あの鐘を鳴らすのはだれ
東原そら
日常
地面が裂けて、彼が消えた。
* * *
ふわふわしたひつじ雲が放牧された空が見える。
今日もおだやかな一日でありますように。満員電車の窓から、私は神様や仏様やキリストや、そんないろんなものに願った。
電車がカーブに差し掛かると、遠心力で人の波に潰される。苦しいけれど心地いい。いつもの平凡な日常の出来事だ。
クラスメイトが
急激な生活環境の変化は、自分にも周囲にも大きなストレスをもたらす。
もう、あんなことはたくさんだ。
満員電車の扉が開くと、たくさんの人が一気に放流される。みんなが自分にとっての日常に流れていく。その流れに乗って、私も自分の日常に向かって歩き出す。
教室の扉をくぐると、友達みんなとパチパチと手を合わせて、最後に白のG-SHOCKをつけた親友の
「
美和がそそっかしい私を憂慮している。
「ご心配には及びません!」
私は冗談めかした敬礼で応える。
「ホントに~?真由梨はこういうとき、絶対なにか忘れてくるんだから。修学旅行のときみたいになりたくないなら、もう一度きちんと確認しておいた方がいいよ」
「もう信用ないな~。さすがにもう財布は忘れないってば」
「でも、あれはホントにウケたよね」
「もう、いい加減忘れてよ~!」
「あ~あ、
「うん。今回は遠くから眺めるだけだけどね」
「きれいだよ~!ホントに。兄貴に連れてってもらった時はメッチャ感動したから」
「それ何度も聞いたよ~いじわる~。言うから余計待ちきれなくなるじゃん」
「ふふ。それで、あっちの明日の天気はどうなの?」
「あ、それ調べてない……」
「ほら、やっぱり抜けがあった」
「もう~美和~」
明日から世間はシルバーウィークに突入する。
うちは家族で初めてのキャンプを予定している。目的地は芦ノ湖だ。私の大学受験前にパパが企画してくれた。
ようやくだ。
この話が持ち上がった時から、ずっと明日を心待ちにしていた。
美和といつもの朝を過ごしていると、先生が教室に入ってきた。
愛しい平凡な日常の、始まりだ。
お昼が近くなると、私は頬杖をついて授業にのぞんでいた。
この時間、いつも私の頭の中はパパのデコ弁が占めている。でも今日は集中できない要因がもう一つあった。
富士だ。
ちょうど授業の題材が『
芦ノ湖から富士が望める。逆さ富士は時期的にちょっとむずかしいと思う。ようやく拝める憧れの富士はどんな迫力だろう。私はファンのバンドのコンサートに行くような気持ちで、心をリズムよく弾ませていた。
今回は遠くから眺めるだけでいい。大学に合格してから登るのは挑戦しよう。
だから約束を果たせるのは、もう少し先になる。
意識を授業に向かせるように、カッカッと板書の音が力強く教室に響く。
けれど私の集中力は内閣支持率のように右肩下がりだ。
『富嶽百景』。富士をテーマにした
そのうえ、凝った表現と難解な熟語の
ふうと、深い息を吐きゆっくりとまぶたを閉じる。
隣の男子からお腹の音がする。
彼氏と旅行に行くって言ってる声もある。
教科書をめくる音もする。
板書をノートに書き写す音も聞こえる。
おだやかなだなぁ、と思った。
腹虫の声に耳を傾ける時間も、キャラを予想する時間も、退屈な授業を気だるく思う時間も全てがおだやかに過ぎていく。
この変化のない平凡さがなによりも愛おしい。そう思えることも、命があるからこそだ。
けれど、終わりは突然だった。
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