願わくは、花の下にて春死なん

舶来おむすび

願わくは、花の下にて春死なん

東風に舞い散る桜の花弁が、部屋に音もなく舞い降りる。

「──私のために争わないで──って、一生に一度は言いたい台詞じゃない?」

『まだ少女漫画読んでるのかお前。草葉の陰で親父が泣いてるぞ、あれだけ布教したのに俺の愛読書が埃かぶってるって』

窓枠に肘をつき、外を眺める私の隣で、それはいつのまにかちょこんと座っていた。鹿とも狼ともつかない獣頭がカタカタ揺れて、鈴の転がるような声が呆れたようにこだまする。緋袴姿の首から下もあいまって、どこに出しても恥ずかしくない立派な妖怪だ。実際、昔はそんな扱いを受けていたらしい。

「今でも不思議なんだけど、なんで『はだしのゲン』イケると思ったんかね? ねえちょっと聞いてみてよ、神様なんでしょあんた」

『死後の世界は専門外だ。それこそあいつらの片方に頼んだ方が早いぞ、たぶん』

濡れた鼻先が指した先で、ちょうど赤い飛沫が舞う。ツナギ姿の青年が、ホワイトカラーの男に拳をぶちこんだ瞬間だった。

「よっ、ナイスカウンター! ねえ座布団ない? こっから投げよう」

『相撲じゃないぞ馬鹿』

「盛り上がらないとやってらんないよ、年がら年中こんなんばっか。さすがに見飽きたっての」

ふむ? と首をかしげる様だけ見れば可愛いげもあろうものを、中身が実年齢3桁と知ったあとでは失笑しか湧いてこない。むしろ父はよく頑張った。何をどう考えて、実の家族のように扱おうと決めたのだろう。死ぬ前にそれも聞いておけばよかった。

『……何やら失礼なことを考えてないか?』

「気のせい気のせい。隣の神出鬼没な合法ロリをなんとか商売に使えないかなー、なんて全然考えてない」

あ、またカウンター入った。強いな肉体労働者。さすがブルーカラー。

『充分儲かっているだろうが! 主に! 私の! おかげで!』

「あんたが取り憑いた樹のおかげだろ」

いや、人のことは言えないか。その樹の脇にちゃっかり社を建てたのはうちの御先祖。樹の下で告白すると成功する、だなんて限りなく怪しい恋愛成就のご利益にあやかったのは私の血統が先。つまりお互い、由緒正しい泥棒猫というわけだ。

『で、その噂がねじれにねじれて広がって──今どんな感じだっけ?』

「こないだエゴサしたら『樹の下で生贄を捧げると願望は必ず叶う』になってたな……おい、私の心読んだろ今」

『気のせい気のせい。お、リーマンが殴り返したぞ』

「今のは入ったな。さすがに痛そ」

そんなわけで、これが名物となり果てたのが実家の神社だった。今日のような殺し合いはザラにあるし、最近じゃチャリに乗ったおまわりさんが1時間おきに見回りに来る。もし警察にブラックリストがあるなら、一番上に入っている自信しかない。仮にも神域で通っているはずだのに、血の穢れとか誰も気にしないあたり、国民性を感じる昨今である。

「で、なんであんたは私の隣で観戦してるの」

『何度も言ってるだろう? お前のことを気に入っているからだ。というかぶっちゃけ好き』

ノータイムで殺虫剤を吹き掛けた。都合何十回目の攻撃だというのに、この異形少女は相変わらず避けるということをしない。学習機能がだいぶ怪しい神もどきは、今日も今日とて畳の上でヒイヒイ無様に転がった。

「せめて人の頭に整形してから出直して」

『あーうるさい、好きだ好きだ好きだ、お前のことが大好きだー! 絶対離れないからな、覚悟しろよこいつめ!』

とはいえ、この台詞が聞きたいがために毎度やっている私も同類なのだろう。認めるのは死ぬほど腹立たしいが。

「はいはい。じゃ、そろそろ止めに行くよ。さすがに死なれちゃマズいし──カッコいい神様ムード出して、ほら」

『お前も袴に履き替えろ! さっさとお揃いコーデになるぞ、なんなら私が着せてやろうか?』

「お姉ちゃんムーブやめろっての」

途端、見るからにしょぼくれた雰囲気を漂わせ、音も立てずに消えていく。が、今更驚くこともない。どうせまたあの樹の枝で、私を笑って待っているのだから。

部屋に舞い込んだ花弁が、いまひとたびの東風で外へと飛び出していった。


私の部屋からは、桜の樹を訪れる参拝客がよく見える。

私が生まれて間もない頃、父が不意に増築したのだ。

ちょうど樹の下に来るように、春には花弁の舞い込むようにと。

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願わくは、花の下にて春死なん 舶来おむすび @Smierch

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