8-3



 森を抜けてギラの町に戻り、教会に近づかないような経路でアリアとリンボの家に行く。

 エナから事情を説明すると、アリアは驚いた様子だったが、リンボはにやにやと了承するだけだった。そういった考え方があることを知っていて、こうなることもわかっていたのか、それとも生来の暗い思考回路で予想できていたのかはリンボにしかわからないことだった。

 まだ夕食を作る時間でもないということで、めいめい自由に過ごすことになった。ライルハントはとくにすることもないので、家のなかのイヴを捜すことにした。

 イヴは玩具と絵の多い部屋に、ひとりで座っていた。アリアがとても小さい頃に過ごしていた部屋で、どの玩具も絵もかつて両親がアリアに買い与えたものだった。ライルハントがなかを覗くと、イヴはひらひらと手を振った。その両手には男の子の人形と女の子の人形があった。

「あのね。アダムとイヴは、一緒にいたの」両手に持つ人形を並べて置く。「いつか目が醒めたとき、一緒にいられるように、一緒にいたの」

「ユプラ神がそうしたんだな。アダムとイヴが一緒にいるように」

「うん。アダムとイヴは一緒にいるのが正しいの。目覚めたイヴはアダムに出会うのが正しい。でも、そうじゃない。だから、かなしい」

 そのとき、どこかで――少なくともこの建物の傍で、何か大きなものが落ちる音がした。なんだろうと思ったが、そこまで強く興味を持つほどではなかった。

「イヴはアダムに会いたい」

「そうだな。だから僕達は、早くサクランド王国に行かないとな。アダムがお城にいるなら、きっとサクランド王国の城だろう。国というものには城があるんだと、スイが言っていた」

「サクランド王国に行くんですか?」廊下から、エナが言う。「気をつけてくださいね。サクラ教の人はユプラ教の人を殺しちゃうってお父さんが言っていたので、もしもイヴちゃんの正体がばれてしまったら、危ないかもしれないです」

「そうかもしれない。そもそも、サクラ教と関係のある男に一度襲われたことがあるから」

「え? そんな過去があったんですか、ライルハントさん」

「ああ。昨日のことだ」

「え、どういう……ことですか?」

 ライルハントはエナに、ありのままを説明した。屋敷での事件、殺人者の言動、近くの町で待っていると伝えて逃げてきたこと。すべてを聞いたエナは、そんな、と声を震わせた。

「ライルハントさん、なんだか不思議なところがあるから、てっきり気まぐれできてくれたものとばかり……!」

「わたくしはきちんと警戒していましたけれど、まさかそんなバックグラウンドがあったなんて驚きですねえ」エナの後ろから、ひょっこりとリンボが出てくる。いつの間にか聞き耳を立てていたらしい。「そして、そんな状況下でサクランド王国に赴くおつもりなんですか? ライルハントさん」

「シュミレ達と合流したらな」

「遺体が増えるだけですね」リンボはきっぱりと言う。「ライルハントさんの仰ったサクラ教と関係があるらしき男の言動からして、アダムさんとイヴさんのことは、サクラ教から認知されているでしょう。となると、アダムさんを連れ出すというのはサクラ教にとって、きっといいことではない。五人みんな狙われてしまいますよ」

「リンボちゃん、縁起でもないこと言っちゃいけないよ。ぬすっと少女隊の力ならどうにかなるかもしれないし、リンボちゃんの言ってることは憶測でしょ」

「だから、あくまでも可能性の話をしているんですよ。でも、少なくともライルハントさんは杖の力を使わないほうがいい状態なので、そこで勝率はぐっと減るのではないでしょうか」

「……どうして使わないほうがいいの?」

「エナにもかいつまんで話しましょうか、陰謀論。信じるか信じないかはあなた次第」

 そうしてリンボが伝えた、サクラ教が魔法を独占しているという話と、ジードリアスの発言を統合すると――サクランド王国での魔法の使用は、使用者の隠滅の理由となる。ジードリアスという魔法を斬れる剣士がいることも考えると、生きてことを為せる可能性は、かなり低かった。

