ここではない、違う空の下で
砂塔ろうか
第4578次世界〜第4583次世界
@第4578次世界:紀元1207年7月21日
異聞書記の仕事を終えて異聞保管庫を出ると、雲海に沈む夕陽が目を焼くようだった。
上の方を見れば、空は仄かに昏く、わずかに紫色を帯びた宇宙の色に変わりつつあり、そこを横切るようにドラゴンが飛んでいた。大方、第3植民島への貨物輸送といったところだろう。
――ドラゴンは第459次世界の紀元1300年に開発された人工生命体だ。開発当時はたしか、資源の不足と機械の経年劣化、スクラップの投棄場所が問題になっていて、それで生物輸送機械を作ることにした……そういう経緯で誕生したんだっけ。亡骸は食料や肥料にできるし、生育に必要な資源は人間の残飯なんかでもいい、しかも繁殖によって殖えるから逐一工場を稼動させなくても製造できる。
まさに、夢の生物。
あとはそれを何体か、下に落とせばいい。
そうすれば、現在の世界は野生のドラゴンがはじめから存在した世界だったということになる。
この世界はそういう仕組みで動いてる。
もっとも、そんな事情を完全に把握していると言えるのは異聞書記である僕だけだ。
ほかのみんなは、今日の歴史と昨日の歴史が違うことを、認識できない。
異聞書記の仕事は、そうした今日と違う昨日を記録することだ。記録した歴史は、異聞保管庫に格納される。
現在は紀元1207年だが、保管庫に格納されてる歴史は数千年分にも及ぶ。あるいは、何億年分かもしれない。
本当のところは、異聞保管庫に誰よりも出入りしてる僕ですら分からない。
異聞書記の仕事に年齢は関係ない。だからこそ、僕のような孤児でも仕事をさせてもらえる。だけどその分、頭を酷使する仕事でもあるのだ。はっきり言って、つらい。
けれど、他の仕事を選ぶなんて無理だ。なにせ今、異聞書記の務めを果たすことができるのはこの僕たった一人だけ。僕が望んでも周囲が許しちゃくれないだろう。
疲弊して、ものを考えることすら億劫になる頭とかすむ目を手で抑え、帰路につく。
島の端の方に通りかかると、【落ちもの送り】の歌が聞こえてきた。
それで、僕は今日、何度目になるか分からないため息をついた。
――どうやら、明日も仕事らしい。
そうと決まれば、今日の歴史や文化を可能な限り、記し、記録し、そして脳に刻みつけなくては。
異聞書記の仕事は【落ちもの送り】が執り行われる、その瞬間に始まる。
異聞保管庫内での勤務開始時刻は朝の9時からと決まっているが、それはあくまで異聞を書類のかたちで残す作業の開始時刻を言ってるにすぎず――その前段階、残すべき異聞――すなわち、明日になればなかったことになるであろう文明や文化、歴史――を記録するもう一つの、そして異聞書記の本質とも言える業務はつねに【落ちもの送り】の声を始業の合図とする。
変わってしまった歴史、昨日と違う今日を認識できるのは異聞書記の才能を持つ人間――つまり僕だけ――であり、僕が異聞を報告することによってはじめて、人々は【落ちもの送り】によって変容した現在を知ることが可能となる。
【落ちもの送り】は過去改変の儀式だ。この世界のはじまりに、未来の技術や知識、あるいはドラゴンのような人造生命体を送ることで、僕たちはより良い今日を送ることができる。
といっても、送るのは大抵、未来から降ってきたものだ。
この時代に解決すべき大きな問題なんてないし、過去に送るべき発明品なんてものも今のところない。
だからただ、バケツリレーのように落ちてきたものを落としてるだけだ。
今日の落ちものはなんだろう、と儀式場の方へ向けて足を運んでみた。やっとのことで人混みの合間から顔を出すと、祭壇の上には用途の分からない石塊があった。よく分からないが、おそらくあれが技術発展の鍵となるのだろう。
それから僕はあちこちを取材して回って(みんな僕の仕事を知っているので快く迎え入れてくれた)、家に帰る頃には午後9時を回っていた。
明日は【落ちもの送り】がないといいんだけど……。
背後で、何かが落ちる音がした。
「うそでしょ……」
おそるおそる、後ろを確認してみる。
案の定だ。そこには女の子が倒れていた。それも頭から血を流して。
――人間の落ちものは、始めて見た。
それが最初の、僕の感想だった。
だって人間なんかが落ちれば、こんな風に血を流して、しかも、あちこちの骨が粉々に粉砕された状態になるのは目に見えてる。
