森の中の水族館

幽宮影人

〇の中の水族館

 とある山の奥深くに、その建物はあった。

 アクアリオと名付けられた洋風の作りをした大きな屋敷は、人の営みから切り離され、木々の間でオブジェのようにぽつねんと佇んでいた。

 人里離れたその屋敷では四人の男が共同生活を営んでいる。


   *


「くぁ……ねみぃー……」

 一人目は、屋敷の住人の中ではいつもいの一番に目を覚まして、寝ぼけ眼をこすりながらも四人分の朝食を用意する属嶋虎太郎さかしまこたろう。いつもはハーフアップに結い上げられている赤毛も、今はあらぬ方向に飛び跳ね、周囲の木々よりも綺麗で鮮やかな色をしている緑眼は、まだ半開きになっている。

 どうやら今日は朝食にサンドイッチを作るようで、キッチンの上には色とりどりの材料が並べられている。

 しばらくは眠たそうに目をこすったりしていた彼だが、下ごしらえをしている間にいつもの調子に戻ったのかきゅっと髪を縛り、瞳もいたずらっ子のような輝きを取り戻していた。


   *


「おはよう、虎太郎。」

「おはよ、アリー」

「今日はサンドイッチか?」

「おん。そういや今日もアレ飲む?」

「あぁ、頼む」

「ん、了解。そっちも洗濯物、よろしくね」

「あぁ」

 しばらくすると二人目の住人が現れた。筋骨隆々、たくましい上背をしている有宮哲也ありみやてつやだ。ちなみにこの男、ご飯のお供に必ずプロテインを飲んでいる。いまでさえこの体なのに、いったいこれ以上なにをどうするつもりなのだろうか……。

 大抵、二番目に目を覚ます彼は、朝食の準備には加わることなく、夜に回しておいた洗濯物をキッチンの前に広がるリビングのさらに向こう、香りさわやかなウッドデッキに干す役目を担っている。今日も、洗面所に置かれている洗濯機から洗濯物を抱えてデッキの方へと歩いて行った。


   *


「おはようございます、コタ君」

「おはよ、ハタっち。アリーはもうベランダの方に向かったよ」

「そうですか。あ、今日はサンドイッチですか?」

「ん、そうだよ」

「じゃあ私もお手伝いを……」

「美雪、起きてるならこっち来てくれ!」

「オイラは大丈夫だからさ、アリーが呼んでるみたいだし行ってきたら?」

「ですが……」

「だぁいじょうぶだって! そのうちアイツもおきてくるだろうしさ」

「じゃあお言葉に甘えて」

 三番目にキッチンに姿を現したのはスラリとした痩躯に眼鏡をかけ、女性のような白く美しい肌とサラサラとした髪を肩まで伸ばしている旗本美雪はたもとみせつ

目下の悩みは女性に間違えられることらしいが、昔はきちんと男に見られるようにと短く整えていた髪を、最近では開き直って伸ばしているそうで。正直、長くても短くても顔がアレなのでどうしても女性の様に見えてしまうのだが。

 ここで小話を一つ。彼、ハタっちこと旗本美雪は、見た目こそ整っておりいかにも手先が器用そうに見えるが、全くもってそんなことは無い。寧ろこの四人の中では恐らく彼が一番不器用だ。

 それだけではない。彼は、とんでもなく料理が下手だ。ついこの間も卵焼きを作ろうとして炭を作り上げたし、その前は危うくキッチンを丸焦げにするところだった。属嶋が彼の手伝いをやんわりと断ったのもこれに起因しているし、耳の良い有宮は上手い朝食を逃さないようにわざと大声を上げたのだ。


   *


「お、おはよう……、虎太郎」

「おはよ、シズ」

「サンドイッチ?」

「ん、手伝い頼める?」

「うん。も、もちろんだよ」

 最後に現れたのは気の弱そう、影薄そう、幸薄そうの三拍子を備え持った翻静瑠もどりしずる。小さな声で言葉を紡ぐ度に、頭のてっぺんで一房の髪がぴょんぴょんと跳ねる。くるりとしたそれは所謂アホ毛と呼ばれるもので、彼の感情と共に萎れたり、ぴんと立ったりするらしい。……一体どういった原理でそうなっているのだろうか。

