剣も魔法も冒険もない異世界です。

詩野ユキ

第1話  その異世界はただの世界です。

 1. 馬鹿

 12月中頃、本格的な冬に入り、吐く息は白く、手先の感覚が寒いを超えて、痛いに変わってきたこの時期.

大晦日前の繁忙期ということで、寒さにも負けず、残業にも負けず勤勉に働く社会人方々。そして中学校、高校に所属する学生さん.1、2年生の学生はまだ楽しいスクールライフに浸れているだろうが、3年生の学生さんは目前に迫ってきた受験という現実に心に不可圧力をかけられていることだろう。

 色んな人がいる。勿論、中には忙しさやストレスとは無縁に悠々自適な人もいるだろうが、おそらく大体の人が大変な思いをしていることだろう。

 楽ではない時期。

 そんな世間がいそいそと汗水たらしている時期に、その少年はいた。

真冬の夜の神社。街のはずれにある小さな神社故に、少年以外に人はいない。そんな場所に一人でいるとは、呪いの藁人形でも木に打ち込むつもりか、はたまたよっぽど神社のお参拝が好きなのか。

 少年は中学校3年生であった。一般的にみれば受験を控えた大変な時期、真面目に勤勉に誠意的に生活をしている者ならば、机に齧りつて参考書とにらめっこでもしていることだろう。こんな場所に夜中に一人でいる時点でお察しだが。

少年は普通とは違った。

少年は白い息を吐きだして、足元に並べられた、自分で用意したゴム製のオレンジ色の球体を一瞥する。キリッと鋭い表情になると、誰もいない神社で、両手を天に掲げて叫んだ。

「いでよシェ〇ロン! 俺を異世界に転生させてくれ! 」

 この少年は馬鹿である。

 異世界転生を夢見て早十年、夜な夜な異世界転生するための儀式を行い続ける馬鹿な少年がここにいた。少年の名は月城明である。

 叫び声をあげるが勿論、球が光りだして緑色の龍が飛び出してくることもなく、神社は虚しい静寂に包まれた。

 明が足下に並べたボールの一つを掴み地面にたたきつける。オレンジ色のボールが神社をドムドムと跳ねて転がっていった。

 明は転がるボールを見て歯を食いしばる。

「くそぉ!! なぜだ! なぜ! 俺は異世界に行けないんだ!? なあ神様見てるなら俺を転生させてくれよ! 毎日お賽銭十円いれてんだろ!? もう3万円は超えてるぞ!? がめつくないか!? 」

 社に向かって、クレームを入れるが勿論返答などあるわけもなく。少年の叫びは冬の芯まで冷える辛辣な夜風によってかき消された。

 明ははぁーと大きなため息をついた。ポケットをごそごそと乱雑に弄り、中から十円玉を取り出す。慣れた手つきでお賽銭箱に放り込んだ。

「………今日はもう帰るか」

 ポツリと呟き、儀式に使ったオレンジのボールを回収する。先ほど一個たたきつけてしまったせいで、社の前から離れ、神社の階段前まで転がっていた。自分でやったのだから仕方がないとはいえ、明は全然異世界に行けない現実のままならなさに、こういう些細なことにも少しイライラしていた。早足で向かう。

 そして、階段前のボールに手を伸ばそうと体を屈めた時、抱えていたボールの一つが腕をすり抜けて落ちてしまった。

 慌てて拾おうとするも、イライラしている時ときに物事は大抵うまくはいかない。拾おうとして手を伸ばし、また新たにボールが落ちる。

「くっ……!! こ、このっ! このやろっ……………………あっ!? 」

 こめかみをピクピクさせて必死にボールを拾おうとする明。どうにかボールを拾えたと思った時、明の視界が一瞬で90度傾く。何が起こったかと、茫然と見開かれた明の視線の先には、最初に拾おうとしていたボールを踏んでぐにゅと曲がる自分の足首が映っていた。手遅れである。明はそのまま体制を崩し、階段の頂上から転げ落ちていった。それそれは見事に、人間と言うよりもまるで人型の人形が転げ落ちるかのように、乱雑に転げ落ちていった。即死であった。


