最終章

第063話 他愛ない時間

 さて。


 この時間軸に戻ってきてやっておくべき最低限のことは、昨夜のうちにすべてこなせたはずだ。

 よってここからD-Dayまで、俺は基本的にフリーになる。


 最初と同じ行動を正確になぞったところで、昨夜の時点ですでに大きく分岐してしまっているので意味はないだろう。

 

 『大海嘯』の後リィンと逢ったのは同じだが、最初の時はなにも気付かずに食事だけして、「やっぱり可愛いなあ」などと能天気なことを考えていたはずだ。

 その後は冒険者ギルドで新人ルーキーたちと新規パーティーを組んでみたり、迷宮ダンジョン攻略が楽しくてそればっかりやっていたあたりの期間だな。


 もうかなり遠い記憶になってしまっているが、今回はあいつらにリィンを加えて、本当のパーティーになっていくのも悪くないかもしれない。


 すべてがうまくいけば、俺は旧支配者エルフの『廃都ア・トリエスタ』を復活させて、エルフと亜人デミ・ヒューム獣人セリアン・スロープたちの国を興すことなる予定だ。

 とはいえ基本方針としては『迷宮保有国家連盟ホルダーズ・クラブ』とも『聖教会』ともうまく折り合いをつけるつもりだから、エメリア王国の迷宮都市ヴァグラム所属の冒険者たちとパーティーを組むことは不可能ではないはずだ。


 まあどうしても受け入れられない連中が出ることは仕方がないだろうし、そいつらを一掃することをためらうつもりはないのだが。

 利益も与え、距離をおいてもなお、その存在そのものを許せないという者たちがいるのならば、これはもうどちらかが消え去るしかない。


 最悪この世界の人の9割が消えてしまっても、文明的な暮らしを維持するのに困ることはないもないくらいの準備はすでにできている。

 こちらからそんな手段を取るつもりはさらさらないが、共存共栄を拒むのであればそれも辞さない構えである。


 とにかく今はリィンだ。

 俺がリィンと楽しく生きて行くためにすべてを準備してきたのだ、その軸が揺らいでは元も子もない。


 昨夜の感じであれば問題ないとは思うものの、油断は禁物である。

 油断するとあっさり己のなすべきことをなしにすっ飛んで行ってしまうのは、もう嫌というほど知っている。


 昨夜はいい実証実験もできたことだし、はやめに俺の手札を晒しておいた方が無難だろう。


 というわけで今日は迷宮攻略ダンジョン・アタックも冒険者ギルドでの打ち合わせも中止して、リィンとデートをする予定である。


 ターニャさんたちも昨夜のことを会議せねばならないだろうしちょうどいいはずだ。

 彼女らにしてみれば俺がこの都市にひょっこり現れてからこっち、気の休まる時間もない状況だろうから気の毒ではある。

 

 だけどここを乗り越えたら、人にとってもいい時代――それこそ古の『大魔導期エラ・グランマギカ』を超えるほどの大発展期になると思うので勘弁願いたいところだ。


 よって今俺は『銀砂亭カーレ・サンスィ』までリィンを迎えに来ているわけなのだが――


「寝てる?」


「はい、おそらくは……」


 申し訳なさそうに頭を下げている支配人マネージャーだが、こちらこそ申し訳ない。

 リィンの部屋には誰も近づかないように指示していたのは俺なので、起床の確認に行くこともできないのではどうしようもないだろう。


「わかった、俺が起こしにいくよ」


「申し訳ございません」


 一応は女性が寝ている部屋の鍵を男の俺にあっさり渡すのはどうかと思わなくもないが、彼らにしてみれば俺は所有者オーナー筋の大物なのだ。

 その意志に逆らうようなことができないのはあたりまえと言えば当たり前か。


 板長との個人的な付き合いもあり、俺が高級娼館『蜃気楼』を定宿にしていることも知られているだろうから、そういう方面の心配はないと信頼されていると思おう。


「おはようリィン。リィン? 入るよ?」


 最奥のもっとも高級な部屋、その扉の鍵は勝手に開けてすでに侵入している。

 そんな場所から声をかけても寝室まで聞こえるはずもないので仕方がないのだ。


 きちんと閉められた障子の前で声をかけているので問題はなかろう。


「……ほんとに寝てやがんの」


 だが返事がない。

 起きていて聞こえないはずはないので、本当に寝ているらしい。


 普通ならなにかあったかを疑うのかもしれないが、俺の拡張現実A.R表示枠でリィンに異常が起こっていないことはわかっているので、そこは慌てる必要はない。

 とはいえさすがに寝ているか起きているかまでは表示されないしなあ……


「おーい」


 仕方がないので障子をパシンと小気味のいい音を立てて開け、寝室へ踏み込む。


 真新しい畳の上に敷かれたふかふかの羽毛布団に埋まるようにして、『黒化』状態に戻っているリィンがすやすやと寝ている。

 

 ――ああ、そういえばいつもは野宿だったっけ。エルフ秘伝の魔法道具を使っているとはいえ、こんなふかふかのオフトゥンで寝るのが久しぶりとなれば、寝過ごすのも仕方がないのかもしれないな。


