(12)

「――ちょ、ちょっと、なに勝手に他人ヒトの個人情報バラしてんのよ!?」

「ふーん……クリスタルさん、ね。ローズマリアがバラさなくても、こんな特徴的な字なんだから、寮長先生に聞けばすぐに身元は割れたと思うけれど」

「うっさいわね!」

「……どうかしましたの?」


 ひとり事態を理解していないローズマリアは、心配そうな無垢の目でわたしを見る。わたしは手短に「不幸の手紙」を受け取ったことと、それの送り主がクリスタル・オータム彼女である可能性が高いということについて話した。


 心配げだったローズマリアの美しいかんばせが、みるみるうちに険しいものになる。ローズマリアは自らを律する意志が強いぶん、規律を遵守することに対しては厳しいところがある。それは重箱の隅をつつくほどではないのだが、しかし、今回のクリスタルの行いはどうやったって褒められたものではないだろう。同級生に呪術を仕掛けようとしたのだから。


 形勢不利を悟ったらしいクリスタルは悪態をついていたかと思うと、急に大人しくなった。正確には、なにかを考えるように黙り込んだ。


 そんなクリスタルの様子に不穏なものを感じたわたしは、彼女に妙なことを考えたりしないで欲しいと釘を刺そうとしたのだが――。……それはどうも、またしても一歩遅かったらしい。


 クリスタルが実動作に移すのが早すぎるのか、単にわたしがトロいのか……両方なのかもしれない。


 とにかく、クリスタルがローズマリアの顔にぐっと鼻先がつきそうなほど近づいたのを、わたしはポカンと間抜け面をして見ていたことだろう。


 一瞬、クリスタルがローズマリアに……その、キス、でもしたのかと思った。けれど、当たり前だが実際は違った。


「――あたしの目を見ろ!」


 唸るような低い声でクリスタルがまるで恫喝でもするように吠えた。


 ローズマリアは目を丸くして、わけがわからないといった顔をする。その頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいるさまを幻視するくらい、彼女にしては珍しく呆気に取られているようだった。


 わたしの位置からはクリスタルの後頭部しか見えず、彼女がどんな顔をしているのかはわからない。ただ、先ほどのセリフからすると剣呑な顔をしているに違いなかった。


 そして――不意に、わたしの耳元で破裂音がした。この音には聞き覚えがある。先ほど、「不幸の手紙」を開封する前にかけた光属性の護身の魔法が破られた音だ。わたしは大いにおどろいて無駄に周囲へと視線を泳がせる。しかし、わたしが想定する「敵」のようなものは影すらなくて――。


 ……と、なれば可能性は――。


「クリスタルさん? ……なにか、魔法使った?」


 わたしがクリスタルの後頭部に声をかけると彼女は大きな舌打ちをした。……どうやら、わたしの憶測は憶測に留まらず、事実を言い当てたようだ。


 ――それにしてもあんな大きな舌打ちするなんて……せっかくの美少女なのに……文字もアレだし、オツムもアレっぽいし、「残念美少女」ってやつなのかな。


「クリスタル・オータムは『残念美少女』」――そんな失礼な推測を、まるで補強するかのようにクリスタルは盛大に自爆する。舌打ちなんてするから、まだ余裕があるかと思ったらまったくそんなことはなかったのだ。こちらを振り返ったクリスタルの、つけているリボンタイと同じような鮮やかなグリーンの目は明らかに動揺していた。


「ちょ、ちょっと……防衛魔法をかけてるってどういうこと!? 戦場にでもいるつもりなの!? それじゃあ、あたしの魅了魔法が効かないじゃない!」

「魅了魔法……?」

「――あっ!」


「しまった」とばかりに大仰な動作で口を抑えるクリスタル。彼女の背後にいるローズマリアの柳眉の端がぐぐっと持ち上がったのが見えたわたしは、なんだかその場から逃げ出したいような気持ちになった。


「魅了魔法」――そのまんま、他者の精神に干渉して操ることができるという非常に危険な魔法である。大概、使用者が被害者たちから自らが好意を抱かれるような形で発動するため「魅了魔法」と呼ばれている……らしい。


「魅了魔法」は後天的に習得するのは非常に難しく、その魔法の持ち主たちは総じて先天的にそれを持ち得ている。魔法の強さは正直に言ってピンからキリまで。これもまた持って生まれた魔法の強さは生涯に渡って変わらないことが多いと言う。


 そして「魅了魔法」の所持者は光属性や闇属性持ちであることくらい珍しい。つまり、なんの因果かその珍しい魅了魔法持ちと、光属性持ちと、闇属性持ちが今この場には揃っている。……だからなんだっていう話なんだけれど。


 そうこうしているあいだにクリスタルはぶつぶつと聞いてもいないことをしゃべり出す。そうやって思考を整理しているのかもしれないが、他人がいる前でそれをするのはどうだろうと思わなくもない。


 ローズマリアはクリスタルの自爆に再び呆気に取られているようで、無防備な顔で彼女を見ていた。


 わたしはと言えば――。


「――おかしくない? いや、絶対におかしい! 魅了魔法なんて人生イージモードにできる『俺ツエー』チートのハズじゃん! 『逆ハー狙い女』は上手いことイケメンタラシこめてるのに、あたしができないのはおかしくない?! たしかに魅了持ちとか『ざまぁ』される側の能力だけど! あたしだったら上手いこと立ち回れるハズなのに……なのにこんなにも上手く行かないなんておかしい! この世界、バグってんじゃないの!?」