「………!? 」 

 明はぱっと目を開いた。自分の体のいたるところを触る。痛みはない。勿論、体には傷一つなく、引き裂くような痛みも感じなかった。だが、階段から転げ落ちた記憶は鮮明に残っていた。これは一体。

 少し冷静になった頭であたりを見渡し、すぐに明は明らかな異常性に気付いた。明はほとんどが真っ黒の、宇宙空間のような場所に立っていたのだ。足元はしっかりと感覚があるが、視界には自分が浮いているように見える。そしてまた、新たな異常を見つける。この宇宙空間のような場所に、明以外に4人の人型の生物がいた。生物と現したのは4人が現実ではありえない風貌をしていたからである。一人は真っ赤なドレスにこれまた真っ赤な髪に、これだけならまだ派手な人間なのだが、髪の先っぽや、ドレスの裾が燃えていたのだ。まるで炎と一体化しているかのようで。そして同じように他三人にも現実ならばあり得ない特徴があった。体がスライムで出来ているみたいな半透明な女性に、小さな竜巻を椅子代わりに宙に浮いてるロリっ子。そして、ドワーフのような体型のひげ面のお爺さんである。その4人は木製の円形テーブルを囲むように座り、一枚の紙を手に持ち、険しい表情で議論していた。

 明はその姿をぼんやりとした視界で見つめたいた。最初はクエッションマークに支配されていた頭だったが、だんだんとその「?」は消えていく。そして、そう経たずして明の頭の中には、無数の「!」が浮かんでいた。

「異世界転生じゃあ!! 」

 念願の夢が叶った瞬間である。


2.偶然夢が叶うとでも? 現実にエンタメ性はない。

 明が雄叫びを上げたことにより、円卓を囲む四人の視線が一斉に明に向いた。明は喜々として語りかけた。

「これはそういうことですよね!? 3万円の価値はあったということですね!? 転生特典は何ですか!? 右手に刻印を刻む感じでお願いします!! 」

 にっこにっこな笑みを浮かべる明は、心底嬉しそう。ほんの数分前に階段から転げ落ちていたというのに、今にも蕩けてしまいそうなほど表情を緩めていた。

 ……バッドエンドでハッピーライフの始まりか、そんな気分の明だが。

きょとんとした様子で明を見つめていた四人。その表情が引きつったものに変わった。そして、再び4人は円卓を囲み何やら、ひそひそ声で話しだしたかと思えば、ドーワフのような見た目をしたお爺さんが気まずげに明を横目で見る。明は純粋な目をして鼻息を荒げる。その表情にお爺さんは頬を引きつらせた。こ、こほんと咳ばらいをした。

「………き、君は自分の状況を理解しているみたいだね? そ、その……どういう認識か私に軽く説明してもらえないかな? 」

「はい勿論! 長年異世界転生を夢見て早十年。人生の最後はあんなにも呆気ないものかと思っていたら、真っ暗な不思議空間にスタンディングナウ。こんな展開一つしかありえない。……ふふっ、神様は俺を見ていてくれたということですね。さっきはがめついとか言ってすいませんでした。………………ところで俺はどんな異世界に? 」

 お爺さんは眉間に皺を寄せて、頭痛を堪えるかのようにおでこに手を当てていた。

「どうしたんですか? 体調がすぐれないんですか? 背中さすりますよ」

「あ、いやいやだいじょ」

 お爺さんが断ろうと、目を開けて固まった。

明はわざとらしくチラッと視線を向けて、

「…………こんな優しい少年はさぞかしいい異世界に」

「………ほ、ほほほ。ちょ、ちょっと待っててね」

 お爺さんは分かりやすく引きつった笑みを浮かべていた。

「はい! 」

 ギラギラと目を光らせる明。お爺さんはぎこちない笑みを向けると、再び四人とひそひそ話を始めた。

 晴れやかな明の転生者人生が今……!