 彼は四人の中では器用な方に分類される。よってこの共同生活のなかでは彼と属嶋がよく料理を担当するのだが、ここにもどうしても性格というか人となりが現れる。つまるところ、彼の作る料理はすべてことごとく味付けが薄いのだ。よって彼もあまり料理には手を出さない。もっぱらは属嶋がモノを作り、彼はサポートとしてキッチン立つ。まぁ、あの二人、有宮と旗本に比べたら彼の味付けが薄いことなんてほんの些細なことなんだろうけれど。


   *


「二人とも。飯できたぞ」

 机に配膳しながら属嶋がベランダの方に声をかける。

「こっちも終わったぜ」

 するとそちらの方からそう返事があり、少ししてから二人が現れた。

「さて、と。いただきましょうか」

 各々、コーヒーだったり紅茶だったり、飲み物を用意して席に着く。若干一名、飲み物かよくわからないものを並べている人がいるがそこについては割愛。

「いただきます」

「どーぞ、召し上がれ」

 三人が誰ともなく声を揃えてそういうと、嬉しそうに顔を綻ばせながら属嶋も答えた。朝日が大きな窓から差し込み四人を照らす。


 今日も太陽は元気に世界を照らしているし、木々は変わらすそこに佇んでいる。

 彼ら四人も変わらず今日を過ごす。

 そして明日も、明後日も、明々後日も。

 来月も、来年も、いつまでも。

 ここは彼ら四人だけの穏やかで愛おしい、完結された花園。

 いつまでもいつまでも、

「つづくといいなぁ」

 遠くを見つめながら赤毛の彼が呟いた。彼の独り言を耳聡く拾った三人は、彼の声に隠し切れない悲しみを感じ取ってこう約束を交わした。


『お爺さんになってもみんなで暮らそう』


 教会の式で新郎新婦が交わすもののような甘い響きでは無く、純粋で幼稚な響きをもったその約束は、いつまでも四人の心に刻まれた。

 そして誰もが「この約束を破ることだけは何があっても絶対にしない」とも胸に誓った。

 指輪は無かったが、彼らには言葉だけで十分だった。

 文章を書くことを生業としている彼ら四人にとって、言葉以上に強固な誓いは無いのだから。

 これで、これだけで十分だったのだ。


  *


 今日も太陽は元気に世界を照らしているし、木々は変わらすそこに佇んでいる。

 四人も変わらず日々を過ごした。

 そして昨日も、一昨日も、その前も。

 先月だって、去年だって、その前だって。

 約束を交わした日からずっとそうやって過ごしていた。

 けれど、

「うそつき」

 真っ赤な家を眺めながら赤毛の彼が呟いた。

「あーぁ、また独りになっちゃったじゃん」

 ここは彼ら四人だけの穏やかで愛おしい、完結されていた花園。

 どこかからカァンカァンとサイレンが聞こえる。

 緑の彼はひっそりと赤に身を落とし、そこにはついに誰も居なくなった。


  *


「今朝のニュースをお報せします。昨日未明、○○山にて火災が起きました。山中に建てられていた洋館は全焼し、消火活動は数時間で収束しました。建物の中からは、四人の身元不明の遺体が発見されましたが、現在照合中です。出火原因は消防隊と警察とで検証中です。」


  *


「やっべ、どうしよう」

 ふわふわ、ふわふわと中を漂いながら羽をもったソレは困ったように呟く。

「あの人たち、間違えて殺しちゃった……。どうしよう」

 とんでもないことを事も無げに口にしたソレは、恐らく神や天使に分類されるものだろう。

「うぅーん……あの人たちイイ人だったし、それに可哀そうな目にもずっと遭ってきたから……そうだ、別の世界に送ってあげよう!」

 名案だ、とでも言いたげに手を打つ。

 てめぇのそれはどう考えても迷案だろうが、ソレの同僚が今ここにいれば十中八九そう突っ込んでいるだろうが、生憎なことにここには誰も居ない。

「そうと決まればさっそく準備準備!」

 ルンルン、そんな効果音が聞こえてきそうなほど楽し気にソレはどこかへと飛び去って行った。

「どうせなら、皆がまた再会できるようにしなくっちゃね!」


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