第2話

彼と出会ったのは、駅から少し離れたところにある、ジャズバー崩れのショットバー。

取引先との気の進まない飲み会、セクハラとパワハラの応酬にくたびれた帰り道で、ふと目に入ったのがその店の看板だった。

普段、一人で飲むなんてことはまずない。そのとき、たまたまそういう気分だったから。その気持ちに任せて店のドアを開くと、アコースティックギターを抱えた彼がそこにいた。

客が私一人だったというのもあり、彼はよく喋り、よく歌った。

昔はプロのミュージシャンを目指して東京で修行していたが、夢敗れた今はこうしてこの場末のバーで雇われのマスターをやっているというのが彼の素性であるらしい。

ショットバーであるはずが、ビールを頼むと慣れ親しんだ銀色の缶が出てきて少々面食らったが、チャージ料金もないし、何より。

彼のその声が、やたらと耳に残った。


それからというもの、週に一度のペースでその店に通った。

本当に客の少ない店で、閉店時間まで彼と二人きりなんて日も少なくはなかった。


彼との共通の話題は、もっぱら好きなバンドのこと。

結成からその当時で30年を迎えていたそのバンドは、代表曲を誰もが知っていたり、特定の世代の人は必ずベスト盤を持っていたりするくらいの、いわゆるメジャーすぎるほどメジャーなバンドだった。

しかし、私に言わせれば、このバンドのすべての曲の作詞作曲を手がけるボーカリストの持ち味と魅力は、メジャーな曲よりも、アルバム曲やB面の曲に色濃く表れていると思う。

その話を初めてしたとき、彼は目を丸くしたのち、カウンターの隅の椅子に立てかけていたギターを手に取って、あるフレーズを流し弾いた。

それは、アルバムにも入っていないB面曲。私が一番好きな曲だった。


どうしてすり合わせもしていないのにこの曲が、とか、付け焼刃にしてもちゃんとフレーズもしっかりコピーしているのはどうして、だとか、たくさんの疑問符が頭に浮かんだが、その声に吸い込まれているような感覚で、すべてがあやふやになっていった。

「青空気分にゃとてもじゃないけど、サイダー」なんて出鱈目な、不思議な歌詞に合わせたように、その時飲んでいたジントニックのあぶくが、呆然としている私の横で弾けていた。


きっとあのときが一つのタイミングだったんだろう。

彼とは、どちらが水を向けたのかも忘れたが、「そういう関係」になっていた。

気の置けない話がずいぶんと増えたある日、どうしてあのときあの曲を弾いたのか聞いてみたが、「なんとなく浮かんだだけだ」とはぐらかされ、彼はこんな話を続けた。


あのバンドのボーカリストの作詞は、どこかあまのじゃくなところがあって、たとえば、失恋の歌でも「物憂げな真冬の青空」なんて表現で、悲しみに爽やかな表現を加えて、陰鬱になりすぎないようにしている、と。


こういう歌詞の付け方がすごく粋で、こんなのが書けたらなって思うよ、と。

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