第010話 撃破

 カウント10、9、8、7、6、5、4、3、2、1……0。


 そして時は動き出す。


 リィンが発した「逃げて、マサオミ!」という叫びの余韻もまだ残る中、24時間に渡って停止していた『時間』が再び正常に流れ出した。


 我ながら相当妙な表現にならざるを得ないが、正しくなのだから仕方がない。


 『影狼王』の巨大なあぎとから放たれようとしている直線型の広範囲長距離攻撃。

 ただし『時間停止』発動前とは向きが約90度変わっている。

リィンとディマスさん、馬車から見れば、俺と『影狼王』が近距離で相対しているのを横から見ているような位置関係になっているのだ。


 俺以外には一瞬でそうなったようにしか見えないだろうから、リィンとディマスさんは驚くよりも一瞬思考が停止してしまっているかもしれない。

 俺なら間違いなくそうなる。


 だが俺はわざわざ『影狼王』の放つ攻撃の射線上に身を置いて、『時間停止』の効果が切れるのを待っていた。


 ボスクラスレベル31と今の俺――プレイヤーレベル48の、彼我の戦力差を確認するためだ。

 

 レベル差は実に17。


 普通に考えれば油断して二発や三発の直撃を受けてもまず問題ないはずだ。

 ただの体当たりとはいえ、レベル3の時でさえなんとか凌ぎきれた事実からかんがみても、まず削りきられることはあるまい。

 万が一ヤバそうなら、再使用リキャスト可能になっている『時間停止』を発動することも選択肢に入れてはいる。


 だがたぶん大丈夫だ。

 なぜならば『時間停止』前には『影狼王』に対して感じていた圧倒的なを、今はもうなにも感じない。


 すでに俺は防御系武技である『護りの掌』を発動し、左掌を前に突き出し、腰を落として握り込んだ右拳を腰後ろまで引いて構えている。

 ちなみにこの所作は武技を発動したことにより、ほぼ全自動で俺の身体が勝手に動いた結果である。


 あるいは知覚外での位置変更に一番驚いていたのは『影狼王』だったのかもしれないが、合わせたはずの射線から獲物のうち二つリィンとディマスさんが消えていても、そのまま急に至近距離に現れた俺に向かって攻撃を放つことに迷う様子は見受けられない。


 それはそうだろう。

 『影狼王』にとっての数瞬前までとはもう、まるで状況が変わってしまっているのだから。


 いまや俺の方がはるかにで、本来であれば自分から戦闘を仕掛けるような相手ではなくなってしまっているのだ。


 その俄かには信じがたい事実を、己の野性によって一瞬で理解できているのだろう。

 なぜそうなったかはわからなくても、彼我の戦力差が一瞬でひっくり返ったばかりではなく、その差が絶望的なまでに開いていることを本能で察知しているのだ。

 

 絶対的な強者を前にして、それ以下の戦力しか持ち得ない余計な獲物に気を逸らす余裕もなければ、今更ケツを捲ったところで逃げられないことも理解できている。


 だからこそ幸いにも即時発動できる状況にある、己の大技を叩きつける以外の選択肢があるはずもない。


「マサオミ!!!」


 俺を心配して再び発されたリィンの声に合わせたかのように、『影狼王』の大きく開かれたあぎとから、莫大量の黒い光の奔流が迸る。


 瞬時で着弾したそれはだが俺の身体を砕くこと能わず、前方に突き出された左掌に激突して幾筋にも切り裂かれ、暴れ狂う黒縄の如く四方八方へ拡散してゆく。

 だがただの一閃すら、五指を開いた左掌に護られた俺の身体に達することはできず、さりとて拡散したまま後方に要らん被害を発生させることもない。


 切り裂かれ幾筋もの細い縄のようになった黒い光の奔流はそのまま俺の背後に踊るようにして巨大な魔法陣を構築していき、それは『影狼王』のあぎとから撃ち出されるそれが尽きるまで続いた。


