世界の果てで愛を叫んだけもの

@yumeoni

第1話

 あ、これはもう終わったな、と思った。面接官の目が死んでいる。俺のことを見るときだけ。明らかに目から光が消えているのが分かる。たぶん今日の晩飯のことでも考えている。今日の晩ご飯はカレーかな? ハンバーグかな? ビーフシチューもいいな。麻婆豆腐はこの前食べたばかりだから勘弁だ。きっとそんなことを考えている。学生の将来がかかっている面接という神聖な場でそんなことを考えるなんて不謹慎だ。そう思う奴もいるだろう。だが、それも無理のない話なんだ。それほど俺の受け答えはひどかった。志望動機を聞かれてもまともに答えられなかったし、学生時代誰かと協力して頑張ったことは、という質問にも答えられなかった。俺が学生時代に頑張ったことなんて小説を書くことくらいだが、それだって二次選考止まり。それに、俺は誰かと協力して小説を書いたわけじゃなかった。小説を書くのは孤独な作業。自分自身との戦い。孤独な作業ならお手の物です。そんなこと、この老舗お菓子メーカーの赤いお洒落なネクタイをした面接官に話したところで何になる?何にもならないだろう。だから俺は答えられず黙っている。すると面接官は愛想を尽かしたように隣の学生に同じ質問を投げかける。その繰り返し。

「信頼できる友達はいますか? その友達との印象に残るエピソードを教えてください」

 その質問もさ、想定していない訳ではなかったよ。自己分析したさ、俺だって。就職活動用の自己分析の本を繰り返し読んで自己分析してみたよ。でも、自己分析するまでもなかった。俺には、俺には……。

「信頼できる友達はいません」

そう答えた途端、隣の野球部に所属する男子学生が堪えきれないように笑った。学生時代に頑張ったこととして野球部での活動をあげていた男だ。単に練習するだけでなく、自分で練習メニューを考案し、その結果チームを10年ぶりにリーグ優勝させたらしい。

「私には信頼できる友達はいません。けれど私は今までたくさんの本を読んできたので、信頼できる本の中の登場人物を誰よりも多く知っているつもりです。それらの登場人物たちは、これから仕事をしていく上で必ずや私の力になってくれると信じています」

 せっかくの熱弁も、冒頭の一言のインパクトが強すぎたせいか面接官は軽く引いていた。やっぱり今日の晩ご飯はハンバーグがいいな、とその死んだ目が言っていた。死んだ目が隣に移り、野球部の男が話し出した。

「信頼できる友達はいます。中学の頃からずっと野球部で一緒だった男です」

 また野球か。いつまで野球の話してるんだよ。ここはプロ野球の球団じゃないんだぞ。だが、赤いネクタイの面接官は明らかに身を乗り出し、目にも光が灯っている。

 集団面接の他の学生たちが答えていくのを聞き流しながら、俺の意識は遙か彼方へ飛んでいった。もう九月も半ばだったが、俺は一社からも内定をもらっていなかった。元々就職活動を始めたのも遅かった。六月にリクルートスーツを買って、そこから初めて就職活動を開始した。開始が遅れたのは、あけぼの新人文学賞の発表を待っていたからだ。大学三年の一年間を使って書いた超大作。二次選考までは残っていたが、六月に発売された文芸誌の三次選考に俺の名前はなかった。何かの間違いの可能性を考えて出版社に電話もしてみたが、選考の結果に関しては一切お答えできないと一点張り。そこから俺の就職活動は始まった。数え切れないほどの企業の説明会に参加し、面接を受けたが二次面接に進めたことさえなかった。たぶんこの先も同じだろう。

「……さん、星泉さん」

 俺の名前が呼ばれていた。ハッとして面接官の顔を見る。何の期待も浮かんでいない目が俺を見ている。

「最後の質問です。学生時代に何かこれをしておきたかった、と後悔していることはありますか?」


 面接の帰り。人通りの多い道を歩きながら、コンビニで買った一番安いビールを飲み、ネクタイに手をかける。忌々しいネクタイ。社会からの束縛の象徴。片手で解こうとするがうまくいかず、手がすっぽ抜けて向かいから歩いてきたカップルの男の方の肩に当たった。

「痛っ。気をつけろよ」

 男が毒づく。俺がビールを口から滴らせながら男を睨み返すと、男はぎょっとしたように顔を背けた。ついでに隣を歩く女の方もチラと見る。可愛かった。可愛い顔を軽蔑に歪ませて俺のことを横目に通り過ぎていった。

 ネクタイを外し、たまたま目の前にあったゴミ箱に捨てようとしたが、すんでの所でもったいなくなりスーツのポケットに突っ込んだ。

 面接官の最後の質問が頭の中でずっとこだましていた。

「学生時代に何かこれをしておきたかった、と後悔していることはありますか?」

 結局何も答えられなかった質問。

 何も思い浮かばなかったわけじゃない。その逆だ。たくさん浮かびすぎて何を答えればいいのか分からなかった。

あるよ。メチャクチャあるよ。あるに決まっているだろう。後悔ばかりの大学生活だったよ。でも、その中で一番後悔していることといえば……。

 俺はビールを飲み干し、後ろを振り向いた。

 夕日が禍々しいくらいに赤く輝いていた。その夕日に向かっていくように、先ほどのカップルが歩いていく。それはまるで映画のワンシーンのようだった。

 俺はビールの缶を強く握りつぶす。あまりにも強く握ったせいか、手のひらに血が滲んだ。

 恋が、恋が、恋がしたかった。

 肩並べて夕日に向かって歩いて行くあのカップルのような。つまらない生活がたちまち輝き出してしまうような。

 恋が、恋が、恋が、したかった。


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