 それはライルハントとエナでも、みなまで言わずとも理解できることだった。

「なるほど。杖の力は使えないんだね」エナは頷いた。「となると、別の強い力が必要なのかな。妖精に力を貸してもらう……とか?」

「簡単なことではないでしょうね、ギラの町の防衛力を個人の事情のために貸し出すというのは。イヴさんがユプラ神の子だという件も、証拠なんてありませんから」

「じゃあアリアに鍛えてもらうとか」

「鍛えてもらったら一国に勝てるようになるんですか? アリアは英雄でも化け物でもありませんよ」

「リンボの言う通りだ」リンボの背後からアリアが出てきて言う。「でも、生き延びる可能性を増やす手段は、まだあるよ」

「え? なんでリンボちゃんもアリアもこっそり話を聞いてから急に出てくるの? わたしの友達ってそういう子しかいないの?」

「アリア」エナの戸惑いをスルーしてライルハントが言う。「その手段とはなんだ?」

「俺達が冒険の果てに手に入れた、あの剣を――さっきこの家で預かることになったあの剣を、持っていくといい」



「ライルハントさん、本当にいいんですか? 森のなかで寝ることになって」

 その日の夜、玄関でリンボは言う。ライルハントは笑って、

「夕飯まで食べさせてもらったし、イヴは預かってもらえるんだろう? 十分だよ。それに、剣の使い方に慣れるなら、広い場所のほうがいいだろう」

「では、わたくし達が責任を持ってイヴさんを預かります。シュミレさん達については、夜間に到着してしまった場合はわかりませんが、早朝ならば、エナがランニングをしているためご報告できると思います」

「ありがとう。本当に、お前達にはたくさん世話になるな」

「どういたしまして。……あ、そうだ。待っててください」リンボは外に出ると、少し時間を置いて、一冊の本を持って帰ってきた。その表紙には、『はじめての剣の道』と書かれている。「剣の練習をするのならば、振り方について書いてある本を読んだほうがいいです。絵が大きいので、きっとわかりやすいと思います」

「おお! ありがとう」ライルハントは嬉々として受け取った。「リンボ、お前いいやつだな。色んな話を聞かせてくれたことも、とても感謝しているぞ」

「ひひ。いいやつなんて、やめてくださいよ。わたくしは、人が悪いって言われるほうが性にあっているんですから……それでは」

 おやすみなさい。

 リンボはそう言って、ドアを閉めた。ライルハントは中庭から出ようとして、物置を目にとめる。

 大きな存在に投げ捨てられたかのように、寂しく打ち捨てられた物置小屋を眺める。

 ライルハントはしばらくそれを見てから、ギラの町を出た。妖精はライルハントに対して、とくに何もしなかった。昼に剣を捜した森に入ると、真っ暗な森の木々の隙間から見える星々が美しく、懐かしい気持ちになった。思えば独りで自然のなかにいるのも久しぶりなことだった。孤島や熊のミサンガが恋しくなってきて、早くアダムと会って落ち着こう、という気持ちをひとり強めた。

 月明りを頼りに、『はじめての剣の道』を読む。幅広い年齢層を想定しているのだろう、ライルハントでも苦ではない程度の易しい単語が多い本だった。ロングソードを抜いたライルハントは、本の通りの姿勢で剣を持ち、空中に向けて素振りをした。

 ぶん、と風を斬る音がした。

 しばらく同じように素振りを続けて、ふと方向を転換しようとしたとき、その勢いで剣の刃がすぐ傍の木の幹を斬りつけた。

 するとその木は根っこからもげて、別の木に当たるまで、真っ直ぐに吹っ飛んだ。

「……どうやら、無闇に当ててしまわないよう、気をつけたほうがいいようだな」

 ライルハントは、アリアの言っていたことを思い出す。自由な時間に、ふと剣の振り心地はどんなものかと中庭で振っていたら物置小屋にぶつかり、その拍子に物置小屋が不自然なほど吹っ飛んでしまったということ。

 そしてその現象から、この剣には妖精の力があると考えてよさそうだ、ということ。

 刀身に触れただけでなんでも吹っ飛ばしてしまうようなものは危なっかしい、というのも持って行ってもらいたい理由だとか――返さなくてもいいとまで言われてしまった。

「魔法の杖に、妖精の剣か――これでどうにか、するしかないな」

 ライルハントは極力、素振りを心がけて夜を過ごした。あまり木々を破壊して、森の生き物に迷惑をかけてはいけないと考えて。



 夜が明けてすぐ。

 起き抜けのぬすっと少女隊が歩いていると、やがてギラの町に辿り着いた――足を踏み入れようとしたところを一度は妖精により阻まれてしまったが、ちょうどエナが通りかかったため、二度目はきちんと町に入ることができた。

 ぬすっと少女隊をリンボとアリアの家まで送ると、エナはなんだか嬉しそうな顔で作っておいた弁当を携え、森で眠るライルハントを迎えに行った。



 そして、同時刻。

 ジードリアスは眠たそうな門番に迎えられながら、サクランド王国に帰還した。

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