第26話 一変聖人エデン 2
「清人の部屋?」健次郎は聞き返した。
「そう。健次郎は入ったことあるか?」
「いや、そういえば無いな。清人の家に遊びに来る時は大体リビングでゲームしたりとかだもんな」
「その通り。何回か遊びに来ている我々でもまだ『清人の部屋』に入ったことがない。だから気になっているんだ。皆は気にならないか?」
リビングではしばし沈黙があった。しかしこの沈黙こそが答えで、四人とも『気になる』という点では共通しているようだった。
「……気にならないと言ったら嘘になるけど、それはさすがにちょっと」一花は少し困った表情を見せた。
「さすがに清人のプライバシーを無視するようなことはちょっとな。いくら親友といってもやって良いことと悪いことがあるぜ」健次郎も同意した。
「いや、こんなことただの悪ふざけで言っている訳じゃない!」善幸は叫ぶように言った。
「本当に気にならないか? 清人のあの正直で高潔な人格は、一体どこから来たのか」
「何でそんな話になるんだよ」
「……個人の部屋というのは、その人の性格・習慣・趣味嗜好が凝縮された空間だからな。清人の生き方を知る手掛かりになるかもしれんのだ」
リビングは静まりかえった。善幸の言葉は三人にも響いたようだった。「見てみたい」という気持ちが、三人とも強まっていた。
「いや、でも、うーん……」
健次郎は頭を抱えた。友情と興味の間で大きく葛藤しているのが誰の目にも分かった。
「賀野君が帰ってきてから許可を取ったら?」一花は提案した。
「いや、それではダメだ」善幸はきっぱりと言い切った。
「あくまで部屋が自然な状態が良いんだ。他人が入るとなると、その前に清人は余計な物などを片してしまうだろう。だが『他人に見せる用』の部屋ではない状態で見ないと意味が無いと思うんだ」
「まあ、確かに……」
「俺も正直心苦しい。だが親友である清人の気持ちや考え方を知りたいという欲求が強いんだ」善幸は答えた。
またしばらく沈黙が続いたが、その沈黙を打ち破るように
「行きましょう」と真子は言った。
「春川さん」
「私も村岡君と同じ気持ちよ。賀野君の価値観を形成したのが何なのか、興味があるわ」真子はきっぱりと言い切った。
「おお、まさか春川さんから同意を得られるとは」
「ただし、条件を付けましょう」
「条件?」
「家捜しするような真似はやはり良くないわ。賀野君の部屋に入るにしても、彼の私物に触れたり引き出しを開けたりすることは一切しないようにしましょう」
「なるほど」
「どちらにせよ賀野君のプライバシーを侵害することには変わりないわ。もし賀野君にバレたら私の方から謝っておくわね」
「いや、そういう訳には……」
善幸がそう言うが早いか、真子は清人の部屋の方へと向かっていった。他の三人は真子の後を慌ててついていった。
「賀野君の部屋の位置って分かる?」真子は尋ねた。
「ああ、場所だけは知ってる」健次郎は答え、真子を案内した。
四人は清人の部屋の前に来た。四人とも葛藤がありつつも、どこか未知の世界へ探検に向かうような妙な高揚感があった。
「じゃあ、行くわね」
真子はドアノブに手を掛け、ゆっくりとドアを開けた。四人は次々に清人の部屋へと入っていった。
一見するとごく普通の部屋であった。男子の部屋にしては綺麗に整理整頓されていて、窓の方には制服が掛けられていた。勉強机やベッドなどもあったが、何より本が山のようにあった。
「……凄い量の本だな」
「ある意味賀野君らしい部屋だけどね」
四人はざっと部屋の中を見渡した。健次郎は清人の勉強机の上に置かれていた本の存在に気づいた。
「何だこれ? いっぺんじょうにん?」
「『
そこには『一遍上人絵伝の世界』と書かれていたパンフレットがあった。どうやらどこかの美術館の企画展の展示図録のようらしい。
「一遍って……確か鎌倉時代の人ですな」善幸は言った。
「そうね。時宗の開祖で、『踊り念仏』でも有名よね」真子も答えた。
「清人の奴なんでこんなの持ってんだよ」
「確かにね。何か関係があるのかな」
「……ここって遊行寺が近いから、関係無い訳ではないわね」真子は答えた。
「遊行寺って藤沢の?」
「そう」
「ああ、確かに俺とかバスで清人の家から藤沢駅まで帰るけど、途中で遊行寺を通るな。ここからバスで10分くらいだと思う」健次郎は口を挟んだ。
「遊行寺って一遍と関係あるの?」
「関係あるもなにも、遊行寺は時宗の総本山よ。国宝である『一遍上人絵伝』も遊行寺が収蔵しているの」
「へえ、そうなんだ」
「でも『遊行寺』って聞くと何か楽しそうな寺の感じがするな」
「そうだね、『遊』って文字があるもんね」一花も同意した。
「遊行寺の正式名称って知ってる?」真子は尋ねた。
「いや、分からない」
「『遊行寺』という名称は近世からの通称で、正式名称は『清浄光寺』と言うの」
「そうなんだ」
「『清浄光寺』だなんて、彼にぴったりの名前のお寺よね」
真子はとても楽しそうに言った。一花はそんな楽しそうな笑顔をしている真子を見て、清人が少し羨ましくなった。
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