エヴァンの回想-出会い-

 メイストホ-ン伯爵家の屋敷が、ゆっくりと遠ざかっていく。

 馬車に揺られながら、エヴァンは小さく呟いた。—これで、見納めか。

 意外にも、悲しみはない。胸にあるのは、ほんの少しの未練と寂しさ。そして、安堵。

 思ったよりクリストハルトとの別離が堪えていないことに、自嘲する。どうやら自分は、随分と薄情な人間だったらしい。

(帰ったら、今度はジェイソンのところに報告に行かないとな……)

 アイリスとクリストハルトには伝えた手前、彼だけ仲間外れにするわけにはいかない。明るくて気のいい男なのだが、アイリスと同様、妙に勘のいいところがあって、最近はあまり会わないようにしていたのだ。隠し事が下手なエヴァンには荷が重い相手だ。

 ―いや、今だけじゃなくて昔からだな、苦手なのは。

 今はだいぶ丸くなったが、昔はひどいものだった、と思わず遠い目になる。出会ったばかりの頃は、本当に大変だった。

 まず初対面で庭にあった池に突き落とされた。どうやら一緒に泳ぎたくてそんなことをしたようだが、泳ぎも何も知らないエヴァンは溺れて死にかけた。その後みっちりご両親に叱られたジェイソンは、しかしその後も何かと騒ぎを引き起こしていたものだ。

 その時点でエヴァンのジェイソンに対する印象は最悪だったが、エヴァンの父はジェイソンを気にいり、引き続き友人として互いの家を行き来することになった。しかしジェイソンの行いがしばしば危険な事態を引き起こすことも承知していたエヴァンの父は、伝手を頼って「友人」という名のお目付け役を二人につけた。それが当時幼いながらに優秀と言われていた、当時のメイストホ-ン伯爵の長男、クリストハルトだった。

(あの頃の僕は、クリストハルトのことも苦手だったな)

 当時のクリストハルトは感情表現に乏しく、ジェイソンとは別の意味で何を考えているかさっぱり分からない少年だった。淡々としたもの言いも、子供らしからぬ大人びたふるまいも、なんだかこちらを馬鹿にしているようで癇に障った。一つだけ感謝する点があったとすれば、クリストハルトが声をかけるとジェイソンが途端に大人しくなることだった。おかげで、初対面の時以上にひどい目に遭ったことはない。

 彼らの父親が集まると、追い立てられるように子供たちで庭に出て、お互いの目の届く範囲で各自好きな事をする。そんな距離感が当たり前になっていた頃のことだった。

『申し訳ないが、この子の面倒を見てやってもらえないかね。遊び相手がいなくて、退屈しているようだから』

 だいぶ後になってからなんとなく察したことだが、たぶんエヴァンとクリストハルトは、アイリスの婚約者候補だったのだろう。通常、貴族の令嬢が男性と接する機会は社交界入りするまでほとんどない。遊び相手なら同じ年頃の令嬢が鉄板のため、アイリスの父の言葉の半分は方便だったに違いない。

 よろしく頼むよ、と言い置いて、ジェイソンの父は大人同士で会話を始めてしまう。たどたどしい仕草で礼をしたアイリスを前に、エヴァン達は途方に暮れた。エヴァンもクリストハルトも、女の子の面倒なんて見たこともないし、ジェイソンに至っては早速彼女が大事そうに抱えていた人形を取り上げて、泣かせてしまった。それに動揺して逃げるように去ったジェイソンは、兄のくせに全然使えない。幼い少女の相手をするよりはましだと思ったのだろうクリストハルトは、ジェイソンを追いかけていなくなってしまった。アイリス嬢の相手は任せる、と釘を刺すあたり、抜け目がない。

 たった一人で、四つ年下の少女という未知の生き物の相手をすることになったエヴァンがようやくアイリスを泣き止ませたのは、帰る時間が間近に迫った頃だった。そしてその直後に平然とした顔で戻ってきたジェイソンとクリストハルトに、軽く殺意を覚えたのも今ではいい思い出だ。絶対に許さないけれど。

 きっとアイリスは覚えていないだろうけれど、アイリスの相手をするうちにいつの間にか懐かれて、将来はエヴァンにいさまと結婚するわ、と宣言されたのは懐かしい思い出だ。なお、アイリスはクリストハルトのことは怖がって、しばらく近づかなかった。なんとかしてアイリスの関心を惹こうと四苦八苦していたのが面白くて、少しだけ親しみがわいたのを覚えている。思えば今の自分達の関係は、アイリスがつくってくれたようなものなのだ。

 彼らは自然とアイリスを中心にして遊ぶようになり、なぜか四人で一緒に遊ぶことにこだわる彼女に付き合ってままごとをしたり、本を読んでやったりした。ほんのちょっとでも機嫌を損ねると泣き出すのには手を焼いたが、やがて慣れてくるとそれも愛らしく思えるから不思議だった。クリストハルトはこの小さなお姫様と出会って随分と表情が柔らかくなり、物語の王子様もかくやというような紳士っぷりを発揮したため、エヴァンにべったりだったアイリスがあっさりと篭絡された時の切なさは忘れられない。

 けれど、クリストハルトとすっかり打ち解けて、ジェイソンの破天荒ぶりにもついて行けるようになっていたエヴァンは、四人で過ごす時間が何よりも楽しいと思えるようになっていた。今でも、その日々は宝物のように胸に焼きついている。

 四人の穏やかな関係が狂いだしたのは、学園に入学した頃からだった。

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