第35話 特別な愛 3

 宮沢賢治には『近親相姦説』があった。


 清人は、以前に真子から聞いた賢治と保阪嘉内との『同性愛説』は知らなかったが、賢治とトシの『近親相姦説』は何かの本で読んだことがあった。


 清人は正直、この説に関しては不快感があった。賢治とトシの美しい兄弟愛を、『近親相姦』と考えるのはいかがなものか、と清人は思った。


 しかし、生涯独身だったからとはいえ(当時それはかなり珍しかったからとはいえ)、『同性愛説』や『近親相姦説』が出るなど、宮沢賢治も大変だと清人は思った。これも有名ゆえなのだろうかと。


 ただこの『近親相姦説』は、単なる下世話な憶測ではなく、世界各地の神話などを例に出したある種神聖なこととして語る研究者も多かった。


『兄妹』というのを神話を基にして語るそのやり方自体は、清人は気に入っていた。神話まで持ち出して『兄妹』に神聖さを見出すのは少々大袈裟な気もするが、妹を愛する清人にとって悪い気はしなかった。


 自分のことはさておき、清人は賢治のトシへの眼差しを考えた。賢治は詩の中で何度もトシのことを想っていた。


・・・ああきょうのうちにとおくへさろうとするいもうとよ

ほんとうにおまえはひとりでいこうとするか

わたくしにいっしょに行けとたのんでくれ

泣いてわたくしにそう言ってくれ


・・・ああ何べん理智が教えても

私のさびしさはなおらない

わたくしの感じないちがった空間に

いままでここにあった現象がうつる

それはあんまりさびしいことだ

  (そのさびしいものを死というのだ)

たとえそのちがったきらびやかな空間で

とし子がしずかにわらおうと

わたくしのかなしみにいじけた感情は

どうしてもどこかにかくされたとし子をおもう


『春と修羅 第一集』の多くの部分で、賢治はトシへの想いを詩にしていた。


 それはどこまでも切実で、寂しさに溢れ、最愛の妹を失った哀しみが伝わってきた。


(とても『シスコン』という単語だけで、軽率に評価されるべきものじゃないじゃないか)そう、清人は思った。


 ただ清人は、トシへの詩の中の一つ、『青森挽歌』の一節をふと思い出した。


(みんなむかしからのきょうだいなのだから、けっしてひとりをいのってはいけない……)


 清人は思い出したように、自分のベッドの方へ向かった。そこには付箋だらけの『宮沢賢治全集 書簡』があった。


 清人は真子に勧められて以来、宮沢賢治の手紙をよく読んでいた。


(「『作家の手紙』というのは面白いものよ。特に手紙というのは、不特定多数の人達に見られることを想定していなかったりするから、作家の意外な一面を垣間見ることができるの」)


 横浜デートした時の真子の言葉を、清人はずっと覚えていた。自分にとってとても斬新な視点だったからだ。


 清人は全集の付箋を付けたページを開いた。そこには『高瀬露あて』と書かれていた手紙があった。


清人はこの『高瀬露たかせつゆ』という人物が、非常に気になっていた。賢治の親族以外では数少ない女性あての手紙だったからだ。


 清人は賢治と高瀬の関係に思いを巡らせた。


・・・宮沢賢治はストイックな生涯を貫きずっと独身であったが、女性と全く縁が無い訳ではなかった。


 大正三年(1914)、賢治が18歳の時に肥厚性鼻炎の手術のために盛岡市の岩手病院に入院したおり、そこの看護婦に恋をしたことがあった。結局それは賢治の一方的な片思いで、両親に結婚の許可を願い出たが許されなかったらしい。


 その他にも宮沢賢治の女性関係に関しては色々な証言があるがどれもはっきりしていない。


 その中で『高瀬露』という存在は、宮沢賢治の生涯の中でも特異な女性として存在感が際立っていた。


 宮沢賢治は大正十五年(1926)に花巻農学校の教職を辞してから、農業技術や農民芸術を教えるための『羅須地人協会』を設立した。


 保阪嘉内あての手紙でも「来春はわたくしも教師をやめて本当の百姓になって働らきます」と書かれている具合で、農民のために生きる決意と覚悟は大きかった。


 しかしその羅須地人協会の活動中、一人の女性が現れた。


 その女性こそが高瀬露で、賢治よりは5歳下で小学校の教師をしている女性だった。


 高瀬は賢治のもとへしばしば出入りして協会の活動を進んで手伝った。当初は喜んでいた賢治だったが、彼女の存在が周囲の人に取り沙汰されるようになると、とても困惑したらしい。


 賢治は高瀬の情熱・愛にたじろぎ、彼女に対して居留守を使ったりした。何とか高瀬を傷付けぬよう、苦心して高瀬を避けるように賢治はなっていった。そして結局、二人は結ばれることはなかった……。


・・・清人が『高瀬露』についての解説や本を読んでみると、こういう風に書かれていた。


 清人は賢治の苦悩と葛藤を考えた。さらに、もし賢治が高瀬と結ばれていたらどうなっていたのだろうか? そんなことも考えた。


 そして、続けて『高瀬露あて』の賢治の手紙を改めて読んでみた。


・・・私は一人一人について特別な愛というようなものは持ちませんし持ちたくもありません。そういう愛を持つものは結局じぶんの子どもだけが大切というあたり前のことになりますから。


 この高瀬あての手紙の一節は、清人の心に大きく響いた。


 そして、賢治のこの言葉の意味を、清人は深く考えてみたくなった。


『特別な愛』


 この言葉は、宮沢賢治にとっても、自分にとっても大きな意味を持つ言葉だと清人は思った。

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