 円卓テーブルサイド

爺(おい。なんであの子はあんなに期待値が高いんじゃ? )

体が半透明の女性(最近の日本は異世界物が多いからね~。それに分かりやすく影響を受けちゃったんじゃない? )

火のドレスの人(じゃない~、ってそんな適当に言ってるけどどうするのよ! あの子が転生される異世界はもう決まってるのよ!? 知ったら絶対がっかりするよ!? 目ギラギラよ!? )

風の少女(…………階段から落ちて死んだ人が魔物と死闘を繰り広げるような異世界に行けると思ってるのは、日本の平和ボケした思想が染みついてるよね。異世界はそんなに甘くないって言ってあげたら? )

爺、火、水(((…………)))

風(…………な、なんでみんな僕を見るのさ? )

火(…………人を傷つける覚悟がないならそんな大口叩かないでよね。全く、シルフはまだまだ子供ね)

爺(お、おい!? そんな煽るようなことっ! )

風(…………なっ、なんて!? いいよ! いいよ! じゃあいったるよ!! )

水(……ちょっシル!? イフ! なんであんたもそう言うこというのよ! )

「そこの君! あなたが行く異世界がどんなところか教えてあげるわ! 」

 小さな竜巻の上に座る見た目は10歳ほどの少女が、びしっと明を指さす。明は思わず背筋を伸ばした。

「はい! 」

「それはね! 魔法も魔物もっ……!? 」

 と言いかけたところで、火のドレスを纏う女性に羽交い絞めにされ、口を塞がれた。ふがふが言って必死にもがいている。

「………? 」

 ポカンとする明。慌てた様子で、ドワーフみたいなお爺さんと半透明の女性が明の視線から遮るように二人の前に立った。

「す、すまんの! まだこの子は精霊になってから期間が浅くて変なことを言っちゃうんじゃ! だから気にしないでくれ! 」

「そ、そうなの! ほら見た目も子供でしょ? 」

「こ、こらっ暴れるなっ! 」

「んぐっ! んぐっーー!!! 」

 明は体を傾けて、後ろで死闘を繰り広げる火の女性と風の少女の姿を覗き見て、

「なんか、凄く反論がありそうな目で睨んでますけど……」

 お爺さんと水の女性も二人を一瞥するが、

「「気にしないで。いつものことだから」」

「……そ、そうですか」

 どうやら賑やかな人達らしい。

「……じゃああの子ことは置いておくとして」

 ビクッとお爺さんと水の女性の方が震えた。二人は一瞬視線を左右にオロオロさせる。かと思ったら、今度は無言で視線だけで何かを探り合う。そして、何か覚悟が決まったのか、険しい表情になると、頷き合った。

「……で、俺の転生はどんな感じになりそうですか? すんごい魔法とか剣技とか授けてくれちゃう感じですか? 」

「………あーーーうん。君がいく異世界はそうだね。いいとこだよ? な、なあウンディーネ? 」

「そ、そうね! 希望と活力に満ちてる良い世界ね!? 」

 やけに抽象的な表現だった。

 明は眉をしかめる。

 すると、

「じゃ、じゃあ早速転生しちゃうから! その世界での過ごし方は転生先の方で分かるようにしとくからね! 」

 言うや否やお爺さんが両手を明に向ける。途端、明の足元が光りだし、紫の魔法陣が出現した。

 明はぎょっとした。

「も、もう転生ですか!? 特典は!? 」

 水の女性が親指を立てて、引きつった笑みを浮かべる。

「転生者にはどんな場所にも適応する能力がいるのよ。特典の方は…………心配いらないわ! 」

「なるほどそう言うことっ」

 と言葉半ばのところで、一瞬残像を残し、明の姿が消えた。呆気ない転生の瞬間であった。


「「……」」

 明が消え4人だけとなった不思議空間にはもがもがっと風の少女のもがき声だけが聞こえていた。お爺さんと水の女性は気まずそうな表情で先ほどまで明が立っていたところを見つめる。ポツリとお爺さんが呟いた。

「こんな乱暴に転生してよかったのだろうか」

「………で、でも仕方ないでしょ。最近は難易度の高い異世界しか残ってないんだから、“今後戦闘が必要となる異世界転生者は転生前の世界で優秀だった人材を選ぶ ”ことって決めたんだもの。あの子を送りこむわけにもいかないでしょ」