 やがて『影狼王』の攻撃が終了した時点でも、俺のH.Pはほんの僅かすらも削られていない。

 完全にノーダメージ。


 そして大技を放ったために長めの硬直を余儀なくされている『影狼王』に対して、俺は開いていた左掌の五指を閉じる。

 その瞬間、『護りの掌』が敵の攻撃力を変換して構築していた魔法陣が一瞬強い光を発した後、爆縮するように引いて腰だめに構えている右拳に宿る。

 それと同時、高い金属音のような音とともに強い光を握り締めた五指の間から迸らせる。


 『護りの掌』は防御武技であると同時に、より高レベル、高スキル値で習得する『砕きの拳』という攻撃武技と合わせてこそ、その真価を発揮する。


 すなわち武技二つをかさねて発動させることによる、カウンター技。


 『護りの掌』によって攻撃を防ぐと同時、魔法陣としてその特性、破壊力を分解吸収。

 それを『砕きの拳』によって己の攻撃力に放つ。

 それは単純な破壊力に止まらず、吸収した技の持つ特性をも含まれる。


 思考加速も発動している俺の感覚からすれば、ゆっくりと閉じた『護りの掌』の左腕を引き、それと交差させるように引いていた右拳をただまっすぐに打ち出す挙動。

 まるで型を演じるような静かな動き。


 だが。


 突き出された俺の右拳と『影狼王』の間の空間に、幾重にも連なった波紋のように可視化した空間振円が瞬時に発生する。

 『砕きの拳』による攻撃が『影狼王』までという視覚効果エフェクト


 その空間に発生した波紋が『影狼王』の突き出た鼻先に触れた瞬間、その巨躯の鼻先から尻尾の先端に至るまで、幾重にも重ねられた衝撃円として突き抜ける。


 その巨躯を覆う艶やかな長めの体毛をまるで電撃を受けでもしたかのようにすべて逆立たせ、そのまま何の抵抗もできることなく地響きを立てて大地へと倒れ伏す『影狼王』


 『砕きの拳』の一撃で絶命していることは、俺の視界に表示されていたH.Pバーがすべて消し飛んでいることからも明らかだ。

 異層保持空間ストレージへの自動格納機能は切っておいたので、今まで倒した魔物モンスターたちとは違い、その場に絶命したむくろは倒れ伏したままになっている。

 

