失態

 美しい夕方だった。大きな扉の金装飾が陽光を受けてちらちらと明るい色に照る。ぽかぽかと暖かいドアノブを捻り、後ろに控えた来客に淡い朱色に満ちた道を空けた。


 1歩踏み入れた貴帆が目の前でぴたりと固まった。

 さっきまで期待と緊張が入り交じっている顔をして、落ち着かないでいたのに。


「どうかなさいましたか?」


 胸騒ぎに耐えきれず声をかけると、ぎこちない動きで貴帆がこちらを向いた。


「誰も……いないんですけど」


 顔は強ばり、言いにくそうにそう告げた声が掠れていた。不安か困惑か、それとも何か別の感情か。どうとも取れる、なんとも形容しがたい表情だった。


 嘘だろう。

 こんな時にいないとか、ありなのか。


 雨虹も速る鼓動を押し殺して部屋を覗く。確かに貴帆の言った通り、がらんとした部屋に沈黙がばらまかれているだけだった。仕事机には飲みかけの紅茶と食べかけのスコーンが静かに置かれている。


 自分で堂々と玄関から出ていった可能性は低い。

 なぜかって。

 まずあの食い意地のはった主人がスコーンと紅茶をそのままにするはずがないからだ。それにこの部屋に続く廊下は今通ってきたもののみだ。いくらタカホが魔道に精通し腕も立つとは言えど、それらをフルに活用して逃亡する動機も利益もあるとは思えない。

 考えれば考えるほど、嫌な2文字しか浮かんでこなかった。


 そこからは大騒ぎだった。貴帆と雨虹はもちろん、メイドや使用人、運転手やコックまでもがタカホを探し回る。領民には伏せられたが領内の兵隊にも伝達され、ウルイケの抱える下級から高級の兵士が総動員され捜索は続けられた。

 だが見つからなかった。


 領主の身にこれから何か起こる未来、起こっている現在を思うと、恐ろしい。恐ろしくて起こってしまった過去への不甲斐なさや後悔すら、ちっぽけに思えてならない。

 無防備極まりない状態で傍を離れていた雨虹。気づかないまま館の警備をしていた兵士達。不審さの欠片も感じ取らなかった使用人。

 誰のせいとも言えぬ大失態だった。失態どころではない、もうこんな事が起きてからでは償えない。


 しかし無理に引っ張って来られた貴帆に、どれほど無礼で理不尽なことをしたのかだけは今の時点で明白な罪だった。


「貴帆様。誠に、申し訳ござ……」


 捜索が打ち切られて2階の大広間に集まっている者を背に、雨虹は深々と頭を下げて言いかける。そこへ1人の使用人が駆け込んできた。

 綺麗に撫で付けられていたであろう瑠璃色の髪は少し乱れ、その一筋二筋が汗の滲む薄卵色の額に垂れかかっている。髪と同色の瞳がまだ若い光を含みながら貴帆と雨虹を見つめた。


「これがたった今届きました!」


 弾む息と共に差し出された封筒を貴帆が受け取って、目を丸くする。

 封筒は綴じている封蝋のような丸い印以外は見事にまっさらだった。貴帆の手の中でその丸い物体がぱつんと真っ二つに開かれると、戸惑いつつも黄ばんだ硬い紙質の中身を取り出す。


«領主のツヴィリングはリナートスの勇者を訪ねよ。領主はその先にあり»


 不思議と読めたその紙には、そう書いてあった。


「ツヴィリングって……私が?」


 貴帆と雨虹は思わず顔を見合わせた。

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