かつての記録には、人間の落ちものが報告されている。だがそれは大抵、落下の衝撃に耐えるがだけの器を持った改造人間か、あるいは人間の脳を移植した機械人形だ。
そしてもし、この子がそういった存在なのだとすると、こんな風に死にかけはしないだろう。
このまま、放置しておけば彼女は死んで、無縁墓にでも入れられることになるだろう。でも、偶然にも僕の家の近くには治療センターがある。目と鼻の先だ。
医療関連技術は真っ先に発展した技術分野の一つだ。世界が始まってわずか1200年のこの時代でも、瀕死の重傷人を傷一つ治すくらいわけない。
――だが、そうすれば明日もまた【落ちもの送り】だ。
異聞書記の仕事を始めてもう何年にもなるが、連日勤務だけは慣れる気がしない。はっきり言って憂鬱だ。
「…………すいません、あの、助けてください」
悩んだすえ、僕は、彼女を治療してもらうことにした。
やっぱり、見捨てることなんてできなかった。
@第4579次世界:紀元1207年7月22日
翌日、僕は朝起きて、驚愕した。家の周囲が一変していたのだ。
街がすべて、大樹に取り込まれていた。島は根と幹と枝の三層に分かれており、そうした樹木島が周囲の空にいくつも浮いている状態だった。
――昨日見た石塊、あれは石なんかじゃない。種子だったのだ。この大きな、島全体に根を張って成長する樹木の種子。
そしてどうやらこの、第4579次世界の主食はこの植物の樹液のようだ。
家に取り付けられた蛇口をひねってみると、ゲル状の樹液が出てきた。それは空気に晒されてしばらく経つと球状に固まった。触れるとぷるんとして柔らかい。まるでゼリーみたいだ。
舐めると少し甘い。家中漁ってみると、いくつかの調味料が出てきた。どうやらこれらをかけて食べるらしい。ほかに食料はないかと調べてみると、壁の中が食料保管庫になっていた。
食料保管庫は樹液で満たされており、そのゲル状の樹液の中には、肉や乳製品なんかが保存されている。
ここまで大きな変容は始めての経験だ。正直、驚いている。
だと言うのに、異聞保管庫は今までと変わることなく、石造りの外観を維持していた。ここだけは、今までと何一つ変わっていないのだ。
仕事を終えて、僕は外に出た。いつも目を焼く西陽が、今日は穏やかだ。巨大な樹木の枝や葉がいい感じに陽を遮ってくれてるからだ。この樹木だらけの世界も、案外悪くないのかもしれない。
樹木で作られた街は、以前とまるで道が変わっていたので儀式場まで行くのに苦労した。
「……あれ? 今日は、【落ちもの送り】をして、いない?」
昨晩落ちてきた少女はたしかに、【落ちもの】だったはずだ。僕の家の近くに、高層建築物なんてないのだから、空から落ちてきたとしか思えない。空の向こう――つまり未来から。
まだ治療センターにいる?
いや、それもないはずだ。あれほどの重傷とはいえ、一晩もあれば治療は済んでるだろう。
それにあそこの治療センターの主は僕のために【落ちもの】の報告を遅らせるような、気のきく人物じゃない。むしろ【落ちもの送り】には積極的なたちだ。
急いで治療センターに行ってみた。この世界でも、治療センターと僕の家は目と鼻の先だ。
治療センターの主、テレシアさんは僕の姿を認めるとにっこりと笑みを見せた。
「おしごとご苦労さま、異聞書記さん。今日はどうしたの? お姉さんなら、もう家に帰したけど?」
「姉?」
「違うの? 昨日あなたが連れてきた血塗れの彼女。枝の区域から落ちてしまったんでしょう?」
「あっ」
そうか。今、この世界では僕の家の上には道があり、建物がある。
【落ちもの】だと認識されるのはこの島の最上層部――第7枝区域に落ちてきたものだけだ。
「まさか、【落ちもの】じゃないでしょうね……?」
「あ、いや! 違う! 違うよ! うん!」
テレシアさんは勘が鋭い。僕は必死になって否定した。
「ただ、なんで姉さんだって分かったのかなって、不思議で……」
「なんでって、そんなの分かるに決まってるでしょ。だって二人の顔、びっくりするくらい似てるんだもの」
●
テレシアさんの言う通りだった。
僕の家に上がっていた少女――今朝は鍵をかけるのを忘れていたのだ――は僕と瓜二つだった。たしかにこれなら、姉と間違えるのも無理はない。年齢は20歳くらいで、僕よりも年上に見える。
「君は……?」
「はじめまして、ゼシア・ポルセグート異聞書記さん」
――僕の名を知ってる?