 いつものどこか張り詰めた表情とは違う絶妙に間の抜けたような寝顔ではあるものの、元が恐ろしいほど整っているだけに可愛らしい。

 ここまでくるとたとえ涎を垂らして寝ていても可愛いのだろうなと思う。


 とはいえこのまま眺めていても埒が明かないので、少々もったいないが起こすことにする。

 声に反応しないとなれば、触れるしかあるまい。


 『黒化』状態のリィンに触れられる者など本来いるはずもないので、そこはから油断しているのかもしれないな。


「っん……や」


 だが俺は『黒化』に影響されない。


 別に『人造神遺物ニア・アーティファクト』に頼らなくとも、内在魔力インナー・マギカの総量と回復量、回復速度が一定以上の域に至ってさえいれば、『黒化』の吸収ドレインを上回るのだ。


 その状態であれば呪い――石化は起こらない。


 すやすや寝ているリィンのおでこに触れると、相当量の魔力が吸収され始める。

 この世界の人にとって魔力の吸収は性的快感を伴うので、俄かにリィンの寝顔と漏れ出る声が艶を帯びるが、まだ起きる気配はない。


 朝には相応しくないイケナイ感じになってきたので、強引に覚醒してもらうしかない。


 よって俺は自然吸収に任すのではなく、己の意志で一気に大量の魔力をリィンの体内へと流し込む。

 このあたりの己の『内在魔力インナー・マギカ』を自在に操作することについては、果てしない繰り返しの中で嫌というほど訓練してきたのでお手のものなのだ。


「きゃあぁぁぁ!!!」


 『黒化』しているリィンであれば問題ないだろうと思っていたが、その効果はアリスさんたちにするよりも顕著だったようだ。


 一気に流れ込んだ魔力に反応し、全身を反り返らせて声を上げ、その後脱力して震えている。

 浴衣だけを身に纏った肌には一斉に汗が噴き出し、布団まで濡らしているありさまになってしまった。


 ごめんリィン。

 わりとやりすぎた。


「おはよう、リィン」


「ま、マサオミ? どうしてここに、ってあれ? ここって……」


 さすがに目覚めてそのまま気を失うほどではなかったと見え、なんとかリィンの意識は覚醒している。

 寝ていた故に自分になにが起こったのかを正確に把握できていないのは助かった。


 何事もなかったように額から手を離し、リィンが自分で起きたかのように振舞う俺はなかなかに卑怯者だろう。


「うん、いい寝ぼけぶりだ。だけどそろそろ起きようか。もういい時間だよ」


「……女の子の寝ている部屋に無断で入ってくるのはどうかと思う」


 最初はここがどこで、自分がどういう状況にいるのか、すぐには思い出せなかったのだろう。

 まさに寝ぼけたコが言うであろうお約束のような台詞を発した後、思い出して赤くなっている。


「確かにね。だけどそうするといつまでたってもリィンが起きなくてお店の人が困るからさ。しょうがなくない?」


「うぅぅ……」


 昼前とは言わぬまでも、こんなに明るくなるまで寝こけていた経験もあまりないらしい。

 俺の指摘が相当に恥ずかしかったらしく、布団に顔の半ばまでを隠して唸っている。


 とはいえかなり意識ははっきりしてきたみたいだし、今日の予定を伝えても大丈夫だろう。


「さて今日は一緒に街で遊ぼう。昨日話せなかったこともいろいろ話したいし」


「でも、私は……」


 そう、『黒化』状態の『贖罪の種族エルフ


 それがどれだけの欺瞞に満ちた常識なのか、今の俺はもう知っている。

 だがそんなことは関係なく、ただそうだと教えられ育ってきた迷宮都市ヴァグラムの住民たちにとって、リィンは今なお忌むべき存在なのだ。


 それをけしからんと俺が今喚き散らしたところでどうにもならない。

 根本からその常識を覆すためにも、リィンには協力してもらわねばならないわけだし。


「その辺の準備はしてきてるさ。扉の前で待っているから、リィンの来てくれる?」


 思うところがないわけではないが、今の時点で普通に街中を歩こうと思うのであれば、変装するのが最も合理的だろう。


 しかも今の俺であれば、フードを目深に被るなどという原始的な手段に頼る必要もない。

 今日一日中リィンを『白化』させて、耳もエルフだとわからないようにするくらいは造作もない。

 そのための『魔道具』もすでに用意してきている。


 あの日リィンが俺へと遺した、あのペンダントをベースにしたものだ。

 今はまだリィンが持っているものと見た目は寸分も違わないので、見たらリィンはびっくりするだろう。

 

 とにかくそうリィンへ告げて、いそいそと寝室からも続きの居間からも出るて行く俺である。

 今のリィンは着替えるだけではなく、絶対にひと風呂浴びる必要があるからだ。

 それをこの場で見届けるようとするほど不届き者ではない。


 どうやらやっと自分の今の状態を認識したリィンが、真っ赤になって布団の塊のようになった中から、か細い声で聴いてくる。


「あの? マサオミ――私にナニか、した?」


「イエベツニ? マッテルノデゴユックリドウゾ」


 バレているかもしれないが、そこを突っ込むのは危険と判断したリィンは黙り込んでいる。

 

 ここはさっさと一時的かつ戦術的退散をするべきだろう。




 こんなばかばかしくて他愛ない時間を、これからの当たり前にしてやる。

 そのためにこそ俺は、気の遠くなるほどの繰り返しの果てにここへ戻ってきたのだから。

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