「……まあそうなんだが」

「良い感じのレベルの魔王がいた世界も一時期シルフがほいほいと転生特典を与えて転生者を送り込んだせいで、世界のバランスが崩れちゃったし。そのせいで転生者特典の在庫も少ないし」

 そう言って羽交い絞めにされている風の少女に鋭い視線を送る。

「………」

もがき声が聞こえなくなった。

「……そうだったな。はぁ……優秀な転生者も欲しいが、丁度いい魔王適性のある人間はいないものか」

「魔王なんていう転生者にボコされる不憫な役職やりたがる人はそうそういないわね……」

「そうじゃなぁ」

 お爺さんは遠い目をしていた。


3. 転生?

「………はっ!? 」

 短時間の内にここまで立っている場所が変わることもそうないだろう。気付くと明は石造りの部屋に突っ立ていた。大小異なる長方形の石が詰まれ、その間には石膏のようなもので固められていた。床は木造で、歩くたびに僅かに軋む音がする。見覚えのない部屋、年代を感じる作りである。部屋の隅にはなぜか一段ではなく二段ベッドがあったが、そんなことは今の明にとってどうでも良かった。

明はおそるおそる壁まで近づき、触れた。触ったら倒れるなんてことはなく、手にはザラザラとした感触が伝わる。

 これはちゃんとした現実だ。

「っ………!? 」

 興奮で武者震いをする明。異世界に来たという実感がだんだんと湧いてきた。

呼吸が荒い。まるで薬が切れた中毒患者みたいであった。

危ない興奮を見せる明は次に窓に視線が向いた。外を覗いてみると……。

明はもう部屋を飛び出していた。

 明の視界には、明が長年待ち望んでいた理想ともいえる光景が映っていた。

 石畳の街路。その街路を除きこむように両サイドに並ぶ家々は、先ほどの部屋と同様に石造りのものが多い。ただ、明が目を見開いて光のような速さで部屋を飛び出したのは、この景色が理由ではない。

 その街路には、人ならざる見た目をした様々な生き物が闊歩していたのである。体中が鱗に覆われ、ワニのような瞳をしたまるでリザードマンのような者や。ツンツンと尖った耳に、ガラスの陶器のような透明感と美しい顔立ちをした所謂エルフと呼ばれる者。その他にも、身長3メートルほどの大男や、体中が包帯に巻かれたミイラのような者。大部分は人間と変わらないのだが背中に翼を持ち、鷲のような足をした女性、ハーピィと称されるものだったり。神話でハーピィは醜悪な顔と言われていたが、この世界ではとっても美人であった。

 多種族が雑多に入り乱れる、人種のサラダボウルならぬ、種族のサラダボウル空間がそこには広がっていたのだ。

 誰も自分とは違う種族がいても、違和感を持っていない。道端の果物屋では、エルフの少年と大人のリザードマンが仲良く談笑していたり、この街はそこそこの喧騒にまみれ、平然と時間が流れていた。

 異世界転生に少し不安が残っていた明だったが、もう心に一切の曇りはなく。明の心には、澄みきった青空が広がっていた。

(まじで異世界だぁぁぁぁぁ!!! )

 異世界転生したとなれば、明の中でやることは早い。歩いている人たちを観察して、その中でひと際強そう人探した。すぐにめぼしい人が見つかった。おでこの上に二本の角を生やし、口の隙間から牙をのぞかせる鬼のような見た目をした厳つい男性。おそらくオーガと呼ばれるものだろう。明はトタトタと駆け寄って声をかけた。

「あのっすみません。冒険者ギルドってどこにありますか? 」

「………あぁ? 」

 オーガの男性が足を止め、振り返る。視線だけで人を殺せそうな威圧感であった。明は一瞬、逃げようかなと思うも、なんとか踏みとどまる。異世界に転生したら長年言おうと思っていたセリフ集を思い出し、キリっとかっこつけた表情をして言った。

「ふっ端から見て分かりましたよ。あなた相当な実力者でしょう? おそらく冒険者としてそれなにり名をはせていると…………なぜ、分かるって? ふっ、まあ僕も少しは腕に自信があるかもしれないんでね、はい。…………で、冒険者ギルドってどこにあります? 」

