守護特化型の剣士が魔術師に転職したら?

あまや鳥

第1話 エピソード

満月の輝く夜のこと。

鎧や兜を身につけた男たちは、目の前にそびえる巨大な生物に戦慄していた。


まるで犬のようではあるが、漆黒の毛並みに犬と比べ歯が鋭く、月光に鋭利な眼光が照らされる。

ーーーー数は六つ。それは、首が三つあるということを意味している。


......紛れもない、三つ首の狼、ケルベロスだ。


ごく普通の生物と比べ二回りほど大きいそれは、明確な殺意を表すかのようにその鋭利な眼光でこちらを睨みつけていた。


誰も動けない。一歩動けば、目の前の化け物は一瞬にして自分を肉塊に変えてしまう。

その場にいる誰もが、そう確信していた。


そこに、一人の男が第一線より前に踏み出す。

他の兵士よりも一回り若く、少し長くなっている黒髪。その場にいる誰もが見逃せなかったのが、彼の肌を伝う大粒の汗。


「馬鹿、出るなアレン!」


軍勢を押し退けて現れた無精髭を携える男。

その男は、焦った口調で男を「アレン」と呼んだ。


それが、彼の名であった。


「お前には未来があるだろう!? 力もある! こんな場所で若い芽を摘むようなことは絶対にあってはならん! そうだろアレ......」


瞬間、一瞬にして現れたアレンと同年代ほどの少年が、男の首を弾くように打つ。

男はその一撃の衝撃により、気を失い地に伏しそうになったところを少年によって抱えられる。


「全員、待避ー!! 一兵士の判断を無駄にするな!! 走れー!!」


少年は背後にいる大勢の兵士に向かって叫ぶ。


躊躇いのある兵士もいたが、皆、ケルベロスに挑む勇気など持ち合わせてはいない。

それは、アレンも同様。

その場にいる全員が、化け物に背を向けて走り去る。

残ったのはアレン、ケルベロス、そして少年のみとなった。


「……ありがとな」


アレンは笑って、それでいて儚く少年に言った。


「なんで礼なんか――――死ぬなよ、先輩」


そう言って少年は姿を消した。

一瞬、声が揺れているように掠れていた。

絶対に、少年は最後アレンに顔を見せることはなかった。


「――最後くらい、顔を見せてくれたっていいだろうに」


アレンは薄笑いを一瞬浮かべると、ケルベロスを睨みつけながら腰に携えた鞘から細身の剣を引き抜く。


「さぁ、行くぞ化け物。俺の肉はクソ不味いぞっ!!」


アレンは決死の覚悟でケルベロスを迎え撃つ。

しかし、ケルベロスは一切身動きを取らない。


――アレンは、せめて一つほどはケルベロスに傷を与えられると思っていた。


それほどに、アレンのこれまでの修行は厳しいものだったから。


それほどに、これまでの功績に自信があったから。


しかし、あまりにも呆気なく、ケルベロスは欠伸のついでのように右足を上げる。


次の瞬間、アレンの右腕は、まるで満月を覆い隠すように上空へ飛び上がった。

自信も、努力も。全て闇に隠れてしまったようだった。

まるで今までアレンの為してきたことは無意味だったと言うように。

しかしアレンはそうではないと分かっていた。こうして仲間を救えたのなら、意味はあったのだろう。

最後に、アレンが思うこと、まぁ、ただの愚痴になるのだが。


「あぁ、逃げとけばよかったなぁ......」


今までの軌跡が、これが最後と言わんばかりにアレンに襲い掛かる。

辛く、厳しく、温かい、そんな思い出。

一片も欠けずに輝く月が、一瞬青く光ったように見えた。

次の瞬間、暗い夜が赤く染まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る