第30話 契約魔法
正方形のその空間には窓すら無い。
外と通じると思われるのドアもあるが、今はしっかりと閉まっている。
灯りはあるが、それは炎の灯火である為にあまり明るい訳ではない。
その中でユウトはゆっくりとその瞼を持ち上げる。
自分がさっきまで何をしていたのか、何処に居たのか、誰と話して、何故ここに居るかなどは気にしない。
瞼を持ち上げる行為にそんな深い意味は無いからだ。
だがそんな思いとは別に、目から情報をキャッチする事は容易だった。
少女が二人。
赤みがかったピンクの髪をした少女と薄いピンクの髪をした少女。
どちらも見覚えがある二人だったが、その表情は初めての物だった。
赤みがかったピンクの髪の方は、ユウトの事をずっと睨み続けている。
薄いピンクの髪をした方は、ずっと下を向いている。
「確か……、氷を溶かして……。ぁ―――! 何だこれは!」
絶望の声を含ませたユウトは今、身動き一つ出来ない状況だった。
右腕を動かそうとするも、それは鎖で繋がれおり、左足を動かそうとするも、同じく動かない。
おまけに首に付けられた首輪の様な鉄の塊。
サビ臭く、鼻も開けられない。
つまり、ユウトは鎖で両手両足を縛られた状態であった。
「あら、起きたの? いっそこのまま永遠にその目を閉じていれば良かったのに」
「状況も酷いけど、君も大概酷い発言だな……」
「そう……」
素っ気なく返す赤みがかったピンクの髪の少女の目には、感情の色が見えない。
ユウトは平静を装っているが、内心は心臓が通常の二倍増しで働いていた。
そんな中でもユウトは、必死に脳を働かせ、何故この状況に至ったのかを考察していた。
頭の中にある情報は、朝の出来事。
目の前にいるピンクの髪の少女との会話。
そして、ユウトの能力で見たその少女の本当の名前。
何故それが、本当の名前だと思ったのかは、ユウトが自分の能力を信じていたからだ。
一度は自分に牙を剥いてきた能力だからこそ、その恐ろしさを知っているからこそ、ユウトは信じていた。
「で! これは、どういう事だ……。俺に……いや、俺が何をした?」
この状況で何も出来ないユウトは、ただ目の前の少女らを睨む。
何も出来ないからこそ、ユウトはそれを選んだ。
「質問を質問で返すところ悪いけど、貴方は私達をどうする気だったの?」
「どうって……、何を言ってるんだ! こんな身動き取れない状態にして、どうかしてんのはお前らの方だろ!」
「そう、意地でも話すつもりは無いのね……。それなら仕方ないわ」
そう言って赤みがかったピンクの髪の少女は腰から包丁を取り出す。
いきなり出てきた刃物にユウトは反射的に能力を使う。
命の危機。
この状態でユウトは、唯一の自分の武器であるそれを使う。
かと言ってどうこうできる状態でも無い。
だからこそユウトの選択肢はそれしか無かった。
【名前 ナーシャ・スーベント】
[レベル 10]
[能力 人形行使]
「ナーシャ・スーベント……」
「―――! 何故、なあたが私の名前を……」
ふいに出てきてしまったユウトの言葉に赤みがかったピンクの髪の少女、ナーシャは、眉を少し寄せる。
更には、先程感じられなかった怒りを目に宿している。
ナーシャ・スーベントという名前を見て驚きと共にユウトはその名を口に出す。
「いえ、もういいわ。貴方が何を知ってるのか分からないけど……。今すぐ、殺す!」
「ま、待て! これには深い理由が。いいから話を―――」
「お姉ちゃん待って!」
ユウトを殺そうとするナーシャの行動を止めたのは、その妹の薄いピンクの髪の少女、リーシャだった。
その言葉にナーシャはそのまま固まる。
そしてユウトもまた、死を免れた事に安堵していた。
「私がこの男を赤ん坊にする。だからお姉ちゃんが消える必要はないから……」
「……は?」
安堵の先に何があるかは分からないが、流石のユウトもこれは想像していなかった。
リーシャはユウトを赤ん坊にすると言った。
その発言の意図を読めず、ユウトは凍りつく様に固まる。
「俺を、赤ん坊にするって言ったのか? 聞き間違いだよな……」
「いいえ、聞き間違いではありません。私はそう言いました。あなたも私の能力を知っているんですよね?」
「『生命支配』……だろ」
ぽつりと出てきた言葉と共に、ユウトは目に力を入れて、能力を発動する。
あの時、ユウトがその少女を後ろから能力で見た時と、その光景は全くもって同じものだった。
だがしかし、リーシャはユウトの発言に少し困惑顔になる。
「生命支配……? 何を言いたいのか分かりませんが、私の能力は、体を戻すものです。それは一日前でも、三日前でも、この世界に命を授かる前にでも……」
「―――! ……それで、俺を赤ん坊にして、それからどうするんだよ!」
「決まっています。あなたを人の居ない路地に捨てます。そして、死んでもらいます」
「んなっ―――!」
