳半の畳の一角に敷かれた、布団の上で目を覚ます女性。
「また同じ夢か……」
彼女の名はイズミ。
目覚めた後だからか、若しくはサイゾウとのやりとりの所為なのか、暫くは天井を見上げてボーっとしている。
しかしその数秒後、ハッとなったような表情でむくりと起き上がる。
「あれ? どんな夢だったっけ? やっぱり忘れるなぁ……」
同じ夢と認識しつつ、その内容については覚えていない様子。
イズミが起きたと同時に、何かがコロリと彼女の前方に転がった。
「あ、ぽん吉! またボクの上で寝てたな! 苦しいって言ってるだろ!? 寝るなら隣!」
「ぽん~……」
ぽん吉と呼ばれたのは、一般的な大人のそれよりは少し小さめの子だぬき。イズミの胸の上で寝ていたようで叱られる。
利発なのか、彼女の言葉にきちんと反応して怪しい鳴き声で応えた。
「まったく。お前は可愛いなぁ……でも、ここでの朝とは暫くお別れだ」
イズミはすぐに笑顔を見せ、ぽん吉もすぐに彼女に寄り添う。
少しの抱っこの後ぽん吉を下ろすと、部屋の隅にある小さな立ち木をそのまま利用したような服掛けから、自分のものと思わしき服や装備を手に取り着替える。
「よし、行こう。朝ごはんは道中でな」
「ぽん!」
彼女は切れ長の眼に漆黒の瞳、精悍且つ整った顔つきは秀麗さを匂わせる。
身長は150cm代半ばといった程度で、少々暗めの二藍色の髪を1本におさげとしてまとめ、前に垂らしているのが印象的だ。
漆色の上衣と丈の短い袴、蒲葡の帯、足袋を履き帯刀はしていないが、ナックルパートが鉄で覆われた籠手が目を引く。
全身にぴったりとフィットしたインナーの上に、網目の細かな
ぽん吉が彼女の胸で眠るのは、平らで邪魔にならないからだろう。
その後彼女は布団を片付け、寝室を後にすべく襖を開け、茶の間と思わしき部屋へ移動する。
「みんな、おはよう」
「……」
「わん!」
「きゅうきゅう」
「おーん!」
「く~ん」
「もふもふ!」
「ふぁふ」
イズミが襖を開けあいさつをしたと同時に、統一性のない鳴き声が一斉に響き渡る。
鳴き声からは想像できないが発声の主は全てたぬきで、彼女以上の身長の大だぬきも居れば手のひらサイズの非常に小さなたぬきも居て、一体どのような生態系なのか疑問だ。
ついでに、彼らの声帯の仕組みも解明しておきたいところである。
「たぬ右衛門、たぬ江、たぬ吾郎、たぬ吉、ぽん太、ぽん助、ぽん子……元気で。行ってくる」
「……」
イズミの言葉を理解したのか、大小様々なたぬき達は押し黙り、寂しげな雰囲気を見せた。しかしぽん吉だけはイズミに付いていくのか、すでに荷物がまとめられている様子である唐草模様の風呂敷の結び目に、自分の首を通して上手に背中に回しバランスよく背中に乗せる。
まもなく彼女は、ぽん吉を除く全てのたぬきたちの頭をゆっくりと撫で、少し名残惜しそうに
※※※
「では父上、母上……不肖イズミ、我が力を役立てるべく
亡き両親の墓なのか、イズミの前にそれほど大きくない墓石。
神木なのか
墓については、設置から十年以上は経過していそうな、破壊した岩をそのまま流用しているような粗末なものがひとつ。そして、それよりもさらに経年していると思われる長方形型の立派な造りのものがある。
格差があるように見えるが、双方汚れやコケの類は一切見られない。彼女がきちんと管理をしているのだろう。そっと墓前にユリを一輪供える。
しゃがみこみ、花を添えた瞬間は少し寂しげな彼女であったが、立ち上がったと同時にその瞳は決意を灯す。
そのまま何も言わず振り返り、両親の墓を後にしたのであった。
※※※
〜道中〜
住家を離れて一時間、イズミは
その脇にはオオバコ、シロツメクサ、オオイヌノフグリなどの背の低い草花が生い茂り、その頭上をモンシロチョウ、ベニシジミが飛び交う。
そんな深緑の近い暖かな季節、イズミはぽん吉と共に悠々と歩く。
「ぽん吉、本当に皆と居なくて良かったのか? はっきり言って当てのない旅だぞ?」
道中、イズミは家族と離れる結果となったぽん吉に憂心を抱いたのか、気持ちを確かめるかのように問い掛ける。
「ぽん!」
「そうか……その気概なら大丈夫だな。ただ、お土産はちょっと気が早いぞ? 長旅になるからな。ふふふ」
文字数にして二つの言葉に、一体どれだけの意味が込められていたのか……それは、ぽん吉との付き合いが長いイズミにしか分からない。
「しかしのどかだな。……でも、近い内にとんでもないことが起こるんだよな……」
「ぽん!?」
突然不穏な台詞を吐くイズミに、ぽん吉は眼を大きくさせる。
(でもそれが何時、何処でなのかが思い出せない……何でかな……?)
