趣味と実益を兼ねて
@qoot
第1話
1.
ー 15年前
「まりちゃん!まりちゃん!今日空いてる?ピザが美味い店を見つけたんだ。俺、定時に上がるから行こうよ」
「馬鹿だな。まりちゃんはピザの気分じゃないんだよな。ねえ、六本木の外れに先月オープンした予約の取れないおでん屋はどう?カウンター席に偶然キャンセルが出て、今日の7時からなら・・」
「オヤジか!」
「何言ってんだ。まりちゃんは和食派だぜ。そんなことも知らないで誘ってんの?」
「あの、ごめんなさい。今日はお友達と会う約束があるんです。また今度誘ってくださいね」
「それは残念。じゃあ“今度”の予定を決めようよ。俺はいつでも良いよ。明日、明後日?」
「勝手なこと言ってんなよ。俺の方が先だろ」
「あっ、もう行かなくちゃ。私、ピザもおでんも大好きですよ。何でも美味しく“もりもり”食べる子〜です!」
「まりちゃん、そのポーズ最高!」
「可愛い過ぎるよ!」
「お先失礼しまーす」
ー 2年前
「星野さん、ちょっと。・・星野さん!」
「・・は、はいっ」
ぼんやりと考え事をしていた星野は、ちょうど作業のひと区切りであったかのようにリターンキーをパチンと叩き、反対の手でずれたマスクをちょんと摘んで位置を直す。両手をデスクの上に乗せ、大きなお腹を天板にめり込ませて前傾したら態勢完了。奮い立たせるように「よいしょっ」と声に出し、勢いをつけて立ち上がる。弾みで椅子が床を滑り、壁際に並んぶキャビネットに激しくぶつかった。
「すみません」
大きな音にも慣れっこで、同僚たちは気にも留めない。お茶を飲んだり肩を揉んだり、皆んなが仕事の手をちょっと休める程度だ。
星野は毛玉の目立つ膝掛けを座面に放り投げ、片手で椅子を元に戻す。巨体を幾分“半身”にしながら、同僚たちの背もたれにぶつからないよう事務所の奥に座る社長の方に歩いて行く。
「お呼びでしょうか」
社長の長岡は、特徴的な眉間のしわを一層深くして、細かな数字が並んだ書類を読み込んでいた。長岡が星野を呼んでから、既に30秒は経っている。せっかちで多忙な長岡にとっては、とんでもなく無駄な時間だ。
「今朝頼んだ集計は?」
その30秒を取り返すかのように、長岡は短く質問する。
「えーと、これから取り掛かります」
「なぜ直ぐやらない」
「あのー、特に急ぎとは仰らなかったので」
「仕事は全て急ぎだろ!」
「・・申し訳ありません」
納得いかないが、会社では社長に逆らえない。星野はしぶしぶ感を僅かに滲ませて頭を下げる。そんな態度がますます長岡を攻撃的にする。
「いつ?」
「はい?」
「だからいつ出来るの?」
「恐らく3時頃までには何とか」
「2時までだ」
「・・かしこま・・した」
席に戻った星野に顔を寄せ、半年後に定年退職を迎える三上が声を掛けて来る。
「星野さん、元気出して。私も手伝うから、急いでやりましょ」
「ありがとうございます。いつもすみません」
「何言ってんのよ。お互い様でしょ」
お互い様ではない。星野が困った時、落ち込んだ時、いつも三上が手を差し伸べてくれる。仕事も私生活も完璧な三上に、星野が役立てることは何一つない。
「ねえ、星野さん。今度の土曜日、ショッピングに付き合ってくれない?冬物のお洋服を買いたいんだけど、私1人だと決められなくて」
三上はこんな言い方で、時々星野を買い物や食事に誘ってくれる。センスの良い三上が、その体型から年中ワンピース姿の星野にファッションの相談を本気でするはずがない。きっと友達のいない星野を気の毒に思い、声を掛けてくれているのだろう。誰もが二度見する程肥満体の星野と、お洒落なカフェのテラス席に座りたい訳がない。どうして真っ直ぐ星野の目を見つめて、そんなに楽しく話しが出来るのか不思議でならない。一度酔った勢いで三上に聞いてみた。
「三上さん。私なんかと一緒に居て恥ずかしくないですか?」
「どうして?逆に星野さんに聞きたいわ。私みたいなおばあさんと一緒で楽しい?」
「おばあさんだなんて。三上さんは憧れの女性です。私には絶対になれない・・」
「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ。だからこれからも友達でいてね」
星野が今の会社に入社して5年になるが、三上以外の従業員とは挨拶だけの付き合いだ。若い男性社員の中には、まともに挨拶すら返してくれない人もいる。
(三上さんが定年退職したら、私もこの会社を辞めよう)
何度目かの決心に、また泣いてしまった。
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