「倒した、の? それもたった一撃……で?」


 この身体になってからやたらと機能向上している故か、茫然としたリィンの呟きを俺の耳が捉える。


「……マサオミ!!! だ、大丈夫?」


 だがそれも一瞬のことであり、リィンにしてみれば数瞬前に『影狼王』の体当たりで吹っ飛ばされた俺を心配して駆けよってきてくれようとしている。


 リィンを護るように展開されていた黒球状の結界は当然消えている。


 どうやらリィンは俺の異層保持空間ストレージと似た能力を持っているらしく、護るように浮遊していた『魔導器』は今はどこかに消えてしまっている。

 敵と対峙するまではなにも持っていなかったのだから、当然と言えば当然か。


 戦闘能力を持った身としては今の戦闘について聞きたいことも山ほどあるだろうに、表情もその口調も、もちろん口にしている言葉も俺を心配することを優先している。

 思えば強大な敵影狼王と対峙しながらも、リィンは常に俺の心配もしてくれていた。


 エルフがなぜこの世界で忌み嫌われているのかはこれから調べる必要はあるのだろうが、少なくとも俺にとってリィンという一個人は間違いなく「いいやつ」である。


 先入観を持つ前のこの第一印象を大事にするべきだと思う。


 それに俺の方にもリィンに聞きたいことは結構あるので、ひと段落したらお互いの情報交換をするのは望むところだ。


「見てのとおり怪我一つしてない、大丈夫だよ」


 べつに強がっているわけではない。

 俺にとっての約24時間前とは違い、ボスクラスとは言えレベル31ではまったく脅威ではなかった。


 『影狼王』の大技は『護りの掌』をわずかですらことができず、逆に『砕きの拳』の一撃ですべてのH.Pを消し飛ばされたのだ。

 レベルで二桁差が開くということは、ボスクラス魔物モンスターでさえ雑魚と成さしめるという証明といえるだろう。


 つまり今回のやり方を繰り返せば、どんな高難易度区域エリアに足を踏み入れ、そこにどれほど高レベルの魔物モンスターが溢れていたとしても俺は負けない。


 「レベルを上げて物理で殴れ」を安全に実践できるのだから。


「マサオミは……すごく強かったのね」


 魔導器も球状の結界も消し、俺のすぐそばまで寄ってきてリィンが感心した様子でそう告げる。

 と同時に本気で心配して叫んだことをちょっと恥じているのだろう、その整ったかんばせにはほんの僅かに朱が差している。


 気持ちはわからなくもない。


 己を絶対的な強者と看做して「上から」心配していたら、自分などよりもずっとその心配していた相手の方が格上だったことを実証された際の居た堪れなさというやつだ。


 リィンがぼんやりとでも相手の戦闘能力を把握できるが故の事故ともいえる。

 実際、リィンが心配してくれた時点の俺と、今の俺では文字通り桁違いの戦闘能力になってしまっているのだから。


 つまり正しくは「強かった」ではなく「強くなった」なのだ。


 『時間停止』という不正行為チート能力の存在を知らなければ、そんなことを理解できるはずもないとはいえ。


 達人ほど常は己の強さを感じさせず、必要に応じてその威を発する。

 リィンはそんなよく聞かれる、いかにも強者っぽい在りようだと思ってくれているっポイ。

 しかし無駄にカッコよく聞こえるな、そういうことになると。


「どうやらそうみたいだな。だけどリィンもすごく強そうに見えたけど」


 要らん謙遜をしても仕方がないので、強さについては肯定しておく。


 だがこの世界の平均的な冒険者に対してどの程度なのか、もっといえばリィンに対してどの程度なのかがわからないのも本音なので、という言い方にしておく。


 事実リィンはに時間こそかかってはいたが、それが完了した際に放っていたであろう攻撃の破壊力は未知数だ。

 複数浮かんでいた魔導器も虚仮脅しなどではないだろうし、今の俺の攻撃手段であの球状の結界を抜けるかどうかもわからない。


 最悪レベルもなにも関係なく、「エターナルフォースブリザード、相手は死ぬ」系の攻撃がこの世界には存在するというのであれば、測る物差しによって『最強』の定義は変わらざるを得ない。


「うん……自分でもそう思っていたんだけど、自信無くなっちゃったかな。を一撃で倒すことはさすがにできないし、マサオミと馬車を守りきれたかどうかは正直自信ない」


 だがリィンには『影狼王』を俺のように倒す攻撃手段はないらしい。


 そう言っている様子が、ちょっと拗ねた感じになっているのが可愛らしい。

 それに俺の方が強者だと認識した以上、最初のようないかにも「強者らしい」言葉遣いを維持する必要もないと判断したらしく、素の話し方になっているようだ。


 とはいえ自分一人であれば充分に倒しきれるという確信も持っている。

 リィンが自信がないと言っているのは俺とディマスさん弱者二人を護りきることに対してであって、ただ戦って勝つだけならばそう難事というわけでもないのだろう。


「でも護ろうとしてくれていたよな」


「え、あの……いちおう、は?」


 お荷物を見捨てればまず間違いなく勝てる相手に、苦戦するかもしれないがそれでも護ることを大前提として戦おうとしてくれた。

 

 実際にができたかどうかはこの際どうでもいい。

 そうしようとしてくれたその意志こそが、俺にとっては重要なのだ。

 

 さっきまでほんの僅かであった朱がだんだん強くなり、今やリィンは真っ赤になってしまっている。

 強者を護ろうとしていた自分を恥じているのかもしれない。


 素直に可愛いと思う。

 でも笑ってしまう。

 

