少年は恋焦がれる

藤原遊人

第1話 少年は恋焦がれる

部屋に入られて一度ひとたび微笑まれただけで、僕のこれまでの常識やら全てのことが崩れ去ったようなそんな心持ちになった。


そのお方が微笑む様はまるでこの世のものとは思えないほどの麗しさで、どのように表現しても表現の方が負けてしまうほどだ。私に詩の才能が、絵の才能があれば、かの方の美しさを幾許かは表現することができたのに、なんと惜しいことか!


けぶるまつ毛を瞬かせて、ゆるりと首を傾げ、傍に控えるご学友に微笑まれる様はここにいる誰よりも強く庇護など必要ない存在と知りながらも、身命を尽くしてしまいたくなる。

圧倒的な力の差を感じているのに、私をお使いくださいと懇願したくなる。


嗚呼!かの方が囁くあの言葉を伺うことができれば、どんな困難にも飛び込んで行けると言うのに!



「殿下、遅れていたナーガ領リンドラが城に到着しました」

「そう、リンドラが来たら学院へ転移しよう」



会話をききとれたことで理解した。あのお方は殿下、今の祖国には殿下と呼ばれる王子は何人もいる。それでも、周りにいる面々を見遣れば彼がどの殿下なのかは一目瞭然だった。


国屈指の勢力を誇るベリアル家の長男、王家への忠義なら他の追随を許さないアスダモイ家の長男、王国内最大の森林資源を持つフーリー家の令嬢。それに今かの方が到着を待つと言ったリンドラは王族の次に強いと言われる辺境伯のご令嬢だ。

かの方の周りに侍る貴族は木っ端貴族の僕ですら知っているほどの有名人たちで位も高い、そんな彼らが敬意を表すのは一人の王子だけだ。


学院に繋がる転移陣が描かれた広間は王城のこの間だけ。だから国中の貴族、そして王族が集まるとわかってはいたけど、理解はしていなかったみたいだ。

先ほどまでの熱は一度引いて、自分自身をやけに冷静に見る僕を自覚して、そっと手のひらにため息を落とした。


広間の戸が開く音がしてすぐに颯爽と赤髪を翻した少女が入口から真っ直ぐに殿下に歩み寄り、親しい者同士の礼をした。



「リンドラ、怪我はないか?」

「はい、殿下。遅れてしまい、申し訳ございません」

「いい、臣民を助けるは務めだろう?謝罪は不要、怪我がないなら行こうか」



迷わず第二転移門に向かわれたのを見て確信する。あの殿下は王位継承権第一位、そして当代陛下よりも魔力が強大な王子殿下。ペトロネア・フェーゲ・ヴルコラク様だ。

誰かが言いふらしたわけでもなく、事実として殿下は他の王子より圧倒的に強い。同じ部屋にいるだけで、その力に気圧される。


紺色の制服の上に黒いマントを羽織る。それを補助するのはベリアル家の長男マリアン・ベリアル様だ。マリアン様はそんなことをされるような身分の方ではないが、殿下が当然のように動かれたことから拝察すると普通のことらしい。

あのように強く美しい方とともに学院で学ぶことができるなんて、なんと幸運なことか。



「傾聴」



魔力を含んだ声に思わず服従する。マリアン様の声に広間に集まった今年の学生が一斉に膝をついて最敬礼をする。



「今年も学院に向かう時節がやってきた。加護神シャムシアイエルはそれぞれの努力に応えてくれる。なお、学院とはいえ、他国のものと関わるのであれば、それは全て外交となる。トラブルは起こさず、みな、それぞれの勉学に励むように」



表情一つ変えなかったが、殿下は途中で一部の者に威圧を浴びせたらしく、膝すらつけなくなった数名が床に崩れた。


それを一瞥すると、殿下は他のものに向けて柔らかで穏やかそうな微笑みを浮かべられた。一瞬、目が合ったような錯覚を起こしたが、殿下は昨年問題を起こした数名以外の全員に微笑みを向けている。勘違いしてはいけない、そう思っていても、苦しいぐらいに胸が早く打つ。



「良いね?」

「はい」



素晴らしき縦社会、これまではその悪い部分に不満しか述べていなかったが、かの方がその頂点に立つと理解した今は弱肉強食の縦社会が素晴らしく思える。

一瞬の威圧だけで不届きな輩は己の力不足を思い知って大人しくなることだろう。


殿下が陣に手すら触れずに、転移陣を起動して飛び去った後、目を細めたマリアン様と周囲を警戒しているリンドラ様が転移陣で飛んで行った。続いて、エウロラ・フーリー様。


シジル・アスダモイ様はその家のお役目から、学院へ最後に飛ぶことになる。学院にアスダモイ家の子どもが通うときには、転移陣の最後を務める暗黙のルールがある。

それは王族に最も忠実な家と呼ばれるアスダモイ家らしい逸話のせいだが、もう古過ぎて本当の話なのかすらわからない。



「ペリ・シタン」

「はい!」



シジル様に名前を呼ばれて、第七転移陣に向かう。僕が飛ぶときにはもう主要貴族たちは既に学院に飛んだ後で、使われる者の居なくなった第一から第六は既に閉じられ始めている。残っているのは僕の兄妹たちと身分の持たない学生ばかりだ。


陣に手をついて深呼吸してから魔力を流す。僕の魔力は少し変わっているために、あまり家族以外に見せたくないが転移するのに魔力を使わないわけにはいかない。



「水色だと?」



シジル様の呟きが聞こえたが、正常に作動した転移陣は僕の回答を待ってくれず強制的に学院に飛ばされた。

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