心が見えたり、読めたり、聞こえたりetc...する女の子たちに悩まされています
サヨシグレ
1話 時間は過ぎ去ったり巻き戻ったりetc
俺は走った。とにかく走った。
一階の職員室から2階、3階、4階、そして屋上へと。
屋上へと続く扉は立て付けが悪いのか錆びているのか、人が本能的に不快になる音を発しながら開いた。
扉を開けたそばから、その隙間埋めるように橙色が染み込んでくる。
扉を開け放つと真っ先に飛び込んできたのは夕に染まった空。
その中に暗く小さい背中があった。それは逆光になっていて、今にも夕焼けに飲み込まれてしまいそうなほど朧げな姿をしている。
俺はその背中の正体を知っていた。誰よりもよく知っている顔だ。
こいつはいつも悲しいことや嫌なことがあると屋上で一人座り込む。一人で静かに瞳を潤ませながら。
できることなら気のすむまで一緒にいてやりたいところだが、あと30分もすれば施錠時間となってしまう。
「ほら、帰るぞ」
「もう少しいる」
「分かった」
彼女は泣きたいことがあるといつも屋上で海を眺める。それは小中高と変わっていない。放っておくと泣き疲れて寝てしまうので施錠時間前に迎えに来てやるのが俺の役目である。
彼女は人前ではそう簡単に泣かない。泣きそうな顔をしたらそれはここへ来る合図だ。
約十年、こんなことを繰り返している。
「そろそろ帰るぞ」
「うん」
彼女の腕をつかんで支えてやる。その時彼女がほんの少しだけ顔をしかめた。
「ごめん、嫌……だったかな」
いくら幼馴染とは言え高校生だ。男女の距離感というのはデリケートなものである。幼馴染だろうが適度な距離感が肝要だ。別に男女交際をしている中ではないのだ。いきなり腕をつかまれて嫌がられても何ら不思議ではない。
「違……違うの!」
髪の毛が乱れるのも気にせずに首を大きく横に振る彼女は嘘をついているようには見えない。
違うのかそうかよかった。と思うと同時になぜ彼女は顔をしかめたのかという疑問が発生する。
腕を触ったときに彼女は顔をしかめた。ふとその腕に目をやると、制服の袖口から見える肌が少し赤くなっている。さっき掴んだ時に爪を立ててしまったのかもしれない。
「もしかしてさっきの痛かった?」
「ううん、そんなことない」
「でも、手首のところ少し赤くなってるから、ちょっと見せろ」
彼女の手を取り、袖を少しまくる。
ひっかき傷になっていなければいいなくらいの気持ちで見た彼女の腕は大きく俺の予想を裏切った。
「見た……?」
「ごめん」
見てはいけないものを見たような気がして反射的に誤ってしまった。
ほんの一瞬、見えた彼女の腕には赤や青の痣が多数あった。大きく晴れている訳でも出血してるわけでもないが、腕だけにあのような痣ができるというのは不自然極まりない。あのくらいの痣ができるような怪我や事故にあったのあれば目に付くところにももっと怪我の跡があっていいはずだ。
わざと腕だけを狙ってつけたような痣。考えられるのは一つだけだった。
「誰に……?」
そう、誰かがわざとつけたとしか思えない。
「分からない。知らない間にできてた」
「そんなわけあるかよ」
「そうなんだもん仕方ないでしょ!」
「ごめん大きな声だして」
「でも本当に分からないの。いつできたかも何でできたかも」
「でもちゃんと痛い」
「帰ろう。先生来るから」
「うん」
背を向けていた彼女が、ゆっくりとこちらを振り向く。
「一つだけ聴いてもいい?」
「あぁ」
嫌な予感がした。まるで、この後に何が待ち受けているのか分かっているかのような感覚に襲われる。既視感とでもいうのだろうか、いや違う。そんな靄のかかったような曖昧な感覚ではない、もっと、明瞭な感覚。『そうなる気がする』ではなく『確実にそうなる』。
一度経験した過去をもう一度追体験しているようなものだ。
嫌な予感の原因も分かっている。この後に彼女が発するたった一言だ。
