第11話 れんげと土の花

 子供達はその後、蒼真の用意した昼食を輪になって食べ、畑の隅で花を摘んだり、転げ回って遊んでいた。


「蒼真君は、先生をやってるの?」


 土に混じった小石や木の枝を拾って避けながら、仁に尋ねる。仁は新しく耕した土に、なれた様子で有機石灰を撒いていた。


「いやあいつはこの辺の町内会の役員だから、色んな企画の依頼が来るんだろ。喫茶店とかライブハウスとか、イベントやるのに都合の良い商売やってるし。せんせーっつのは、ガキ共が勝手に呼び始めたあだ名みたいなもんだ。」


 一昨日演奏会をやって、私たちが打ち上げをした会場は、普段はライブハウスとして、町の人間がライブをしたり、練習スタジオとして貸し出して、収益を得ているのだと仁が言った。


 仁と健太はそのライブハウスの方の従業員なのだと言う。


「仁君は、生きてた頃からああいう音響の仕事をしていたの?」


 私が尋ねると、仁は急に眉間にシワを寄せて、とても嫌そうな表情をした。


 それを見たとき、私はしまった、と思った。


 私は仁がこの町に来た理由を知らなかったが、こんなに若くて健康そうな青年がこの町に住んでいるなんて、何か事情があるに決まっている。


 それが分かっていたから、ずっと、生きていた時の話など、一切しないようにしていたのに。


「ごめんね。そりゃ、嫌だよね。何も知らない相手に、生きてた頃の話なんて」


私がそう言うと、


「そうじゃなくて、」


と、仁は寒そうに腕をさすりながら、

「その仁くんって呼び方をやめろ。さぶいぼが立つ。呼び捨てでいいから」


 と言い、空になった石灰の袋を私の方に投げて寄越した。


 袋が風になびいて飛んで行きそうになる。慌てて両手で掴んで抱える。その拍子に、袋についていた土が目と口に入り込み、顔を歪ませると、仁はそんな私の様子を、指を指して笑っていた。


「い、今の動きやべえ。」


 その、土にまみれた顔で笑う仁の姿が、小学生の時、初めて憧れた少年の姿に重なった。


 重なったというか、そんな事は同一人物なのだから当たり前の事なのだけれど、


でも確かに、私はその時、初めて、目の前に居る男性が、私が小学校を卒業しても、短大生になっても、社会人になってからもずっと、記憶の一番大事な部分の端の方で、時々思い出したように笑顔を向けてくれた、あの少年なのだと、実感したのだった。


「どうした、やすみせんせー。ああ。休んでるのか。やすみせんせーだから。」


 小学生の時と同じ、屈託の無い泥だらけの顔で笑っている仁を見ていたら、思わずこっちまで吹き出してしまった。


 私は足元の耕したばかりの柔らかい黒土を仁に向けて投げつけ、こみあげて来る笑いを止められないまま、大声で叫んだ。


「ええ、ええ、休みたかったですよ、やすみせんせーだってたまにはね!全く、名前負けもいいとこよ、本当に!」


 ぼん、と意外と大きな音を立てて仁の額に砕けた土の固まりは、花火のように弾けて地面に散った。


「蒼真せんせー。なんで仁せんせー、せっかく耕した土を投げてるの?」


 れんげの花で作った飾りを、蒼真の首にかけてやりながら、子供達が不思議そうに尋ねた。


 私は仁が投げて来る土の固まりやだんご虫のついたビニール袋を避けながら、隙を見てせっかく仁が耕した場所に、集めた小石や小枝をばらまいてやりかえした。


「小学生か!」

「それはそっちでしょう!」


 いつの間にか先ほどの坊主頭の少年や、他の子供達も次々に参戦し、特にいたずらっぽい顔をした数人の子供達が、水道からホースを引っ張ってきて仁の背中に容赦無く水を浴びせた。


 土で作っていた手投げ弾は、水を含んだ泥だんごに代わり、手も、足も、顔も髪にも、土の匂いが体中に染み込んだ。


 響き渡る子供達の笑い声の中で、時間は嘘のように一瞬で過ぎていき、気がつくと、もうとっくに子供が達解散する予定の時間になっていた。


 だが誰ひとり帰ろうとする子供はおらず、ひとりの子供が息を切らしながら、仰向けに寝転んだのを皮切りに、全員が空を仰ぐようにして土の上に大の字で寝そべった。


 私は息を切らしながら、こんなに笑ったのはいつぶりだろうと、泥のついた両手で顔の汗を拭いながら思った。


 数メートル離れた所でも、仁が同じように仰向けになって倒れていた。


 仁が何かをぼそぼそとつぶやくと、子供達が


「えー!?なに!?聞こえないよー!!」


と言って立ち上がり、当たり前の様に仁の顔面に水鉄砲を噴射した。


 仁がびしょびしょになった顔を拭い、

「だから、久しぶりにこんなに笑ったなって言ったんだようるせーなあ!!」

と、笑っているような、怒っているような調子で叫ぶと、子供達の笑い声が突風に吹かれた綿毛の様に、当たり一面を包み込んだ。

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