エンプティ・ヒーロー
狐
殻を纏う
昨日会った男は、俺のことを『便利屋』と呼んだ。輸送先に頼まれた荷物を運び、渡された金を依頼人に返す。怪訝な顔をされたが、固辞するとそれきり何も言わなくなった。
一昨日会った女は、俺のことを『悪魔』と呼んだ。父親が求めていた物を渡したのは、良くないことだったようだ。爆弾を抱えて、勤めていた会社に自爆テロを仕掛けたらしい。泣きながら罵声を浴びせられた。
俺にできることなど、それくらいだ。求めている物を渡し、感謝される。金銭など受け取るつもりはないし、それで利益を得るつもりもない。ただ、俺はそうなるように産まれただけだ。
願望器、聖人、サンタクロース。俺を呼ぶ名前は無数にあって、俺はどれも否定しない。ただ命題を進行し、誰かに感謝されなくてはならないのだ。それが俺の存在意義だった。
* * *
バースデー・ケーキの蝋燭は点いたままで、少年は部屋の隅で震えていた。ナイフが刺さって絶命している両親から視線を逸らし、押し黙ったままだ。
「ハッピー・バースデー。最悪な誕生日だな、少年」
下手人は白目を剥き、涎を垂らしながら俺に組み伏せられている。見知った顔の男だ。先週頼まれてドラッグを渡したが、ここまで重篤な症状になっているとは。また、失敗してしまったのかもしれない。
俺はそいつを縛り付け、震える少年の頭を撫でた。「助けてほしい」と思念を発したのは彼のようで、俺はそれに導かれてここに来たのだ。
「何が望みだ? 俺にできる範囲で、助けてやれればいいんだが……」
「………………」
少年は口をぱくぱくと動かしたまま、縋るような目で俺を見つめる。恐怖で声を発せなくなったようで、何かを伝えようと必死に力を振り絞っている。
「大丈夫だ、考えていることはわかる。安心しなよ、少年」
「……………!!!」
「『ここから救い出して、ヒーロー』……。了解した、君の望みを叶えよう」
ヒーローと呼ばれるのは、初めてだった。
穴蔵のような集合住宅の一室は暗く、廊下を照らすタングステン灯の光が辛うじて夜を象っていた。午後8時のメトロポリス、中流労働者が身を寄せ合って暮らすミドル・アパートメントである。生体認証付きのオートロックは存在せず、イカれた薬物中毒者が闖入するほどだ。
窓の外を見れば、煌々と照らす光が眩しい。外の喧騒が広がり、俺はこの光の正体を理解する。サーチライトだ。隣人の誰かが通報し、警官隊が突入してくるのである。
「逃げるぞ、少年!」
「…………!?」
俺は縛り上げたドラッグ狂いを乱雑に壁へ叩きつけ、震える少年を抱き抱える。今捕まるのは、俺も危険だ。無数の事件の共犯者になり、誰かの“願い”のために数えきれない罪を犯してきた。なにより、ここで身柄を拘束されると俺は彼の望む“ヒーロー”足りえない。
サーチライトが差す逆側の窓を破り、脱出する。ヒトでない体は、こういう時に便利だ。ガラスの破片で少年を怪我させないように庇いながら、淀んだ雨が降り頻る路地を抜ける。
* * *
数時間後、ナイトマーケット。
古びたアーケードはところどころ破れ、染み出した雨水が切れた電線に火花を散らせる。通りを行き交う人々は皆頭を下げ、耐汚染PVC製の傘にその身を委ねていた。
『……警察は容疑者を逮捕し、消息不明となった長男の……』
「ラジオ、切ってくれ。飯が不味くなるだろ?」
通りの片隅の薄汚れたダイナーは客足も少なく、老店主が置いている携帯ラジオがBGM代わりだ。この超情報化社会に真っ向から反逆するようなやり口だが、この通りの店はだいたいこういった雰囲気だから仕方ない。陰鬱なアンダーグラウンドは、表社会に順応できない後ろ暗い者たちの巣窟である。
「とりあえず何か食うといい。……サンドイッチでいいか?」
『ヒーロー、お金ないの?』
「……悪いな」
一時的に声を発せない少年に渡した端末は、音声の代わりにテキストでのやり取りを可能とするものだ。俺は思念を読み取ることができるが、他人とコミュニケーションを図る際に不便がないようにするための措置だ。彼が望んだから、与えた。
「ヒヒッ、久しぶりの客だと思えば……。生身のガキなど数年ぶりに見たよ。最近じゃあ身体を改造するのが流行ってるンだろう? ワシらは未だに忌避感があってな……」
店主の老人は口角を上げて笑い、汚れた皿に盛りつけたサンドイッチをカウンターに置いた。薄いベーコンは焦げ、ブレッドは粉だらけだ。少年は眉を顰めたが、意を決して口に運んでいく。俺はその様子をただ眺めていた。
『ヒーローは? 何か食べないの?』
「……俺は、いい。受け付けないんだ、人間の飯は」
俺は自分の胸に手を当て、等間隔の鼓動に思いを馳せる。クロームメタルの心臓から流れる人工血液は、技術発展が可能にした新たな人型生命体の生命線だ。
デミ・ヒューマン、あるいはホムンクルス。何らかの役割のためにヒトに使役される、自我を持つ人造生命の総称である。俺の場合は、『ヒトの望みを叶えること』。その命題に従い、行動しているのだ。
だが、人造生命そのものは既に時代遅れの技術でもある。現代はサイバネティクス技術が発達し、自我を持たない機械を使役することが可能になった。俺たちはその風潮の中で何とか生き残ろうと、特定の主人を持たないフリーランス活動を繰り返しているのだ。
空虚な生であることは理解している。空っぽの俺に似合った生き方だ。だが、求められたのならやるしかない。そうする為に生まれてきたのだから。
トイレに向かった少年を待っていると、例の老店主が俺を手招きする。立ち上がった俺の顔を見上げ、カウンター越しに言葉を発するのだ。
「旦那、あのガキ譲っちゃァくれないか? 今時未改造は珍しいンだよ。臓器にだって価値があるし、コレクションとしても申し分ない。頼む、この通りだ!」
俺は逡巡する。『頼む』と言われると、従うのが俺の命題だ。望みそのものの善悪や倫理観は人間が判断することで、俺は基本的に言われたことに従う。一部の例外を除いて。
「……悪いが、彼との依頼はまだ切れてないんだ。要するに、先客がいるんだよ」
依頼が終わるまでは依頼人の身柄の安全を優先する。プロトコルに従い、俺は空を切り裂くような空中ソバットで老店主の身体を壁に叩きつけた。
「ヒッ、助けてくれ! さっきのサンドイッチ代は無料にする……! だから、命だけは……」
そのまま俺はカウンターから身を乗り出し、老店主に接近する。奴は顔を強張らせ、這いつくばるように逃げようとした。追撃の拳を振りかぶる、その瞬間である。
『ヒーロー、そこで何してるの?』
トイレから帰ってきた少年が、首を傾げていた。俺は身体を引き、コートのポケットに残っていたコインをカウンターに叩きつける。無料にすると言われたが、無銭飲食するわけにはいかない。彼が見ている間は、彼の望むヒーローでいる必要があるのだ。
「会計は済ませた。出るぞ……!」
店主に向かって一礼する少年を庇いながら、俺は彼の手をゆっくりと引く。血の通った、温かいヒトの手だ。
「……次、どこか行きたいところは?」
『そうだなぁ。どこか遠いところで!』
俺は思考を加速させ、メガロポリスから離れる画策を始めた。
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