どういう訳か彼女自身、旅の目的も明確な行き先も分かっていない。
「今は西に行かなくちゃいけないって事しか分からない……こんな旅ってあるのかな? でも、必ずそこにボクが行かないとダメなんだ」
「ぽん……?」
当然、ぽん吉はよく分からない。
「ごめんぽん吉、変なこと言って。とりあえず色んな町や場所に行けば何か思い出すかも」
「ぽん~……」
今度はぽん吉が、不安な趣きでイズミに鳴き声を漏らす。
「え? それよりも町に行くのは大丈夫かって? 両親以外の人間に会うのは問題ないかって? あはは、大丈夫だよ。同じ人間なんだし、何よりボクには父上直伝の忍術がある」
「ぽん……」
父から教わった忍術に、自信と誇りを持っているのか、イズミは無い胸をさらに張っていて微塵も不安を感じていない様子だ。
一方でぽん吉は未だ不安そうにしている。もっとも、忍術どうこうではなくもっと別のところで不安を感じているようだが……
〜さらに二時間後〜
「よし、道は合ってたな。あとはここを越えて山を下れば町だ」
住家から徒歩で三時間。辿り着いた場所は、イズミの故郷から繋がる唯一の径路となる吊り橋。
長さにして100mの吊り橋で、太く編み込んだ麻縄が両岸から本体を支えている。桁は丸太で、両端を支えより細い麻縄で繋いである原始的なものだ。
しかし……
「それにしても……ずっと使われてなかったんだな」
「ぽんーーーーー!?」
ぽん吉が驚くのも無理はない。
支えの麻縄は手前の一本と、他の支えも撚り合わせている麻の多くが切れていて、かろうじて繋がっている状態だ。
さらに長期間の展張によるものか、いくら伸び率の低い麻でも伸びが生じてしまっているようで、吊り橋が逆アーチの状態を示してしまっている。
桁も半数は失われていて、残っているものも腐っているまた欠けているため、もはや吊り橋の役割を果たせるかは疑問だ。
なお橋下は谷になっており、地面は霧がかっているため目視で確認できない。ただしかなりの高さであることは間違いなく、通常の人間であれば落下の時点で即死は免れないだろう。
「まあいい。行くぞ」
「ぽ!? ぽ……ぽん……」
恐怖で叫ぶぽん吉であるが、渋々イズミの頭に乗る。『ひしっ』とばかりにしがみつき、しっぽをふるふると震えさせる。
「しっかりしがみ付いていろ!」
イズミは言葉と同時に駆け出す。
足袋底が触れた桁は直ちに落下。ジャンプは桁に負担が掛かるため、桁が連続して欠けている部分は手すりとなる縄に移り走り続ける。
縄という細い物体の上を走ることができる彼女の身体能力は凄まじいの一言だ。
そのまま調子良く走り続けるイズミ。しかしまもなく異変に気付く。
ブチ……ブチ……
「あ、ダメだ。切れる……はぁ!!」
「ぽぽーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!」
向こう岸の支えの麻縄が切れる音。
間に合わないと察したイズミは、不安定な足場から岸に向かって飛ぶ。そして絶叫するぽん吉。
ブツン!!!
「あーあ、やっぱり届かないか……仕方ない。谷底から川を下ろう」
「……」
谷底へ落下が確定しているにも関わらず、悠長な面差しのイズミ。言葉の込められた感情にも一切焦りが感じられない。一方ぽん吉は白目を向いている。
やがて朽ち果てた吊り橋と共に、一人と一匹の落下が始まる。しかし彼女は慌てる様子もなく、それどころか目をつむり足を少し開き、両手で印を結び姿勢を正す。
「ふぅー……はぁぁぁぁぁ!!」
イズミが何かを練り上げる。
すると彼女の全身から、ゆらりと狼煙のようなものが立ち上がった。
「……力忍術があれば……何だって出来るんだ!!」
※※※
「ぽん吉、大丈夫か?」
「……ぽ、ぽん〜」
白目を剥いていたぽん吉だが、落下が止まったためか目を覚ます。そして、自分が助かったと確信していたのか、不意にイズミの頭から身を乗り出したのだが……
「ぽ、ぽんーーーー!!」
「あ、まだまだ高いな。ごめんごめん。ほんとにぽん吉は高いところがダメだな。家の中に入るのも一人じゃ無理だったしな」
そこには、渡るはずだった向こう岸の崖の途中にある大岩の僅かな取っ掛かりを、涼しげに掴んで宙に浮いているイズミの姿があった。
「やっぱり父上の力忍術は最強だな! ……えっと、アレだ。『力こそぱわぁ』って言うからな! 意味分からんけど。あはははは!」
「ぽ……ん……」
『どうでもいいから早く降りてくれ』と、必死に目で訴えるぽん吉にイズミが気付いたのは、彼女の高笑いが終わって暫く経った後だったそうな。
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