第五話 君との再会・・・・・過疎化の波




 俺が実家に戻ってから一カ月を過ぎたが、親父は背中が痛いとも言わなくなり、どちらかと云うと体調がよくなっているような感じがしてきた十月中旬の土曜日の朝に電話が鳴った。


「もしもし関矢ですがどなたでしょうか、父ならまだ寝ていますが、・・・もしもし?」


「もしもし、あのぉ関矢さんのお宅でしょうか?私、梶谷と申しますが浩史さんいらっしゃいますでしょうか?そのぉ中学生の時の同級生だった梶谷美由紀と申します」


電話の声の主はなんと梶ちゃんから、久しぶりと云うか十五年ぶりの声が受話器の中から聞こえて来た。

 最初は親父への心配の電話かと思っていた矢先の声が、梶ちゃんからの電話だったので俺の心臓はバクバク状態で、声も上ずってしまい自分でも笑ってしまった。


「えっあのぉ、本当に梶ちゃん?僕が浩史ですが久しぶりで、ごめん・・・連絡しないで、そういえばこの間、美咲ちゃんに会ったんだよね。アッそうか美咲ちゃんに電話番号教えたんだった。そうか、そうだったね。あははは!」


「関矢君久しぶりだね!もう十五年たってしまったけれど元気してた、いきなり電話してごめんね。美咲がさぁ関矢君に電話しろって煩いから、今大丈夫?忙しかったら言ってネ、勝手にかけてしまったんだから。今度少し逢ってくれるかな、昔みたいにちょっと話を聞いてほしいんだけど一人で少し参ってることがあってさぁ、誰かに聞いて欲しくて・・・・だめかなぁ。ああっ無理なら良いから、彼女もいる事だろうからごめんね」


「あっはははは、美咲ちゃんから聞いてないの、僕は独身だしまだこっちに帰ってきたばかりで。そのぉ彼女もいないよ。それに僕でよければ話ならいつでも聞いてあげられるから、僕も梶ちゃんたちに逢いたかったんだよ、だけど連絡の仕方が分からないしね」


「そういってくれると嬉しいな、私もまだ独身だけどちょっと訳ありでネ!会ったら軽蔑されるかも知れないけど。でも、それは自分が撒いた種だから仕方がないとは思ってるから良いんだけど。でも嬉しいな覚えてくれていたなんて、じゃぁ今度時間が取れた日に連絡しても良いかなぁ」


「あぁあメールでもSNSでもいいよ連絡して、たぶん、純姉さんだって会いたいかも、姉さん達とも会っていないんでしょ。相変わらず口煩いけど、いつも僕の事を一番心配してくれる人だし、秀樹兄さんは僕の一番尊敬できる人だから、また会って欲しい位だよ。待ってるから」




 俺はこの町に帰ってきて、まだ自分の生まれ育った町を見て歩いていないし、昔住んでた家にも足を運んでいない。

 小学校への道、里川の堤防から今は無くなってしまったが台風が来るたび流されてしまう木造の茅野橋や根田橋、そして現存しているというがまだ見ていない黒羽橋がある。

 

 根田橋や茅野橋については堤防の上から新しく鉄筋の橋が付けられ、堤防が決壊しない限りはもう流されることはないと聞いている。

 夏は根田橋の下で泳いだり釣りをしたりしていたが、兄が親父と一緒に里川の漁業権の鑑札を持っており、投網を打っては鮎などを取ってきて、それらが夕餉に並んでいたのを思い出す。


 今日は久しぶりにその道を歩いている。

根田地域から黒羽橋まで田圃の畔道を歩き、二十七年前の春に佐根小学校の入学式にお袋と親父に連れられて歩いた堤防道ではないが、それでもお袋と手を繋いで歩いている自分が見えてくるから不思議だ。


 小学校に上がる前には、秀樹兄さんや純姉さんと別れるのが嫌で、学校の教室まで入っては一緒に給食を食べたことも有ったというけれど、その辺の記憶は残念ながら俺には残っていない。

