Ⅷ 妖精、魔法、信じるか信じないかはあなた次第
8-1
「ええーっ! ライルハントさんがどうして、屋根の上に!」
明朝のランニングをしていたエナは、ギラの町の静けさを引き裂くような大声でそう言った。心からびっくりして、思わずへたり込んでしまった。ぬすっと少女隊に言われるがままトレジャーハンターを諦めて地元に帰ってきたのが昨日の夕方、まだ身体に残る冒険欲をランニングで発散しようと思ったのが夜明け頃。まさかその結果、家屋の屋根の上でイヴと杖を抱きしめて眠る、ライルハントを発見することになろうとは。まったくもって予想外のことに、うろたえるほかなかった。
「え……というか、どうして、ギラの町に? セキュリティは? 外で生まれた人間が入ろうとしたら、入口で弾かれるはずなのに。……どうしよう?」
エナが第一発見者であろうことは、こうして放置状態になっていることから確実だった。不審な侵入者はただちに町長お抱えの警備隊に届けて処分させるルールになっているからだ。
「だから、えっと、突き出さないといけないんだけど……そんなことをしたら、処罰とか、されちゃうよね? ライルハントさんが。嫌だなあ」
悩んだ挙句、匿うことにする。中庭にある物置からこっそりと梯子を持ってきて、屋根に登れるようにする。そしてゆっくりと屋根と地面を往復し、落とさないように慎重に、ライルハントと杖とイヴを中庭に置いた。
エナの家は家族と同居でこうしたことには向かない。そもそもその家の屋根にいたということもあって、アリアとリンボの住む家の門扉を叩いた。両親を亡くしているアリアと、親に放棄され兄もあまり家にいないリンボは、寄り合うように暮らしている。
「どうしたんだい、エナ。こんな朝早くから。……あれ、その人は」
「アリア、おはよう。ライルハントさんとイヴちゃんが屋根の上で眠ってた! 何か事情があるんだろうし、罰される前に匿いたい!」
「ふむ。俺としては、ぬすっと少女隊の傍にいたその男にも、あまりいい印象はないんだけれど……どうして匿いたいのかな?」
「それは……それ、は……その」
「アリア」ぬ、っと現れたぼさぼさ髪のリンボが、寝起きながらいつも通りの厭らしい笑みを浮かべて言う。「野暮なこと、言うもんじゃないですよ……ライルハントさんの顔がタイプなんでしょう? エナ」
「ちょ、リンボちゃん……違うもん、顔だけじゃなくて声とか身長とか……じゃなかった、そうじゃないよーっ!」
顔を真っ赤にして否定するエナ。アリアは、そうかそうかと頷き、
「まあ、エナの好きな人ならば守らない理由もないね。いいよ」
と言って、爽やかに笑った。
ライルハントは目を覚ますと、すぐに困惑した。ひとまず到着した町で、眠気を訴えるイヴを抱きしめて地面に眠っていたはずが、起きてみるとふかふかのベッドの上にいたのだ。しかも、イヴは自分の腕のなかからいなくなっていた。
最初はシュミレがイヴと寝ているから当たり前だと思ったが、ぬすっと少女隊とは離れていることを思い出すと背筋が凍った。
焦って起き上がると、
「おや、起きたのかい」
と、見覚えのある女性――アリアに声をかけられた。
「ぐっすり眠っていたね。イヴちゃんはエナと一緒に遊んでいるから、何も危ないことはないよ」
「僕は……たしか、えっと」
「屋根の上で眠っていたのを、エナが見つけて、俺の部屋まで運んでくれたんだ。エナに感謝するといいよ。あのままだったら危なかった」
「……そうか。お前にも礼を言わなければいけないな」
「礼なんていいよ。エナを呼んでくるから、寝て待っているといい」
アリアは椅子から腰を上げて、部屋を出た。ライルハントは自分の杖が、部屋の隅に立てかけられていることに気がついた。
それから窓の外を見ると、太陽の高く昇る昼の時間帯であることを察した。広場が見えて、わいわいと遊ぶ子供達の姿も見えた。なんとなくイヴの姿を探したが、どうやらいないようだった。
「ライルハントさん!」ドアを開けるなり、エナは嬉しそうに言った。「目覚めたんですね! お身体、痛みなどありませんか?」
「ええと……エナ、だったな。怪我はないぞ」
「よかった。あんなところで眠っていたから、身体を痛めていないかと……えっと、イヴちゃんはアリアとリンボが遊んでいます」
「そうか。……エナ、ありがとう。暖かいよ」
「そんな、お礼なんて……わたしはライルハントさんがギラの町にきてくださってくれたことがとても嬉しいです」
「うん? ああ、ここがギラの町なのか」とライルハントは驚く。「だからエナやアリアがいるのか」
「町の入口に看板があるはずですけれど……ああ、夜中だったからわからなかったんですね。でも、どうやって入ってきたんですか?」
「空からだったから、看板は見ていないよ。杖の力で飛んできて、適当なところで降りたんだ」
「空から? 杖の力で? ……なるほど、さしもの妖精と言えど、予想外の方向からの来客には対応できなかったんでしょうね」
「ヨウセイ? なんだ、それ」
「ああ、えっと……妖精は、町の中心にある池で暮らす生き物です。どんなに重いものだって持ち上げたり投げ飛ばしたりすることができる、不思議な力を持っています。ギラは、そんな妖精の力で守られている町なんです」
ギラはそもそも、ひとりのシスターが中心となって興した町である。妖精は本来別の大陸の生き物だったのだが、そのシスターと長い付き合いの妖精がいたようで、いくつかの妖精の仲間がシスターについていき、その力を町の発展のために使ったそうだ。