彼女は、近い未来からの【落ちもの】なのだろうか。
「私は、ゼシア・ポルセグート。この世界の少し先、第4600次世界の紀元1215年から来ました。……まあ、要するに、同一人物てこと」
「まさか、そんなこと……。いや、同一人物だってことは認めるとしても……」
――第4595次世界だって? 先の世界の人や物が前の世界に来るなんて、聞いたことがないぞ。
「先の世界の人や物が前の世界に来るなんて、聞いたことがない。……そう思ったでしょ?」
少女ゼシアは得意げな笑みを見せた。
「これで、少しは私のことを信じてくれるといいんだけど」
「……それで、なぜこの世界に?」
「一ヶ月後の【落ちもの落とし】で、あなたは女になる。それまでに、子作りをしてほしいの」
「は? いや、ちょっと待ってほしい。なんで同一人物でそんなこと……」
「そうしないと、私が、私たちが存在しなかったことになるから」
「……まさかとは思うけど、産んだ子供は……」
「そう。第4550次世界の孤児院前に置いてくることになる。私たちが自分自身の親であり子供ってこと。はじめてでも大丈夫。私もやったことだから」
「なにが、大丈夫なのか全然分からないんだけど……ええと、少し、考える時間が欲しい」
「もちろん。あ、その間ここに置いてもらってもいい?」
「構わないけど……」
こうして僕の、人生初の同棲生活が始まった。
●
少女ゼシアの話によると、第4600次世界で改変前の世界に行ける装置が発明されるらしい。それを体に埋め込んで、起動して、島から飛び降りれば、単純に時間を遡るのではなく、前の世界の過去に行けるようになるのだとか。
「で、その装置開発のきっかけは、ほかならぬ私でありあなた。定期検診で血液中に既存の技術の先をゆくナノマシンがあることが明らかになって、そのナノマシンが研究されることになったの。研究を主導したのは、私もあなたもよく知る、テレシアさん」
――ああ、あの人ならやりかねない。
テレシアさんは未来の技術に興味津々の人間だ。彼女が【落ちもの送り】に対して積極的なのだって、つまるところ、それによって起こる現在の改変――そして現在に未来の技術が普及すること――が目当てなのだ。もちろん、それによって生じる改変を彼女自身は認識できないけど、技術が進歩すれば誰もが過去改変を認識できるような世界になる可能性がないとも言えない。ゆえに、彼女は改変を重ねてそういう世界の到来を望んでいるのだ。
……そしてある意味で、そういう世界を彼女は彼女自身の手で到来させたってわけか。
「じゃあ、今、ここで僕がこの島から飛び降りれば過去に行けるってこと?」
「そ。何の装備もなしに行けば私みたいに死にかけるけどね」
「……なんで君はそれが分かってたくせにあんなことになってたの」
「いやあ、向こうで色々追っかけ回されてて。ぶっちゃけ準備してる余裕がなかったの」
「?」
「ま、そのうち分かるから」
それから、彼女は意味深に付け加えた。
「……ただ、君も私と同じ選択をすると思うよ」
その響きが、耳にいやなくらいこびりついて離れてくれなかった。
@第4583次世界:紀元1207年8月25日
朝、目が覚めると女の子になっていた。
隣では、あいも変わらず少女ゼシアがすやすやと眠っている。
彼女は目が覚めると、女になった僕を見て、
「ああ、それじゃあお別れだ」
そう言って、哀しげに微笑んだ。
●
妊娠してることは、もう分かっていた。お腹はまだ大きくなっていないが、テレシアがそう断じたのだ。彼女の目に間違いはない。
つまり、とうに目的は果たされていたわけだが、それでも彼女がここに留まってくれていたのはきっと、僕が寂しそうな顔をしてしまったからなんだろう。
正直、行ってほしくなかった。
ここで、一緒に暮らせたらどんなに良いだろうとすら思っている。
「でも、こうしないと私たちがいなかったことになっちゃうから」
その日が来ても引き止めようとする僕に、彼女はそう言って別れを告げた。
僕は、嫌いだった【落ちもの送り】の歌を歌い、パラシュートを装着した彼女が祭壇から飛び降りるのを見送った。
いつもの【落ちもの送り】とは違い、今回は早朝だ。僕のほかには誰も、彼女を見送るものはいなかった。
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