 いや多分あるのだろうけれど、何回も同じ事を皆の前で言われているので都合の良い事だけを残し、自分にとって不都合な事はデリート(自己消去)しているのだろ。


 古い道沿いでは川の堤防下に水車を利用していた大沢製麺所も有ったのだが、大雨で流された以降やっていないとか、大沢酒店も新しい道に移動しているし、そして初めて南田市内から町田、西河部、小栗方面には通っている道が棚橋街道って云うのをこの年齢になって初めて知った。


 鉄筋で出来た茅野橋を渡り坂道を登っていくと坂の途中で岩が露出している所があり、親父の話だとここでは昔、化石が取れたんだそうだ。

 この道も広くなり今では山の反対にある隣の市まで行ける道になっていて、便利になったとは言えば其れだけだが、大きな病院に行くにはこの道が出来たことは有難いと親父は言っていた。


 親父の話だと、何でも常陸南田市は旧南田市内や茅野町や黒羽町、鶴瑞など高い所は岩山で出来ていて、その上に自然の腐葉土が土になって盛られ、畑や森が出来ているんだとか、大昔に川か海の底が隆起した所に我々が住んでいるのだそうだが、親父の話だから本当のところは分からない。

 だから、市内を遠くから見ると鯨の形をした高台に見えるため鯨台とか鯨が丘とも呼ばれ、旧市街は常陸南田駅から左手に坂を上った所から町が栄えていった。

 街中に御三家の水戸家が来る前の城主であった佐竹氏の城と云われる南田城が築城されていた後もあるし、佐野小学校も元は茅野城のあった所の近くに建てられていた。


 今ではもう取り壊されて更地になっていた佐野小学校跡、残された体育館と芝生が植えられた小学校時のグランド、階段式になっている運動会の時に座った観覧席と云うか待機場所が見えた。

 親父たちが通った時からあったと云われている御影石で作られた滑り台は今はもう無かったけれど、多分、東日本大震災で壊れてしまったのだろう。


 体育館は、今では公民館になっているらしいが寄っては来なかった。

過疎化が進んでいるのは理解できるが、新しい家が建っているような気もする、それでも取り壊す前の生徒数は全学年で六十二名、全学年で7クラスしかなかったそうだ。

 人口減少による過疎化は各地で起きているし閉校は仕方がないのかもしれない。

人口減少に合わせて、2011年の東日本大震災が拍車をかけ、耐震構造に問題がある既存不適格構造物である昔からある木造の学校建築物は撤去してしまった方がよいと判断したのだろう。


 卒業生としては残念だけれど、農業と畜産業、そして地元消費の商業、石灰鉱山業、廃れていってしまった林業、隣接する日立市やひたちなか市などに工場を抱えている大手製作所の御陰で持ちこたえてきたんだろうけど、不景気の波には勝てないし常陸牛や常陸軍鶏、常陸蕎麦は有名だけれど、どれも農業や畜産業であって経済の発展が難しい街である。


 平成の大合併で水里村、府美村と合併しても総人口約四万五千~七千人位を推移し、市全体の山間の割合は7割近くあるようだが、観光業以外に頼る術しかないのはどこの田舎でも同じかもしれない。


 小学校跡地から黒羽町に向けて山沿いに合わせて新しい道が出来ていて、100mほど一旦下ってからまた上っていく途中の山の裾に、黒羽スポーツ広場の中にあるサッカー場、そして常陸南田航空衛星センターの大きなパラボラアンテナが見える。

 黒羽地区に入ると右手に天久良波神社の入り口が見えてきた。この神社は我が家では大事な神社で、結婚から葬式まですべての冠婚葬祭をお願いしている。


お袋が子宮がんで亡くなった時にも、先代の宮司によって葬祭の義の祝詞を奏上してもらい葬送して頂いている。

 新しい道を歩いていると残暑の暑さに気を持っていかれそうになったが、ともかく何もかもが新鮮に見えるし、そして田舎に帰ってきたという思いが体を走り抜けていく。


 我が家に帰ってから洗濯物を取り込んでいると、我が家もそうだが背に山を抱えていると夕方三時過ぎあたりから空気が変わるというか温度が下がってくるのが分かる。

 今は山にゴルフ場が出来たり、売れない杉の木を必要以上に伐採したりしてしまったので、そんなに急に温度は下がらないというけれど、今まで東京に住んでいた俺にとっては意外と肌寒さを感じてしまう程だ。