 (…………よしっ言えたぞ! )

 ニヤリと含みの笑いを浮かべて、気さくに返してくれるともでも思ったのか、明はニヤニヤしてオーガの男性をチラ見すると…………。

 オーガの男性はやばい奴を見る目をしていた。

(あ、あれ? )

「………いや別にそんなこと気になってねぇけど。てか頭大丈夫か? なんだ冒険者ギルドって? 市役所か何かのこと言ってんのか? 」

「………え。いや、そのモンスターと命を削る死闘繰り広げる職業というか」

「はぁ………お前まだ学生だろ? 親を悲しませるようなことはあんますんじゃねぇぞ」

 そう言うと、オーガの男性は立ち去ってしまった。

 取り残された明はポカンと遠ざかっていくオーガの男性の背を見つめる。

 (…………学生? 市役所? どういうことだ。お、俺は理想の異世界に転生できたんだよな? )

  怪しい雰囲気が流れ始めた。

 それから、明は街を歩く様々な人に手当たり次第に聞きまくった。冒険者ギルドはどこにあるますか? 世界最強の勇者の名はなんですか? と、最初の方は明もどんなファンタジー展開があるのだろうかと、胸を躍らせて尋ねていたのだが、皆が皆頭が可笑しい奴を見るような目を向けるものだから、回数が重なっていくにつてれその声のトーンは落ちていった。明は信じたくはない事実に気付き始めていた。

「………あのーー。お忙しいところ本当に申し訳ないんですけど、冒険者ギルドってご存じ、あっ…………はい。はは、ですよね。中二病も大概にしないとですよね。はは、ははは」

 空を見上げて肩の力を抜いた。

(…………き、気のせいかな。この世界確かに人間以外の色んな種族がいるんだけど、全然異世界感がないぞ? )

 それでもまだ明は認めなかった。念願の異世界転生だというのにそんなはずはないと、転生したのにまだ壁があるってどういうことだよこの野郎と、街のいたるところ散策し、異世界ファンタジーぽいものを探した。

図書館に行き魔導書を探す。司書さんに冷たい視線を向けられた。ならば街の外はどうだと、少し街から離れてみると、転生前によく見かけていた自動車としかいいようがない機械が平然と走っていた。

「………」

明は見なかったふ振りをして、全力で街に引き返した。

それから街を奔走するも、芳しい成果は上がらなかった。

(おい、嘘だろ!? 確かに見かけは異世界っぽさがあるけど、生活様式が日本と全然変わりないぞ!? なんだこの張りぼて異世界! )

 と、その時だった。女の子の叫び声のような音が聞こえた。気付いた時には、明は声がした方に向かっていた。

 明は直感した。これだ! ここで女の子を助けることで俺の異世界ファンタジーが始まるのだ! と。馬鹿である。

声は路地裏の方から聞こえていた。自分がどうにかできる保証など一切ないが、明はウキウキした様子で進んでいった。頭の中はもう異世界でいっぱいだった。現実は信じたくないあまり明も結構追い詰められていたのである。

路地裏を進んでいく。人気は少なくなり、街の喧騒がほとんど聞こえなくなったその場所に、明が渇望する理想の異世界ファンタジーのメインヒロインがいた。

 メインヒロインは、薄気味悪い肌寒さを感じる路地裏で、4人の厳つい男たちに手を引かれ、叫び声をあげる天使の女の子がだった。天使というのは、その見た目の美しさ故ではない。その女の子は、背中に純白の羽を持ち、柔らかそうな淡いクリーム色の髪をした頭の上にはほんのりと光輝くリングが浮いていていたからである。

 天使の女の子は悲痛な表情に顔を歪め、やめてください! と叫び、男達から逃れようと抵抗していた。

 明は迷わなかった。明は特段喧嘩が強いとか、かっこいいとか、スポーツができるとか、人並外れた特技や才能を持っているわけではなかったが、語気強く糾弾した。

 なぜならば、異世界転生者なら大抵そうするもんだろ、という浅はかな固定観念で、男4人に勝てる算段もあるわけもなく、ただ勢いだけで、びしっと指を突き立てて言い放ったのだ。

