第7話 断ち切る少女


 私はとある一家の長女として生を受けた。

 名前と想いを受け取ってもその意味が分からず、ただただ無為に生を謳歌していた。


 私という存在は空っぽだ。

 生まれてすぐに立ち上がることもできず、

 生まれてすぐに感情を出すこともできず、

 生まれてすぐに話すことさえできなかった。

 自分の中には何も無く、それが当たり前だとさえ感じながら生まれてきた。


 空っぽな私は何も考えず自分の居場所を見渡す。

 何もない真っ白な部屋。

 その部屋の中で私の顔を覗き込む、男性と女性。

 その二人が誰だかはわかっていなかったが、本能的に親であると感じていた。


 何もない真っ白なキャンパスに色々と書き込もうとする父親。

 何もない空っぽなイレモノに色々と詰め込もうとする母親。

 私はそんな“親の愛情”を一身に受け、育っていった。


 親の愛情を受け取れば子供は理解できる。

 自分は望まれて生まれてきたんだと。

 しかし、両親が生んだ私は両親の想い描くような子供ではなかった。

 私は一番初めに生まれた子供としては不出来だったのだ。

 父親から受け取った知識はすぐに捨ててしまった。

 母親から受け取った感情はすぐに捨ててしまった。


 なぜ自分が無闇やたらに受け取ったものを捨てるのか自分でも理解できない。

 それでも“自分がやるべきこと”と信じて疑わず、自分の空っぽな器に入り込むたくさんの宝物は、私の手によって切り捨てられていった。

 いつまでも空っぽでいることが私らしくある方法だと思っていた。


 私が生まれて少し経ったあと、妹が生まれた。

 感情豊かで人間らしく、私とは正反対と呼べる存在。

 彼女は我々姉弟の中で最も良くできた娘だ。

 大きくなるとすぐに両親の手助けをしていた。

 両親も彼女の存在に大きく助けられていた。


 そんな中、いつまでも空っぽなままの私。

 そんな私は妹を見つめながらボーッと考える。

 私はなんでこの世に生を受けたんだろう?

 その問いは私の中に虚しく響くだけで返ってくることはない。


 無為に過ごした生の中、私は自分の中に生まれた全てを捨てて、自分の中身を空っぽにし続けた。

 あれからどのくらいの月日が経ったのだろう?

 自分の髪を触りながら思う。

 父親譲りの黒髪はいつの間にか白く透き通っていた。

 母親譲りの赤黒い肌はいつの間にか白くなっていた。

 二人が持つ綺麗な漆黒の瞳はいつの間にか赤くなっていた。


 こんな変わり果てた姿の私を見ても、お母さんは私を見捨てなかった。

 こんな変わり果てた姿の私に対しても、お父さんは愛情を捨てなかった。

 こんな変わり果てた姿の私がこの世に留まれるよう二人は私に“仕事”を与えてくれた。


 私に与えられた仕事は目の前に現れたモノを“断ち切る事”。

 部屋の中に漂う“よくわからないナニカ”を見つければ、即座にそれを切り捨てるというだけの簡単なお仕事。

 いつの間にか自分の手に握られた刃がキラリと光る。

 その白く輝く刃でナニカを切り落とすたび、自分が生きている実感を得ることができた。


 自分が切り捨てたナニカは切り離された後に真っ黒なモヤとなる。

 徐々にそれらが足元に溜まっていくが、私にはその意味がよく分かっていない。

 だからこそ、私はそれらをただただ無機質な目で見つめ、自分のやるべきことをやり続けた。

 私のしでかしたツケを“妹”が払っているとも知らずに……。


 ふと、気付いた頃には私たちのいた部屋は黒く染まっていた。

 なぜ黒くなったのかはわからない。

 それでも私は刃を振り続ける。

 その手に相変わらず白いままの刃を携え、命じられるがままに自分でも理解できないモノを切り捨てるだけの人形。

 断ち切ることが私の存在意義。

 切り捨てることが私の存在意義。

 空っぽでいることが私の存在意義。

 私は私でいるために刃を振り続けた。


 ある日、仕事が無くなった私は真っ黒になった部屋で泣き喚く妹たちの存在に気がつく。

 彼女たちが何で泣いているのかさえ、私にはわからない。

 皆が取り囲む中で横たわっている女性は誰なんだろう?


 なんとなく私はその女性の顔を覗き込みに行く。

 あれ?

 この人……どこかで見た覚えがある?

 どこで?

 なんで?

 ふと、頭によぎった“記憶”に私は混乱する。


 頭が急激に沸騰する。

 感情が制御できなくなり、色んな感情が私の中でぐちゃぐちゃに混ざり合う。

 気づけば私は泣き叫んでいた。


「あぁああぁぁぁぁあぁあぁぁああぁぁあぁぁぁぁ!!!」


 獣のように天を仰ぎ、駄々をこねる子供のように身を捩らせた。

 今まで自分がしてきたことの過ちに気がついた。

 今まで自分がしてきたことの罪深さに気がついた。

 今まで自分がしてきたことの愚かさに気がついた。


 私は今まで何を切り捨てていた!?

 私は今まで何で切り捨てていた!?

