第12話 『足りなくて、埋まらない。』
セフレの家は、純恵の家から三駅離れたところにある。学生がたむろする安いアパート、7畳の1K。
インターホンを鳴らすと、「鍵、空いてるから入って〜」とドア越しに声が聞こえたので陽奈は勝手に入った。純恵の部屋と違って、雑多な生活感が溢れる場所だった。玄関横のキッチンには洗い終わってない食器が重なっており、処分しきれていない段ボールが洗濯機の上に積まれている。
「私が来なくなってから生活環境悪化してない? ――ワタル」
「来て早々小言って……キミは僕の母さんかなにかかな、ヒナ?」
靴を揃えながら、家主に苦情を漏らすと,彼は奥の間からのっそりと現れた。寝ぼけ眼に四方八方に散らかった猫っ毛、パジャマ姿から察するに寝起きだったのだろう。陽奈の腕時計は午後1時を指していた。彼こそが、高校時代に陽奈に男を教え、沼に沈めた張本人だ。
「大学生さまさまね」
「仕方ないだろ、連日飲み会続きだったんだからさ」
「そういえばあんたも飲みサーなんだっけ」
「学園祭の実行委員の皮をかぶったウェイ集団の隅っこで女を漁ってまーす。ってか、その様子だとヒナも飲みサーに入ったのか?」
「テニスサークルの皮を被った、ね。でも初手センスないナンパにあってガン萎えって感じ」
「男運ないよな、ヒナは」
「あんたに引っかかってるくらいだしね」
「僕は例外ってことで」
「よく言うよ、ドクズ先輩」
ワタルの家にくる前にテキトーにスーパーで買った品物をキッチンに並べる。
「昼飯食べてない?」
「うん、冷蔵庫も空だ。キミが来るのを見越してご飯は炊いておいたよ」
「じゃあ、チャーハン作るね」
二つ返事で陽奈が料理することとなった。分担はしない。人に必要とされることが重要だった陽奈は、セフレの家では自分から率先して家事をしていた。
程なくしてチャーハンが完成する。ワタルが待つ奥の部屋に食事を持っていく。
彼は部屋の真ん中に設けられたちゃぶ台の上でパソコンを開き、軽快なキーボード音を鳴らしていた。
「趣味の方は順調?」
「悪くはないんじゃないかな。キミのおかげで良い見聞も得られたし」
「情報量払ってもらおうかな?」
「貧しい学生から搾取するなー」
「冗談よ。チャーハンできたから一旦机の上片付けてね?」
ワタルはパソコンをベッドの上に置いて、その横に積まれた座布団2つをちゃぶ台の周りに並べた。
「ヒナ、また料理の腕上げてない?」
「料理続けてるからね」
「へえ。……それって彼氏さんの影響?」
まあ、そんなところ、と陽奈はやんわりとうなずく。
ワタルにはまだ、純恵のことを伝えていない。せめて、一夜明かすまでは伝えたくなかった。今伝えてしまったら、ワタルのことを道具として扱っていることがバレてしまう。そうなると、純恵に抱いた安心感の確証が取れなくなってしまう、と陽奈は危惧していた。
流れるように話題を変えていく。
「ワタルは最近どう? 新しい女の子できた?」
「セフレは2人減って、1人増えたくらいかな。なので今は2人しかいない。ヒナは除いてね」
「今の私たちの関係って、どうなるんだろうね」
「元セフレでいいんじゃないかな。別に今セフレじゃなくても、そういうことするのは構わないと思うよ」
「相変わらずの性欲破綻者ね、あんたって」
「女の子が気持ち良くなっているところを見るのが好きで、女の子とだらだら1日を過ごすのが好きなだけだよ」
「じゃあ1人の女でいいじゃない?」
「女の子の数だけ、女の子との生活があるってものだよ、ヒナ」
彼もまた、誰か1人ではなく、より多くを求めているような人間だ。
類は友を呼ぶらしい。
チャーハンを食べ終わった唇に唇が重ねられる。
1ヶ月半ぶりの純恵以外との接吻。
陽奈の喉の奥で何かが迫り上がって、疼く。
「あはは、どうしたのヒナ。男慣れしてない処女みたいだ」
「男としていなきゃ処女になるんだよ、わたしは」
テキトーな嘘八百で誤魔化しておく。
――性行為前の頭がちりちり、ふわふわする感覚がない。純恵と交わるときは嫌というくらい感じてしまうのに。
だから、陽奈はワタルの愛撫に集中するために目を閉じた。
†
昼下がり、半開きになったカーテンの外から曇り空の鈍い明るみが差し込む。
ベッドの上は荒涼としていた。白濁をため込んだコンドームの亡骸が三つほどシーツの上に転がっている。陽奈は身体をブルリと震わせて下腹部を過剰なまでに意識する。そうしないと快楽を察知できなかった。
陽奈の内側を押しつぶす雄の動きが止まる。彼女の内側が自発的に蠕動する。
気持ち良くない、という訳ではなかった。他の『パパ』のときと同様だ。
(ワタルは自分よりも手慣れていて、私も前は何度も狂うようによがっていた、のに)
陽奈は裸のまま、ワタルの背に両手を回し、両足で彼の腰をがっしりとホールドした。そうすると多くの男が喜ぶことを知っていたからだ。頭上では苦しそうに呼吸を荒げるワタルの顔が見える。唇を窄めて、目を閉じると彼の影が大きくなり、唇で深く深く、撫で回される。
――唇の表面がすり減っていく。大事なものが欠けていく。
気持ちいいが虚ろだ、という異変を振り払うように、陽奈は唇を貪る。けれど、その行為は愛撫に至らない。ただの粘膜の擦りつけへと劣化していた。
かつて得られていた『求められる多幸感』が一切合切瓦解していることに気づいた陽奈は目を閉じて、身体全体で過剰に、感じている、ふりをした。
†
曇り空は深い灰色に染まっていき、夕方になる頃にはパラパラと雨が降り始めていた。最終的に陽奈の中で4回達して、2回を胸に撒き散らしたワタルは、陽奈の隣で疲れ果てて眠ってしまった。筋肉はついていないし、ほっそりとしているその身体は、折れてしまいそうなところくらいしか純恵と似ていない。
(お腹の下、すっかり冷たくなっちゃった)
ベッドから降りた陽奈は体液で濡れた下着を履きなおそうとして、その感触の気持ち悪さに目を顰めた。すぐさまボストンバックから替えの下着を持ち出す。買い出しのついでに新しい下着を買っておこう、と決める。あの染みを純恵に見られたくなかったから。
「また、純恵のこと、考えてる」
もう、ベッドに返ることはなかった。脱ぎ散らかしたものを着直して、陽奈は足早にワタルの部屋から出ていく。純恵のもとに帰る訳ではなかった。買い出しをするため、そして、散らかった心の整理をするためだ。
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