彼女の発する言葉を聞きたくなかった。耳をふさぎたい衝動に駆られるが、なぜだか分からないが体の自由が利かない。
許しを請いたくても膝をつくことさえ許されない。
だんだんと呼吸が浅くなり、鼓動が早くより大きく聞こえる。
そして突然、酸素が奪われた。口に蓋をされたように一切の呼吸ができない。水の中にでもいるのだろうか
ただでさえ体中に不足していた酸素が加速度的に失われていく。
暗転していく視界の中で彼女の口が動く。
「何で助けてくれなかったの……?」
息苦しさが頂点に達した時みぞおちに鈍痛が走った。窒息死というのはこういう感覚なのか。
死後の世界で目を開くとそこにはよく見知った顔があった
「お前、何でここに……」
妹の
いや、ここは死後の世界。彼女は天使かもしれない、と思いよく目を凝らしてみる。
襟にかからないほどの長さに切りそろえられた髪。女子としては相当短い部類に入るだろう。ただでさえ丸く大きな目を二重と長いまつ毛が強調している。
間違いない。紛れもなくこれは妹の
なんなら見覚えのある天井に嗅いだことのある匂い、体にかかっている重さはいつも使っている布団の重さにほかならない。
「そういうこと言うと今度から起こしてあげないよ」
俺がすっかり目を覚ました様子を見て紬は足早に俺の部屋を立ち去ろうとする
「夢か……っつ」
夢の中で感じたものと同種の痛みが胸に走る。鈍く重い、ゆっくりと回る毒のように胸全体が軋むような痛みで支配される。正直体を起こしているのもしんどいくらいの痛みだ。
「お前、俺を起こすのに何した……」
紬は一瞬ばつの悪そうな顔をしたが、何事もなかったかのように再び口を開く。
「そんなことよりお兄、遅刻しても知らないんだからね」
「答えろ」
聞こえていないわけはないのだが、眉一つ動かさず彼女は話を続ける。
「私もう学校行くからね。朝ごはんは用意してあるから」
問い詰めるだけ無駄だ。諦めよう。
「あぁ、ありがとう。気を付けてな」
「お兄も急ぎなよ」
「うん」
俺の質問は完全にはぐらかされしまった上に、上の空で返事だけをしていた俺の頭の中は夢のことでいっぱいだった。
一か月前の記憶。思い出したくはない、しかし忘れてはいけないこと。
いくら自分で戒めているとはいえ、ここまで鮮明に思い出すことがあるものだろうか。
「結構忘れないもんだな人間って」
日の光を浴びようとカーテンを開ける。いつもと明るさが違うような気がする。
さっき紬が言っていたことをふと思い出した。
朝早く登校するなんてご苦労なことだと思っていたがそれはどうやら俺の勘違いであったらしい。
時計を見ると普段家を出る時間に差し掛かろうとしている。今からいつもの3倍速で準備をして朝食を抜けばなんとか時間ぎりぎりに間に合うかといったところだ。
悪夢にうなされて体力を使い果たしたばかりの俺がそんなことをしようという気になるわけもなく、
「……急いで間に合う時間じゃないな」
遅刻を決意した。人間というのは諦めと覚悟が肝心である。
この後待っている説教の覚悟さえ決めてしまえば遅刻など大したことではない。朝の時間がゆっくりになってむしろ楽である。
朝食を終え朝の支度を済ませ、忘れ物がないかの確認まで完璧に行い、普段よりもゆとりのある
朝を終え、玄関を開けた。
制服のポケットの中でかすかに携帯電話が震えた。
「誰からだ」
連絡用アプリを起動し、メッセージの内容を確認する。
『風邪ひいたから今日は来なくて大丈夫』
顔文字もスタンプもない淡白なメッセージ。それはこのメッセージの送り主のイメージによく似合っていた。
嫌でも朝夢の中で見たあの顔がフラッシュバックする。
「俺は今お前のせいで遅刻するところだよ」
いつもより高いところから差す太陽を浴びながらゆっくりと歩きだした。
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