 ……クリスタルが「異世界転生者」であるという可能性に気づいて、ひとりイヤな汗を流していた。


 もしかしたら、もしかするかもしれない。クリスタルが異世界転生者だったら、もしかしたらわたしと同じように『ディアりっ!』を知っているのかもしれない。知っていて、ヒロインであるエマの立場を乗っ取ろうとか、そういうことを考えたのかもしれない。


 けれども『ディアりっ!』に「クリスタル・オータム」なんてキャラクターはいなかったはずだ。こんな美少女――中身は残念だけれど――であれば、メインキャラクターを張っていてもおかしくないだろうに。もしかしたらモブとして名前だけ出ていたキャラクターなのだろうか? ……でもそんなモブに「魅了魔法持ち」なんていう特徴をつけるだろうか。


 色々と考えてみたが、手元に『ディアりっ!』がない以上、永久に答え合わせはできそうにない。ただ、クリスタルの中にある知識は、わたしのネット小説に対する知識とかなり近いことはたしかだ。となると、もしクリスタルが異世界転生者であった場合、わたしと同じ世界ないし酷似した世界からの転生者なんだろう。


 わたしがつらつらとそう分析しているあいだにも、クリスタルはぶつぶつと思考を整理するためかつぶやき続け、ローズマリアは恐らくそんな風に急に会話が成立しなくなったわたしたちに目を丸くしている。


 そんなカオスとも言える現場に立ち入る者が現れた。


「クリスタル・オータム!」


 廊下の端から端まで響くような、通りのよい声がわたしたちの思考を打ち切る。ローズマリアが振り返ったのにあわせて、わたしも視線を声がしたほうへと向ける。クリスタルも釣られて振り返る。そして「げっ」といかにもイヤそうな声を漏らした。


 廊下の中央に見事な仁王立ちをしていたのは、ディアモンド魔法学園で語学教師を務めるグレイス・ウィンターフィールド先生だった。神経質そうなシルバーフレームの眼鏡の奥にある目は釣り上がり、クリスタルをまっすぐに見据えている。髪はひっつめ。万人が思い描く「厳しい女教師」の姿を体現したような先生――それが彼女だった。


「防衛魔法が破られる音がしてなにかと思えば! クリスタル・オータム! 貴女は魅了魔法を使いましたね?!」

「――どっ、どこにそんな証拠があるっていうのよ!」

「クリスタル・オータム! 教師に対してタメ口を利くのはおやめなさいと言ったはずでしょう!」

「いい加減なにかあるたびにフルネーム連呼するのやめてくんない?!」

「ならば問題を起こすのはおやめなさい! クリスタル・オータム! もうこうして貴女を叱るのは何度目だと思っているのですか!?」


 ……どうやら、クリスタルは問題児らしい。「『また』魅了魔法を使った」という言葉から察するに、すでに前科は何犯かついているようだ。


 しかし教師に魅了魔法は通用しないはずである。この学園の教師勢はみな高価な防衛魔法の道具を身につけているともっぱらの噂であるからだ。未熟な生徒の魔法が飛んでくることもあれば、逆恨みなどで攻撃される可能性もあるからだろう。教師という職業は大変である。


 ウィンターフィールド先生の説教から逃れようとしたのが、クリスタルは彼女がいるのとは反対方向――つまり、わたしのいるほうへと走り出した。


 しかしそれはあっという間に阻まれてしまう。もっともクリスタルのそばにいたローズマリアに腕をつかまれたのだ。それはもう、「ガッチリ」という幻聴が聞こえてきそうなほどに、しっかりと。


「クリスタルさん……魅了魔法をお使いになったというのは、本当ですが?」

「なっ、なによ……離しなさいよ!」

「クリスタルさん――魅了魔法は、とっても危険な魔法ですのよ? 多少自らの印象を改善する程度ならまだしも、精神までもを操ろうとすれば制御はとても難しいと聞きます。そして魅了魔法はすべての魔法を見渡しても、暴走する可能性が高い危険なもの。そんな魔法をまだ新入生であるクリスタルさんが使うのはとても危険ですわ!」

「は、はあ? そ、それくらいわかってるし!」

「いいえ、わかっていませんわ! みだりに魅了魔法を使うなど――もっとご自分の身を大切にしてくださいまし!」

「はああああ?!」


 ローズマリアの性格光属性が炸裂し、クリスタルは「わけがわからない」という顔をした。


 そしてローズマリアの言葉を受けて呆気に取られているクリスタルのそばに、いつの間にかウィンターフィールド先生が立っていた。ローズマリアのように美しい、背筋がピシッと伸びた立ち姿である。


「スプリングフォードさんの言う通りです。もう何度も、何度も! 危険だから使用するなと私たちは言ってきましたよね!? だというのにまた魅了魔法を制限するイヤリングを外して……あまつさえ同級生に魅了魔法を使うなどと! 学園への入学は魔法を制限するイヤリングをつけるという条件で許可されたということを忘れているようですね!?」


 ウィンターフィールド先生の目が限界まで釣り上がったように見えた。


「――罰則です。クリスタル・オータム! 私と来てもらいますよ!」


「こんなの納得いかない!」……ウィンターフィールド先生によって拘束魔法をかけられ、引きずられて行くクリスタルの雄たけびが廊下にこだまする。


 残されたわたしとローズマリアは嵐が到来し、そしてあっという間に過ぎ去って行ったさまを見て、顔を見合わせた。


 そしてわたしはすっかりふたりの姿が見えなくなったあとで、ウィンターフィールド先生にクリスタルの余罪――わたしに不幸の手紙を送りつけたこと――を言い忘れたことに気づいた。

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