 なんのしがらみもないこの世界で俺が何かを――誰かを大切にするのなら、こういう在り方をこそしたいものだと、そう思う。


「余裕で倒せる人が護ってくれるのはありがたいし安心できる。でも自信が無くても護ろうとしてくれる人がいてくれるのは嬉しいものだよ。ありがとう」


 袖摺り合うも他生の縁。


 もともと縁も所縁もない異世界のこの地で、俺が最初に出逢ったのがリィンであったのは恵まれているというべきだろう。


「……それはこっちの台詞だと思う」


「言われてみればそうか」


 真っ赤になって口を尖らせ、異議を唱えるリィンに素直に合わせておく。

 確かに護られた側が、護ってくれた相手から謝意を告げられるのはいささか妙ではある。


 俺がリィンの立ち位置だったらこっ恥ずかしいいことこの上ないのは理解できるので、これ以上はやめておいた方が無難だろう。


「強者の余裕って、こういう感じなのかぁ……」


「そんな嫌味っぽいか?」


 俺の足元でうろうろしていたクロを抱き上げながら、溜息交じりに呟いたリィンの言葉は確かにその通りかもしれない。


 今の俺は確かに「力」を持っている強者と言える。

 しかもそれは不正行為チート能力を以って、世界のコトワリすらも超越するとんでもない領域のものだ。


 少なくともこの地点から半径百㎞単位で、今の俺に1vs1で勝てる魔物モンスターはまずいない。

 まあそれはあくまで通常湧出ポップ個体に限られるとはいえど。

 その上『時間停止』を発動すれば、1vs1で勝てる相手でさえあればそれが軍団レギオンを成していても、傍から見れば一瞬で薙ぎ払うことすらも可能なのだ。


 そしてそれは当然、魔物モンスター限定で行使される力ではない。

 俺がそのつもりであれば、人――万の軍勢だとて瞬殺してのける魔王ムーブも児戯に等しい。


「……取りようによっては」


「気を付けるよ」


 クロを抱き上げ、そのびろんと伸びた猫体で口のあたりを隠しながら上目遣いでそういうリィンは、さほど本気で言っているわけではないのだろう。

 柄にもなく――そう思っているのは本人ばかりなりだと思うのだが――テレさせられたことに対する、ちょっとした意趣返しといったところか。


「……冗談だよ?」


 だが予想外に俺が真面目に返事をしたので、慌ててフォローを入れてくれている。

 美少女があわあわしている様子も可愛いが、気を付けようと思ったのは本音のところだ。


 嫌味になる程度であれば、特にどうということもない。


 しかし己がとんでもない力を持っていて、それを行使することによってを通せるのだということは、きっちりと自覚しておくべきだと思ったのだ。


 正義、大義、世直し、救世、善行、etc、etc。

 どんな言葉で飾っても、俺がこの降って湧いたように得た力で押し通すのは我意、つまるところ我欲に過ぎない。


 圧倒的な力を以って、己の思う正しさを通せることはおそらくとんでもない愉悦だろう。

 必要以上に遠慮するつもりもないが、だからこそある程度の自重も必要だとも思う。


 強者がなすことこそが正しく、力を伴わない正しさなど存在しない。


 それは少なくとも強者側が口にするべき言葉ではない。

 弱者が世の理不尽を受け入れるしかないときに、自分を納得させるべく言う言葉なのだ。


 おそらくはそれが真実、あるいは「正しさ」など初めから存在しないからこそ。

 では間違いなく弱者の一人であった俺が、それを忘れるべきではないのだ。

 

「だったらここは、感謝の言葉の代わりに抱き付いてくれたりするのがお約束だとか思わない?」


「お望みならそうしましょうか?」


 とはいえ重い空気を出すつもりもないので、軽い調子でそう言ったらジト目で睨まれた。


 なんで本気でやったら引く癖に、みたいな空気を漂わせているのかは不明だが、照れ隠しなどではなく本気であきれた様子が見て取れる。

 

 エルフという種族がこの世界においてはいくら忌むべき存在だとしても、リィンが美しい少女であることに変わりなどあるまいに。


「いやホントに望むところなんだけど?」


 あくまでも冗談とはいえ、リィンに抱き付かれて心底嫌がる男などいるのだろうか。

 それは俺がこの世界の住人ではないからこそそう思うのであって、禁忌の存在とされる者に対する嫌悪感はそんなにものすごいものなのだろうか。


 差別意識など、所詮動物に過ぎない人の本能に根差す欲望を越えられるとは思えない。

 歪んだ形で発揮される場合はあるかもしれないが。


「エルフを知っているのに、のはどうして? マサオミはどこから来たの人なの?」


「……どこだろね」


 だが俺の本音に対するリィンの態度は、照れるでも冗談めかしたジト目でもなく、本気で俺という存在を訝しむものだった。


 リィンのその言葉に嫌悪は感じない。


 だが俺の言動は間違いなくこの世界において常識とされていることをなにも知らない、まるで久那土くなどからし者――異世界人としか思えぬものだということだろう。


 そしてその評価は、奇しくも的を射ている。




 俺は間違いなくリィンからすれば、異世界からやってきた異邦人なのだから。

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