 私の中にある何を切り捨てていた!?


 私は誰だ!?

 私は“人間”だ!

 なんでそんなモノが“人間らしさ”を切り捨てた!?


 一体、いつから……?

⇒ 私が生まれた時から

 なんでこんな事を……?

⇒ 空っぽでいることが正しいと感じたから

 なにを私は斬り捨てて……?

⇒ 感情をはじめとする“人間らしさ”

 どうやってそんなモノを切り棄てられた……?

⇒ 私の手にした純白の刃によって

 誰が望んだ……?

⇒ 他でもない私自身


 なんでお父さんは私にそれを命じた!?

 なんでお母さんは私にこれを与えた!?

 なんで自分たちを蝕む毒と知ってて尚、私に存在意義を与えようとした!?


 それが限りなく“誤り”に近く、“正しい”からかけ離れていた行為であっても誰も止めなかった。

 自分が倒れて、死にかけている今でさえ彼女は口を開かない。

 いや、もう……口を開けないのかもしれない。


 と、考えが行き着いた時……。

 私の口から叫び声が消えた。


 私の精神は崩壊寸前だった。

 身体は自己破壊が進み、体中にヒビが入る。

 まるで、水の枯れた大地のように

 まるで、大切にしていた陶器を落としてしまった時のように


 私の体にはどんどんと大きな傷が刻み込まれていった。

 自業自得だ……。

 自分で自分に刃を向けていたのだから。


 悲しみから溢れる涙は私の身を濡らす。

 冷たい水が目から溢れ出し、私の体を無情に通り過ぎ……。

 誰かがそれを掬う。

 誰?


 私の体に触れるのは誰?

 私の体に抱きつくのは誰?

 私の耳に声を届けているのは誰?

 私の心に暖かさを届けているのは誰?


 気づけば私の目から流れ落ちる涙が止まっていた。

 よくよく辺りを見渡してみると自分の体にまとわりつく様に妹たちが抱きついていた。

 そんな妹たちを見て、私はさらに涙を溢れ流す。

 なんでこの子達は私を糾弾しないんだろう?

 なんでこの子達は私に罰を与えないんだろう?

 なんでこの子達は私を排除しないんだろう?

 なんでこの子達は私をまだ家族のように受け入れてくれるんだろう?


 私はこんな状態でも人形のように立ち上がる。

 抱き着く妹たちをそのままに私は立ち上がる。

 私は一人で立ち上がったつもりはない。

 こんな壊れかけの体で立ち上がれるわけがない。


 いつでも彼女たちが私を支えてくれる。

 いつでも私たちが私を支えている。

 そんな想いを胸に私は……失いかけていた自分の“本来”の役割を思い出す。


 自分の名前を今一度、胸に秘め、この手に刃を握る。


 さぁ、この手にある刃は何を斬る?

⇒ この部屋に不必要なモノ全て

 さぁ、この手にある刃は何を断つ?

⇒ 私の大切なものを蝕む全て

 さぁ、この手にある刃は何を抱く?

⇒ 私の名前と与えられた意味


 人形のような少女の紅い瞳が熱を帯び、黒く染まる。

 人形のような少女の白い髪が広がり、黒く染まる。

 人形のような少女の白い肌が粟立ち、赤黒く染まる。

 人形のような少女の手に白い刃が光る。


 その決意と熱意を帯びた瞳で……自らの手に握った刃を自分に向ける。

 自らを貫いた刃は私をキチンと断ち切り、切り分ける。

 そのまま私は幽鬼のような足取りでゆったりと母に近づき、私のすべて使って母の傍に蠢くモヤを断ち切り、切り裂き、捨て去る。

 要るモノを切り捨てれば未練となってこの部屋に留まる。


 だから、要らないモノだけを断ち切り捨てる。

 それが私の本来の役割。


 時には記憶を。

 時には感情を。

 時には人格すらも。

 目的のために不要なものは私が断ち切り、取り除く。

 目的のために大切なものは私が断ち切り、切り分ける。


 自らに問おう「私は誰だ?」


 自らに答える「私の名前は“龍姫(たつき)”」


 両親から願い受けたるは“断ち切る少女”。

 母に最も近く、その血を強く受け継いだ龍の姫。

 父に最も近く、その弱き心を受け継いだ人の類。





「龍姫」


 後悔の中、私の名を呼ぶか弱き母の声に私は涙する。

 未だに黒の残るこの部屋で、僅かに現れた白に包まれた彼女は息を吹き返していた。

 私は喜びに身を震わせ、未だ嗚咽の残るその口から声を出す。


「母上」


 私の声は彼女に届き、彼女はそれを聞いて弱々しく微笑む。

 あぁ……、私にもあったんだ。

 私の頬に触れる母の温もりに私は安堵する。

 私の目から溢れ落ちた涙は母の手を伝い、優しく部屋を雪いだ。



 これは“自分には何もない”と断じていた“か弱き少女”の物語。

 これは“自分”を探し出す物語。

 これは“己”を見つめ直す物語。

 これは“私”が“私”でいることを認めた物語……。





 自らを認めることで救われたちっぽけな一人の人間のお話。




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