「おいそこのチンピラどもっ! ……………………誘拐はいけないと思います」

 後半日和った明である。

 男達が明の存在に気付いた。皆平気で人を殺してきそうな厳つい強面ぞろいである。獲物を睨む肉食動物のような視線が明に向けられた。明のひざが若干プルプルしていた。

(…………こ、怖い!! だが俺は異世界転生者だ! ここでボコボコにされるなんて展開は………展開は……………………お、おそらくない! )

 それでも自分は異世界転生者だからなんとなると、信じて明は食い下がらなかった。明は睨み返して、

「な、なんだよ!?…………おやりになさるんですか!? 」

 やはり後半弱気な心が垣間見えていた。

 明の運命やいかに。いくら明が転生者だからと言っても、結局のところ明はなんの力も携えていない。そんなただの少年が大人の、しかも厳つい男性4人に勝てるかといったら勝てる訳もなく、ボコボコにされるのは必至であろう。

 が、明はボコボコにされなかった。どころか、大人4人はぱっと表情を輝かせて、まるで救世主に出会ったかのような様子で、

「………き、きみぃ! よくぞ現れてくれた! もう俺達じゃこの娘を手に負えないんだよぉ! ぜひ引き取ってくれ! 」

 明の目が点になった。

「………あなた達はその少女を誘拐しようとしているんじゃないんですか? 」

「なわけないだろう! 俺達はこの娘がこの奥に一人で突き進もうとしてるから、どうにかとめてたんだよ! ………はぁ、でも全然言うこときいてくれなくてなぁ。大声を上げられて、本当に参ってたとこなんだよ」

 心外だと言わんばかりに反論すると、すぐに疲れきった様子に変わる。どうやら相当少女に手を焼いていたようだ。

「………そうなんですか」

「でも助かったよ」

「え、何が」

「見たところ君は正義感のある優しい少年のようだからね。君にならこの娘を任せても問題なさそうだ。じゃあ、よろしくね」

「え、いや、ちょっ」

 理想と違う展開に明は戸惑う。が、男達はそう言うと、少女の手を明に握らせ、そそくさと立ち去っていった。


(………この異世界に期待するのはもう無理かもしれない)

取り残された明は、自分の横で純白の羽を小さくぱたぱたと揺らし、きょとんとした様子で立ち尽くしている天使の少女に訝し気な視線を向ける。

「………君何してたの? 」

 すると天使の少女がまるで幻覚から覚めたかの様に、はっとする。少し恥ずかしそうに顔を背けると、

「……真実の愛を探しに」

 真実の愛。なにやらきな臭い話が始まった。

「真実の愛はどうすれば手に入るのってお母さんに聞いたら、真実の愛は怖い人達に攫われそうになると遭遇する確率が高くなるって教えて貰ったので」

 エキセントリックな母親である。

「………はぁ」

 明はこの天使の少女にすんごい冷たい視線を向けていた。半眼で言った。

「それで人気の少ない路地裏にいたと。そして怪しい人を探していたらあの人たちに止められていたと」

 天使の少女は、かぁっと顔を赤く染める。

「………ま、まあ。それは、はい。で、でもっ」

(なんだそれ。困っているヒロイン出現と思って勇気をだしたのに………。迷惑をかけてたのはヒロインの方か)

