棄権

 今や武闘大会は歓声や野次で彩られるわけではなく、刃が空を切り裂く音と魔法が弾け散る音の両方が会場を呑み込んでいた。


 貴帆と雨虹は、2人で交互にアズリバードへ斬撃を打ち込む。アズリバードは依然として強さでは劣っておらず、多様な魔法が貴帆と雨虹の攻撃の合間を縫って襲いかかってくる。ナオボルトやレッタをはじめとした重症者たちは既に手当のためフイールドから運び出されており、圧倒的なアズリバードの攻撃を回避することには集中できた。しかし避けたり受け止めたりと防戦一方では、アズリバードを射程圏内に入れることは困難であった。


 貴帆は、彼との距離を縮めるチャンスを待つかもしくは戦闘不能にすることが勝利条件だと頭を働かせる。


「貴帆様、これでは埒があきませんね」


「雨虹さん、魔道書がなければ魔法って使えませんか」


「え、ええ、恐らく彼が加護を受けている得意属性以外の魔法は難しいのではないかと」


「ありがとうございます。……雨虹さん、行きます」


 困惑して説明を求めようとする雨虹を振り切って、貴帆はアズリバードに向かって駆け出した。それを見てアズリバードは面白いと言わんばかりの笑みを浮かべ、色とりどりの魔法を打ち出す。貴帆は左右に避けながらなんとか前へ前へと足を踏み出す。そして残り3メートルを切ったあたりで地を蹴った。


 突如目の前から姿を消した貴帆を目で追って、アズリバードの手の上で魔道書は地上と並行になる。それを貴帆は見逃さなかった。貴帆は真上から剣を突き立て、着地すると同時に柄から刃へと握りかえる。細身の剣はするりと分厚い魔道書を貫通し、刃を引っ張ると柄がびっしりと書き埋められた版面の片方に食い込んだ。魔道書はアズリバードの手から落ちた。


 アズリバードは焦りなど微塵も感じさせず、ため息をついた。


「困りますね、その魔道書かなり値が張るんですよ?ただ魔道書が取られたくらいで、そう簡単には勝たせませんが」


 魔道書が突き刺さった剣を片手に立っていた貴帆めがけ、アズリバードは鎌のような風の刃を右手に浮かべる。避ける猶予も防ぐ武器もない貴帆はただ目をつぶった。


「貴帆様!」


 雨虹の必死な叫び声が聞こえ、目と鼻の先にある空気が振動した。ゆっくりと貴帆は目を開ける。目の前には空になった右手を掴みその首元に暗器を添えている雨虹と、眉を少し歪めたアズリバードの姿があった。


 会場がしんと静まりかえる。


「こうなっては仕方ないですね、棄権しましょう」


 アズリバードのそれでも落ち着いた声が、今まで鼓動しか捉えていなかった貴帆の耳にはっきりと届いた。


「勝った……」


 イサラギは、エリックの膝の上で呟いた。


 割れるような拍手と歓声が会場を包み、紙吹雪が無機質な砂と岩盤のフィールド上を舞う。会場中が総立ちで、それまでの固唾を飲んでいた様子とは大違いだった。エリックもイサラギを放る勢いで立ち上がって、顔を真っ赤にして喜んでいる。イサラギはそれを見て呆れつつ、思わぬ人間の才能に出くわしたことに驚いていた。


「レッタが育てた才能を秘めし人間……面白そうじゃ」

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