シスターはユプラ教の信者であり、周囲の人々も元はユプラ信仰の大きな町からやってきていたため、自然、ユプラ信仰の町として誕生することとなった。その頃にはユプラ信仰は世界的に薄れていて無神論者が増加傾向にあったため、それでも信じ続けると決めた者達の結束は固かった。
妖精は水場に暮らす生き物であるため、人々は妖精のために巨大な池を作った。そしてその代わりに、ギラの町を脅かす侵入者が足を踏み入れるとき、その力で弾き飛ばしてもらう約束をした。
「というわけで、ギラの町は数百年前に池が出きてからずっと、妖精に守られ続けているんですよ」
「入ってきた者を……弾き飛ばすというのは、こう、すいっと、真っ直ぐ飛ばすのか?」
「ああ、そうですね。どこかの岩や木に頭をぶつけるまで、真っ直ぐ飛ばしてしまうんです。見たことがあるんですけれど、弓矢みたいにびゅーんって行っちゃうんですよ! 子供の頃だったので、すごく笑いました!」
「そうか。別のところで、似たようなのを見たことがあるぞ。シンガロング城っていう誰もいないお城があったんだが、同じように弾き飛ばされてしまう場所だから入るのが大変だった」
「シンガロング城……聞いたことあります! ええっと」エナは頭を抱えて、必死で思い出す。「そう、たしか、ユプラ信仰の王家ですよね。でも、わたしがうんと小さいときに、もうみんな殺されちゃったっていう」
「そして廃城となったその場所に深夜赴くと、どこからともなく王族の悲鳴が聞こえてくるという……!」
「うわあああああ! リンボちゃん、急に現れて怖いことを言わないでよ!」
「ひひひ。面白いお話をしていたものですから」
リンボは朝のぼさぼさ髪のまま、ライルハントに会釈した。ライルハントも倣った。
「お久しぶり……というほどでもないですけど。ひひ、イヴちゃんは元気ですよ。ですが、いつだって物足りないといった表情をしていますよねえ」
「イヴはアダムに会いたいんだ。ずっと。だから、会うまではすっきりしないんじゃないか?」
「なるほど、なるほど……ところでライルハントさん、お腹空いていませんか」
「うん? ……ああ、言われたら減ってきたぞ」
「さいですか。ではエナが作るので、しばしお待ちを」
「え、リンボちゃん? まだ話していたいんだけど――」
予定にないことを言われて戸惑うエナの耳に、リンボが耳打ちする。
いいから、作るんですよ。腕によりをかけて。ライルハントさんは島暮らしで純粋そうな感じがありますから、シンプルに、美味しい料理を食べさせてくれる人のことは好きになると思います。
な、なるほど。じゃあ、頑張る。
「ら、ライルハントさん!」エナが言う。「お肉とお魚、どっちが好きですか!」
「うん? そうだな、魚がいい。焼いた魚を食べたい」
「わかりました! 作ってきますので、リンボとお喋りでもして待っていてください!」
「ああ。ありがとう、エナ。待っているよ」
親密な雰囲気のやり取りに緩む頬を抑えながら、エナは市場に駆け出した。脂の乗った活きのいい魚を金に糸目をつけずに買ってきて、キッチンに入った。
「エナって足が速いんだな。あっという間に帰ってきた」
「ひひひ、ライルハントさんをお待たせしないよう頑張ってるんですよ。……それはさておき」リンボは言う。「先ほど、仰っていたシンガロング城のことなんですけれど」
「あ、そうだな。何か知っているのか?」
「ええ、それはもう。同世代に友達のいない子供でしたから、優しい大人から色んな話を聞くのが趣味でした。……結論から伝えますと、シンガロング城を守る者もまた妖精です」
「やはり、そうなのか」
「やはり、そうなのです。シンガロング城もまた、ユプラ教を国家ぐるみで信仰する重要な場所でしたから。ユプラ教についての古い資料も宝物庫にあったと聞きます」
「そういえば、スイがシンガロング城の宝物庫で古い本を見つけて、それからずっと持っているはずだ」
「古い本?」
「ああ。すごく古い文字らしくて、スイだけが読めるんだ。ユプラ教のことが書いてあると言っていた」
「……なるほど。たしかに、洞窟でもエナと話していましたね」とリンボ。「別にギラの人間みんなが知っていることではありませんから。エナは自発的に興味を持ったようなことでない限り、聞かされた以上のことを訊ねたり調べたりするような意欲の沸かない子ですし。だから知らないのも当然ですが……わたくしは、その文字のこと、調べてありますよ」
「本当か?」
「ええ。洞窟を塞ぐ石碑にあったものと、同じ文字ですよね――ピンとはきましたが、読解できるほどには覚えていなかったので、何も言いませんでした」
「僕の島の遺跡にも同じ文字が彫ってあったんだ。あの文字は一体なんなんだ?」
「あれは昔々の文字ですよ。意図的に葬り去られた、可哀想な文字です。ひひ」
ちょっと待っていてください、とリンボは言った。座っていた椅子から腰を上げ、部屋を出て行った。少しして戻ってくると、その胸には紙束を抱えていた。ライルハントが渡された一枚には、見覚えのある文字――遺跡の文字が、インクで書いてあった。
「これをもし、サクラ教の信者に見られたら……きっと破かれて、これを持っていたわたくしも殺されてしまうでしょうね」
「サクラ教が関係あるのか?」
「ええ、ありますよ……おっと」リンボは人差し指を立てる。「先に言っておきますが、これはただの陰謀論です。本当はそうではないかもしれません。信じるか信じないかは、あなた次第です――ひひひひひ」
8-2へ続く
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