 期待外れな出来事ばかりに疲れた明は、天使の少女の言葉半ばで遮り、

「あーーはい、わかりました。もう結構です。今日はもう大人しくしておいてくださいね。とりあえず家まで送っていくので、案内してもらってもいいですか? 」

 明は悟った。この子はちょっと頭の可笑しい子なのかもしれないと。そして、この現実から目を背けるために今日はもう寝たいと。

 天使の少女は何か言いたげであったが、明の呆れた視線にううっと言葉を詰まらせた。

「………分かりました。案内します」

「じゃあ、はい」

 明が手を差し出す。

「……! そ、それは? 」

「途中で走り出していなくなられても困るので」

「わ、私はそんなに野性的じゃないです! 」

 天使の少女は恥ずかしそうに声を荒げるも、その表情は少し嬉しそうだった。

 案内する最中もずっと手をつないでいたが、天使の少女は時折振り返りにやにやした表情で繋がれた手を見つめていた。

 それからしばらく歩いたところ、ぱたと少女は足を止めた。どうやら目的の場所についたようである。

「ここです。ここが今、私が住んでいる場所です」

 明はこの娘の案内を終えたらさっさと、転生時にいた部屋に戻ろうと考えていたのだが………。

「そうですか。じゃあ俺はここで………」

「………あっ。そうですよね」

 眉を落として、しょんぼりする天使の少女。明がフラットな心境でいられたら、心が舞い上がっちゃうような仕草だが、当の明は舞い上がってはいなかった。天使の少女の可愛らしい仕草に目もくれず、茫然とした様子で視界に映る建物を見つめている。

 それもそのはず、この建物は明が転生時にいた場所とそっくりだったからである。

 明の様子を不信に思い、天使の少女が心配気な声で、

「大丈夫ですか? 何かあったのですか? 」

 明は建物を見つめたまま言った。

「あなたが住む場所って本当にここですか? 」

「そうですけど」

「ちなみにここってどういう施設か分かりますか? 」

「えー。フタバ高校の学生寮ですけど………」

「………」

 冒険者はない。魔法もない。モンスターはいない。勿論戦闘もない。ただでさえ、異世界ファンタジーらしいものがないこの世界に加えて、高校、学生寮ときた。

(………異世界? )

明の心の中でこの世界の最悪なイメージパズルが完成しかけていた。

 天使の少女は何も答えない明にオロオロとしていた。

 すると突然、明が走り出した。

「ど、どうなさったのですか!? 」

背後から天使の少女の声が聞こえるが明は構わず突き進む。勢いよく扉を開けて寮内に突入。すぐに見覚えのある部屋、転生時のあの部屋である。そして中に入った。

 広がる光景は、やはり転生時に見たそれと全く同じもので。明はここがそっくりではなく、本物であると気付いた。そして、部屋を見渡していると部屋の隅にある二段ベッド。その一段目のベッドに上に一枚の紙を見つけた。手に取ってみると紙には、


月城 明様

あなたは“ただの異世界”に転生しました。この世界は名の通り、魔法もモンスターも冒険者も魔王も存在しません。ぱっと見、様々な種族の方がいて異世界感がありますが、生活様式は現代の日本とそう変わりませんので、くれぐれも前世のような生き方をして人生を無駄にしないでください。

P.S あなたはこれからフタバ高校の学生として生活することになります。本来ならば受験勉強をしなといけないところを、あなたはなしで高校に通うことができるので、言うなれば転生特典は受験合格ですね。良かったですね! 

                          精霊のウンディーネより


 明は死んだ目をしていた。正直心の中ではそんな気はしていたが、まだ自分の想像の内であったから誤魔化せていた。しかし、こうもはっきりと、しかも明を転生させた人物から言われては現実逃避のしようはなかった。

「は、はは……………………はぁ。三万返せ」

 その声に生気はなかった。

 すると、部屋の扉が勢いよく開けられ、小麦色のふわふわヘアーが現れる。どうやら天使の少女は明の後を追ってきたようだ。血相を変えた様子で、

「ど、ど、どうして私の部屋に!? 」

「………」

 明はチラと部屋の端の二段ベッドを一瞥した。

(………あーー。そういえば二段ベッドだったなぁ)

 明はニコッと感情の籠っていない笑顔を浮かべると、

「ここって君の部屋だった? なんか俺もこの部屋っぽいからよろしく。俺月城明ね」

 天使の少女は目が飛び出さんばかりに見開いて、唖然としていた。

「え? え? え? え?  よ、よろしくお願いします? 私は天使族の宮水千草、です? え? 」

明は張り付けたような笑みを浮かべたまま、思った。

(和名かぁ)

中身がつくづく異世界っぽくない世界である。まあそれもそのはず。

 明は“ただの異世界”に転生したのだから。

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