それは勢いで言ってる物では無かった。
それがユウトに恐怖を与える。
確実にそれをする。
少女の目はそう訴えていた。
ガキが「殺してやる!」と、言うのとは訳が違う。
迫力が違う。
そして、リーシャは流れる様にユウトの体に触れる。
勿論、鎖で身動きが取れない状況であるユウトに拒否権も糞も無い。
リーシャの手は眩く光りだす。
今のユウトにはそれが死へ向かう絶望の光にしか見えなかった。
「ま、て……」
ユウトは最後の一言に何か言ってやろうと思った。
しかし、その行為が無駄になる程、リーシャの能力はユウトの視野を始めとするあらゆる五感を消していった。
故にそれ以上喋る事を許されなくなった。
絶望。
終わり。
命の。
命の、命の、命の、命の、命の、命の、命の。
そして、人生の―――。
大切にしようと意気込んだユウト。
この世界でたった一つだけの替えが効かない人生。
ユウトは、自分の事では無くみんなの事を思っていた。
ルナ、アオ、そしてフィーナ。
次に目を開けたときには絶望がまっている。
死が待っている。
ユウトは赤ん坊になり、ユウトの連れである他の面々も同じ目に会うのは言うまでない。
「―――あ、れ?」
絶望の光景が映る。
そもそも赤ん坊だから視界など塞がれると思っていたユウトの目線は先程と同じ状態。
変わっていたのは、目の前の薄いピンクの髪の少女の表情のみだった。
「うそ、でしょ……。これ以上戻せないなんて……。そんな……、私の能力は絶対にこの世界に産まれる前まで戻せるのに……」
命が助かったこの状況。
ユウトには安堵しか無いが、目の前の少女、リーシャは今の状況に頭を抱えていた。
そんな中でもユウトはある言葉に注目していた。
『この世界に産まれる前まで』。
なるほど、とユウトは目を瞑り頷く。
実際は首輪を付けられた状態なので頷けはしないが。
「なんで俺が赤ん坊にならないか教えてやろうか?」
「―――! それは……」
「もしこの鎖を解いてくれたら話してもいいぞ」
「その必要はないわ!」
有利な状況になったと錯覚していたがしかし、相手は一人では無いとユウトは今一度気が付く。
ユウトとリーシャの間に入ってきたのは先程まで黙って見ていたナーシャだった。
「私が殺すから」
ナーシャのその発言と共に少女の殺意がユウトの心臓を貫いた。
物理的な意味でそれを成した訳ではないが、それでもなお、ユウトの心臓は波打つ事を一瞬忘れかけていた。
「……お姉ちゃんが殺したら、お姉ちゃんが存在ごと消えるんだよ! それでも、いいの?」
「存在ごと消えてもどうでもいいわ。私の人生なんて消えても、無くなっても、どうでもいい」
「―――っでも!」
「誰とも知らない『お願い』に縛られるのはもう嫌なのよ! 私だって逃げたわ! 逃げて、逃げて、逃げて。こんな姿になって隠れて、隠れて、隠れて。……それでもこんな結果になるとしたら、私の人生はそうだったって事よ。そんな人生だっら、最初から無くていいわ!」
怒気をはらませたその言い分にそれ以上リーシャは何も言う気にはなれなかったらしく、黙る。
そして、そのナーシャの決断の元凶はと言うと、拳を強く握りしめ、小刻みにその拳を震わせていた。
それは死へ近づく事に恐怖を抱いている訳ではない。純粋な怒りだった。
目の前で繰り広げられている、ユウトになんの権利も無いユウトをどう始末するかの論争。
多少どうかとも思うが、ユウトはそれについては怒りを抱いていなかった。
それよりも―――。
「人生が無くてもいい? 消えてもいい? ふざけるな! ふざけるなよ! くそっ! 今すぐこの鎖を外せ! 今すぐだァ!」
それはこの世界に来て二度目の怒りだった。
一度目はアオを奴隷だと言われてカッとなった事。
だが、二度目である今の怒りはそれを遥かに凌駕していた。
鎖に繋がれながらも強引に藻掻く。
全身を使って藻掻いたせいで、言葉しか生まれなかったその空間にジャラジャラと鉄の音が響きわたる。
鎖で繋がれている体を無理に動かしたせいでユウトの肢体には痛みが加わるが、それを忘れる程、ユウトは怒りに包まれていた。
眉間に皺を寄せ、白い歯を見せ威嚇する。
その姿はまるで野良犬そのものだった。
さっきまでとは違ったユウトの一面に言い争っていた少女らは唖然として、その場で固まる。
それでもなお、ユウトは怒りを言葉に含ませながら、
「契約しろ! 俺と契約しろ! だから今すぐ俺の鎖を解け! 今すぐだ!」
「けい、やく……?」
「契約魔法のことね……」
「あぁそうだ! だから早く解けえ!」
ユウトは怒りを纏ってたがしかし、しっかりと今の状況を打破する方法を考えていた。
更に怒りを顕にしている事でリーシャとナーシャに考えさせるという機会を作った。
それは意図的にそうしたのでは無く、結果的にそうなったもの。
だがしかし、ナーシャにはその効果が効くことは無い。
