悪役令嬢になったかもしれない彼女とヒロインだったかもしれない少女の《浄霊術》
やなぎ怜
(1)
まだ青葉がまぶしい九月。見上げるほどに立派な校門をくぐったわたしの名前はエマ・サマーズ。どこにでもいるごく普通の平民の女の子。
普通じゃないのは世にも珍しい光属性の魔法が扱えるということくらい。それ以外は本当に平々凡々もいいところ。顔は可もなく不可もなく……だと思っている。それから、ありふれた茶色の髪をボブカットにして、あ、でも瞳が青なのはちょっと珍しいかも――。
まあとにかく、わたしは光属性の魔法が扱える以外は、どこにでもいる有象無象の少女たちのひとり。それでも魔法を扱える中でも選ばれた人間しか通えない、ディアモンド魔法学園への入学が許されたことは、わたしの胸を熱くさせた。
これからこのディアモンド魔法学園で新たな生活が始まる。校門をくぐって敷地内に一歩足を踏み入れたわたしの胸は、無邪気にドキドキと鼓動を刻む。
けれど、「ん?」とふと心に引っかかりを覚えた。
思わず胸に手を当ててみる。薄い胸の奥の方で、ドクドクと心臓が鼓動を刻んでいる。先ほどまでとは打って変わって、今やワクワクはイヤな感じのドキドキに変わっていた。
そしてわたしは次の瞬間「あっ!」と声を出しそうになった。
わたしが――わたしじゃないことに気づいたからだ。
わたしの名前はエマ・サマーズ……それが、
わたしは、どこにでもいるごく普通の女子大生……だった。エマ、だなんて名前ではなかった。典型的なモテない女――喪女だったわたしに、そんな名前は華やかすぎる。
そう、わたしは典型的な喪女で、ついでに言えばマンガ・アニメ・ライトノベルを愛する典型的な冴えないオタクであった。
だから――きっと、だから、このタイミングで前世を思い出したんだ。魔法学園などという、極めてファンタジックな学校の、その校門をくぐったタイミングで前世を思い出したのは、わたしがネット小説を読み漁っていたオタクだからに違いない。
校門をくぐったタイミングでふと前世を思い出すヒロイン――。それは何度も何度も、あきれるほどに何度も見た展開。それが、わたしの身に降りかかっている。
わたしはドクドクと鼓動を速める心臓を押さえつけるようにして、胸に置いた手に力を込める。
よかった、と思うことにした。だって、なにかしらの――主に頭部に――怪我をしたり、病気で熱を出したりしたタイミングで前世を思い出すというパターンだってあり得たわけだ。
でも、わたしの場合はそうじゃなかった。それは幸いってやつだろう。怪我も病気も回避したいというのは、人間としてごく普通の感情だろう。そしてわたしもそうだった。
問題は――そう、問題は別にある。
使い古された展開が我が身に降りかかり、次いで異世界転生をした上に光属性に目覚めるなどという、オタク垂涎の境遇にドキドキしていて気づくのが遅れたが、大問題がある。
ここが――どの小説の世界なのか、さっっっぱりわからない。
エマ、だなんてネット小説の世界じゃあまりにありふれた名前すぎるし、サマーズなんていう姓だって、別段記憶に残るほど珍しいファミリーネームじゃない。
茶髪にボブカットに青い瞳……なんてのも、「平凡」を冠するヒロインにはありがちな配色だ。
光属性だってそう。魔法学園だってそう。
「光属性に目覚めた平民ヒロインが魔法学園に通う」――そんな設定のネット小説が、この世にいくつ存在しているのか、わたしは知らない。わかるのは、そんな設定のネット小説はきっと掃いて捨てるほどあるだろう、ということくらい。
あるいは、この世界は別に既存のネット小説とはまったく関係のない世界だという可能性だってあるわけで……。
「あら、失礼! あまりにもみすぼらしいお顔をされているから、この学園の生徒だとは思いませんでしたわ」
うんうんとひとり校門の脇でうなっていたわたしの耳朶を鋭く打ったのは、あからさまに嫌味なセリフ。一瞬、わたしに対して発せられた言葉かと思い、思わずきょろきょろと周囲を見回してしまう。