 庭先の向こうにある小さな畑から親父が誰かと話しながら胡瓜とトマト、ナスを入れた籠を持って帰ってきた。


「おうっ浩史、帰って来てたのか、さっきお前の同級生の義彦の家から、ナスとトマト分けてくれたんで返しにカボチャ渡してやったんだわ。家のカボチャも今年はよく出来て甘みが強くて美味いんだぞ、あとで純が来たら煮て貰うべ」


「俺もさっき帰って来たんだわ、道が凄く良くなっていて、橋も鉄筋造りだからもう流されることもないんだね、昔はよく流されたのにね。それから小学校の跡地も見て来たけど更地になってたぞ、滑り台もなかった。それにしても誰も川にいなかったなぁ。俺たちの時には川で遊んだだけど今どき子供たちは川で遊ばないのかな」


「あぁ、今どき川で遊ぶ子供なんていないんだわなぁ、東日本大震災の時に福島原発の放射能が川に流れたことが有ったっぺ、山のキノコや山菜だって、もう駄目なんだわ、それでも取って来ては機械で放射能調べて、大丈夫なら自分たちで食べんだけど売る事は難しいな」


 そんなことを話していたら軽自動車が入ってきて、中から純姉さんと義兄さんの隆さんと子供たち、俺にとっては甥の健ちゃんと姪の恵ちゃんが降りてきた。

 今まで毎日のように家族で来てくれていたというが、これからは俺がいるので土曜日だけになり、買い物がある時は助けてもらい来てくれるようにお願いしている。


 何も知らないで一人東京で気ままな生活をし、親父たちの事をまかせっきりにして自分がいたと思うとちょっと気が引ける。

 何かといえば直ぐに対応してくれる純姉さん夫婦、秀樹兄さんは義姉さんの都合も有って難しいようで、そういう意味でいろいろと気を使ってくれる義兄さんには頭を下げる事しか出来なかった。


 隆義兄さんは従業員数人を使って工務店を経営しているけれど、俺とは同業みたいなものではあるがこっちはサラリーマンであっちは社長、これは大きな差があるなぁなんて思ったりしている。

 週明けの月曜日に病院に行くから純姉さんに送ってもらい、帰りは俺が仕事の途中で抜け出して迎え行くことになっているからその打ち合わせも有ってきてもらった、それに純姉さんの料理は美味いから、週一だけでも真面な料理を食べたいと親父が言っている。


(なんだそれは・・・俺の料理は不味いのか、なんて思っても口には出せない、本当に純姉さんのは美味い、毎日して作って欲しいけれど、其れなら嫁さん連れて来いなんて言われそうだからなぁ)と心の中で思いつつ食べている。


「あっそうだ、純姉さん今日さぁ、久しぶりにと云うか十五年ぶりなんだけど梶ちゃんから、覚えてる俺の友達の梶谷美由紀さん、その梶ちゃんから電話があって、今度会うかも知れない、妹の美咲ちゃんは西山病院の事務をやっているんだって」


「梶ちゃんって?あの美由紀ちゃん。浩史君の元彼女だった、すごく良い娘だったのに貴方振られたんだよね。その後、傷心のまま東京へ行って、其れは帰ってこれなかったよね。で、何の用事だったの?あの娘確か南田市役所に勤めて居るんじゃなかった、確か春先に事故に遭ったとは聞いているけど。そうだ隆さん知ってる、道場にあった梶谷造園の娘さんで上のお姉ちゃんが浩史君の彼女だったの、今どうしてるか聞いたことある?」


「あぁ、確か市役所の市民課にいると聞いてけど、なんか訳ありだと聞いているから俺の口からは言えねえけど、本人に会うのだったら直接聞けばいいんじゃねえの」


「ぅんだって、それでいつ会うの、どうせ明日暇なんでしょ、だったら早いうちに会ってあげたら、食事終わってからでもいいから貴方から電話しなさいよ。前みたいに苦労しても今度は、・・・・まぁよく考えて電話しなさいね。応援してあげるからさぁ」


「あっ、ぅん、分かったよ電話するよ。明日はやる事もないしね。ただ、梶ちゃんは忙しいかもしれないけどその時は後日と云う事で連絡させて頂きますよ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る