「何故私達がそんな事をしなきゃいけないのかしら? そんな事、私達になんの利益にもならないじゃない」
「利益ならある! 理由もある! 俺にお前達の事を誰にも伝えない、と契約したら誰も死ななくて済むだろ……」
「お姉ちゃん……」
ユウトの案に薄いピンクの髪の少女、リーシャは賛成気味な態度を取る。
それにナーシャは横目で見ながら鼻を鳴らし、
「分かったわ……。でも、この男に契約の儀式が出来たらの話しだけれど」
そう嫌味混じりに言うナーシャは、ユウトの左手と右手に掛かっていた鎖を外す。
どうやら鍵でそれを外す事が出来たらしく、ユウトがあれほど藻掻いていたのにも関わらず、それは一瞬にして解けた。
そしてナーシャはユウトに刃渡り五センチほどのナイフを渡す。
何故ここまで事を素早く進められるのかは、きっとナーシャがユウトに敵意が見られないと判断したからだろう。
言うまでもなく、ナーシャはユウトが弱いのだと悟った。
開放されたのは右手と左手。
残されたのは首輪と両足。
それでも、契約の儀式とやらをするには十二分だった。
契約の儀式、それは自分で自分の左腕を刺し、血を出す事。
「怖気づいたのー?」
刃を左腕に近づけそのまま硬直しているユウトにナーシャは嘲笑うかの様にその言葉を漏らす。
しかし、ユウトにはその言葉は届かなかった。
己の恐怖心との戦い。
注射とはまた違った恐怖。
痛みを待つ事よりも、自分から痛みを加える事の方が怖いのだと今気づく。
だとしてもユウトはそれをする覚悟を決める。
絶対に教えてやる! 命の、人生の大切さを―――!
「―――ふンッ!」
決意と共にユウトは自分の左腕にその刃物を突き刺す。
勢に任せたユウトの左腕からは滲むように赤い液体が体内から体外へと流れ出す。
継続的に来る痛みはそれだけでユウトを暗闇の中へ誘った。
だがしかし、ユウトそれを阻止するかの様に自らの舌を噛む。
結果的にユウトは気絶する事なくその場に意識を留めた。
鈍い音と共にユウトの左腕からその血塗られた刃物は取り出される。
持つ気力も無かったユウトはその場に落としてしまった。
それを見たナーシャはニヤリと不敵に笑う。
目の前が既に霞んでいるユウトには、もう見えない事。
ユウトは少女が自分と同じく、刃物で血を出すのだと思っていた。
しかし、ナーシャはそんな面倒な事はせず、親指を口元に持って来て、がぶりと歯で噛む。
そして、そのままナーシャはユウトの今もなお血が垂れ流しになっている左腕に親指を近づけ、言う。
「―――儀式に従って契約を成立させるわ。私達の事を他人に口外しない事。そして、私の命令に絶対に従う事……よ」
ポチャリ―――と、ナーシャの血はユウトのその左腕へと落ちる。
そして、一瞬にして継続的に来る痛みがピタリと止まる。
原因は言うまでもなく赤く染められた魔法陣の様な紋章。
それがユウトの傷めつけられていた左腕を修復と言った形で効果を成す。
痛みが消えたのはそれでいい。
でも―――、
「命令に従うってなんだよ!」
「そのままの意味よ、私の言う事は絶対に聞く事。早速命令よ。ユサさんと呼びなさい。あともう帰っていいわよ。私、貴方と同じ空気吸いたくないから」
「ここに連れてきたのはユサ……さんらだろ! それにこれじゃあ帰りたくても帰れない」
そのユウトの惨めな姿を見て、ユサはユウトに近づきその鎖を解こうとするが、直にその足を止めて、
「もう一つ命令するわ。私達に被害を加えないこと、それとこの契約について誰にも話さないことよ」
「一つの命令が二つになったのはさておき……分かった! だからいい加減これ解いてくれ! 首が痛くなってきた!」
そう言いながらユウトは首を動かす様な素振りをしながら、鎖を解く様に促す。
それに応じたのは、ユサでは無くリーシャ、もといリサだった。
そして、鎖と首輪を解いたあと、ユウトに渡してきたのは一つの白いスカーフだった。
「これを身に着けてください。あなたも、私達も、契約の跡を見られるのは不利益になりますから」
「………そう、だな………」
立ってるのがやっとな現状。
だが、リサが言ってる事もまた事実なので、ユウトはその白いスカーフを右手と口を使って左腕で括りつける。
それから何をするでも無く、ユウトはそのまま一直線に出口へと足を運び、その空間から脱出した。
その空間を出る際、ユウトは色々思う節があった。
理不尽な拘束。
理不尽なやり取り。
そして、理不尽な少女。
前の二つは、結果的に無事とは言えないが、生きているからいいとしよう。
だがしかし、理不尽な少女の理不尽な発言だけはどうしても許せなかった。
怒りの感情を再び呼び起こすユウトは、地上へと続く階段を一つ一つ、ゆっくりと歩んでいった。
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