しかし、どうやらわたしに向かって放たれたセリフではなかったらしい。少し離れた場所で、ひとりの小柄な女子生徒と、三人組のいかにも高貴そうなオーラの女子生徒たちが向かい合ってなにやら会話をしている。……いや、会話は成立してはいるが、それは一方的なイジメであった。
「そんな……ひ、ひどい」
ソバカスが目立つ小柄な女子生徒は、顔を青白くさせてそう言ったきり絶句しているようだった。
対する三人組はクスクス、ニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべて小柄な女子生徒を睥睨する。
「ひどいだなんて! 少々間違ってしまっただけでしてよ。だれにだって間違いはありますもの、ねえ?」
「ええそうですわ。貴女、エリザベス様をお許しになってくださらないの? まあ、平民の方って大変心が狭いのね!」
「さもしいお心の持ち主が、どうしてこの学園には入れたのか……まったく不思議で仕方ありませんわ」
校舎へと向かう生徒たちの波が止まり、四人を囲む野次馬ができつつあった。けれどもだれひとりとして、小柄な女子生徒を助けてやろうとか、高飛車な三人組を注意してやろうとかいう様子は見られない。
……しかし、そういうわたしだって、そうだ。小柄な女子生徒とは当たり前のように顔見知りじゃないし、セリフからしてあの三人組は貴族令嬢とか、そういった上流階級に属する人間だろう。
入学早々、目をつけられたくない。それがわたしの正直な――そして臆病な感想だった。そして野次馬になっている生徒たちのうちの何割かは、わたしと同じ心情であることは目に見えて明らかだった。
クスクス。ニタニタ。
そんな音が聞こえてきそうな三人組の嘲笑の顔は、ハッキリ言って見ていていい気分はしない。けれども、わたしはネット小説に出てくるようなヒロインみたいに、その場へ飛び出して行けるほどの度胸も、優しさも、持ち合わせてはいなかった。
――異世界転生しても、前世となにひとつ変わらない……。
前世のわたしは、他者があからさまにいじめられる場面に遭遇したことはなかった。どちらかと言えば、わたしがそうで、冴えない見た目をからかわれたことなんて、いくらでもある。
だから、小柄な女子生徒がイジメられている場面を見て、心臓がギュッとつかまれたように痛んだ。
……けれどもそれだけ。わたしの脚はその場から動くことはなかったし、声だってひとつとして上げられない。
そうこうしているあいだに、小柄な女子生徒は三人組の容赦のない口撃に泣き出してしまう。野次馬のあいだに、気まずい空気が流れ始める。けれども四人のあいだに割って入るなんて生徒は出てこない。
そのときだった。
「エリザベス様、メアリー様、マチルダ様。なぜそのように意地悪なことをお言いになるの?」
イヤな空気を引き裂いたのは、凛とした気の強そうな女の声。四人と野次馬と、そしてわたしの視線が一挙にその声の主へと集まる。
声の主の、釣り上がった切れ長の目の桃花眼は美しくも神秘的な印象を残すが、一方で必要以上に眼光鋭く映る。ツインテールにしたプラチナブロンドは、毛先へ向かって巻かれている。……いわゆる、縦ロールというやつだ。
ひとことで言うならば、「派手な美人」。キッチリとした制服に身を包んだその女子生徒は美女と呼ぶにふさわしい容姿であったが、目の形のせいか、少々キツい印象も受ける。
「――ローズマリア・ディ・スプリングフォードだ」
だれかがそうささやいた。
その声を聞いて数分考え込んだあと、潔く思い出す。
ここはもしかしたら――『ディアモンド魔法学園の聖女様は逆ハーレムなんてお断りっ!』という乙女向けネット小説の世界なのかもしれない……。
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