第36話 二人の母

「やっぱりあれですか、西園寺さんはああいった食事をいつも食べてたんですか?」 


 誠は話題が思いつかずに地雷になるかも知れないと感じながらそう言った。


「うちは和風……と言ってもお袋は料理なんか出来ないから、全部食客しょっきゃく任せだけどな」


「食客ってなんです?」


 かなめの発する聞きなれない言葉に誠は首をひねった。


「居候だよ……うちにはものすげえ数の芸人とか、書生とか、学者の卵なんかが住んでるの!そいつ等が当番でうちの家事をやるわけ……まあ、アタシの実家は敷地がでけえからな……長屋みたいなのがあってそこに寄生している連中だ……昔の中国の『田文でんぶん』とか言う偉い人の故事を聞いた数代前の当主が始めたんだが……あれじゃあスラム街だぞ」


「そうですか……」


 庶民の誠には全く理解できない規模の話に呆然とするしかなかった。


 そう言ってまた一口、かなめはウィスキーを口に含む。高音域をメインとしたやさしいピアノ曲が流れる。


「うちの母は料理が趣味でしたから。まあ和風と言えば和風の料理ですけど、時々、お試し料理と言ってなんだかよく分からない料理を食べさせられることも結構ありましたけどね」 


 誠も付き合うようにグラスを傾ける。その姿にかなめは時折本当に安心したときにだけ見せる笑顔を誠の前で見せる。


「へー母ちゃんの手料理ねえ……うちの鬼婆おにばばあは死んでもやらねえだろうがな!」 


 そう言い放つといつもの笑顔がかなめの中に見えた。誠はそれがうれしくてかなめの空になったグラスに酒を注いだ。


「来年はシャム達の方に顔出すか」 


 ようやく吹っ切れたようにかなめは伸びをした後、誠が注いだグラスを口元に運んだ。一端止んだピアノの音が復活を宣言するかのように激しい曲を奏で始めた。


「それにしても……いい酒ですよね、これも」


 誠はよくわからないスコッチの瓶を指差す。


「まあな。だが気にするな」


 かなめにそう言われると誠は逆に気になった。


「ジュラ……」


「まあいいじゃないか!帰るぞ!」


 かなめの仕草でそのスコッチが知られた銘柄ものであることを察した誠はかなめに急かされるように店を後にした。


「でも……」


「明日もあるんだ!さっさと寝ろ!」


 かなめはそう言うとハイヒールの割には素早くエレベータにたどり着きそのまま誠を階下に残して姿を消した。


「僕……このまま帰るんですか……」


 誠はかなめの気まぐれにただ呆れながらエレベータのボタンを押した。


「なんだったんだ今日は」


 今朝からの濃密な一日の内容にただ呆然としながらエレベーターを眺めていた。全身に痺れたような感覚が残っている。


「こりゃあ酒が明日まで残るな……」


 後悔ばかりが残る中、よたよたと開いた扉に吸い込まれた。

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