第145話 手続き

「レオ、起きて」


 姉の余裕のない声で叩き起こされた。


「……あ~? 何だよ」


 あくびをかみ殺す。窓の外は……何だよ、まだ暗いじゃないか。


「第一級警戒体制が発令されたわ」

「へー。そりゃすご…………ん? はっ!? 嘘だろ?」

「本当。それでお父さんが皆を集めて緊急の会議を開くことにしたの。人手が足りなくなることが予想されるから、一応レオも参加して方針を聞いておいてね」

「お、おう。分かった。てか、一体何があったんだよ」


 第一級警戒体制。それは戦時下に入ったのと同等の意味を持つ。戦時? 冗談じゃない。


「遠距離用の魔法文字が全て妨害されてるみたいなの。王都は現在完全に孤立しているわ」

「……マジかよ」


 それ程大規模な通信妨害が行われる理由。どんなに楽観的な考えをしてみても嫌な想像しか浮かばなかった。


「一時間後に会議室に集合よ」

「分かった」


 姉貴が部屋から出て行くのと同時にベッドから飛び出す。手早く着替えを済ませると、特殊な呪法をかけた包帯でグルグル巻きにしてある魔剣を背負った。


「ったく、世界はどうしたってんだよ」


 今年だけでもS指定の魔物が既に二体出現しているってのに、これ以上まだ何かあるっていうのかよ。


「……大丈夫だよな?」


 昨日見送ったドロシーさんの姿が思い浮かぶ。


 王都をまるごと通信不能にするような敵が潜んでいるかもしれない場所に、たった五人と二頭で向かったことになるのか? どんな危険が待ち受けてるのかも知らずに?


 ドクン! と心臓が大きく跳ねた。


 クソッ。こんなことなら無理にでもついて行くんだった。


 ドロシーさんやアリリアナ、それにイリーナさんやロロルドさん、そしてドルドさんの身に今まさに危険が迫っているかもしれない。あるいは既に助けを願うような状況に陥っている可能性もある。


「今からでも追いかければ……いや、流石に無理か?」


 第一級警戒体制に入っているなら、警備は日頃の非ではないし、特別な身分でなければ王都の外に出るのも許可されない。


 ん? 特別な身分? 


「確か、冒険者なら」


 手続き次第で外に出られた気がする。勿論いかにギルド所属であれども第一級警戒体制時の都市を自由に出入りすることはできない。ただし、警戒解除まで都市に戻れないことを承諾すれば、手続き次第で出ることが可能だったような気がする。


「ここで考えても仕方ない。とりあえず行ってみるか」


 俺は部屋を飛び出した。廊下で姉貴とすれ違う。


「レオ? どこに行くつもりなの?」

「ギルド」

「はい? 待ちなさい。ちょっとレオ、会議はーー」


 背後で姉貴が何やら叫んでいるが今は時間が惜しい。俺はギルド目指して駆けった。まだ空が白み始めたばかりということもあって街道には人気が少ないが、そんな中でも兵士の数だけは十分だった。


「やっぱ大事になってるんだな」


 魔法文字の妨害が確認されたのがいつなのか分からないから断言できないが、発覚から確認を挟んで、今が対応の初動あたりか? 第一級警戒体制が発令されたのにサイレンが鳴らなかったのは、市民が起きる前に警備体制を整えたかったから? 指揮をとってるのは王様か、それとも身近な誰かなのか。


 一瞬、杖を持った高慢貴族の鏡みたいな男の顔が浮かぶ。アイツは嫌な奴だが、少なくとも前回の無能王子のようなことにはならないはずだ。


「って、やっぱり冒険者は耳が早いな」


 まだ早朝だというのに、ギルドには既に多くの冒険者が詰め寄せていた。


 クソ、こっちは一刻を争うってのに。何処かに手の空いてるギルド職員はいないのか?


「おっ? ボウズじゃねーか」

「アンタは確か……アリュウさん」


 リトルデビル事件とシャドーデビル事件のどちらでも関わることになった冒険者。ドロシーさんが頼りになる人だと褒めていた男だ。


「どうした、そんな切羽詰まった顔をして、今日はドロシー嬢ちゃんは一緒じゃないのか?」

「それが……」


 俺は少し悩んだが、アリュウさんに事情を話すことにした。


「なるほどな。それで嬢ちゃんの後を追いたいと」

「ああ。冒険者なら第一級警戒体制時でも外に出れたはずだよな」

「出るには出れるが早くても三日は掛かるぜ」

「三日!? そんなに?」

「せっかく厳重な警戒体制を敷いたのに、そんな簡単に人をポンポン通してたら意味ないだろ。今ここに集まってる奴らの中には配送系のクエストを受けてる奴もいるが、それだって直ぐには出してもらえない場合が殆どだ。少なくとも状況がハッキリしない限り、今日、明日に出るのは無理だ」

「なんとかならないか? アンタだってドロシーさんを助けたいと思ってるはずだろ」

「そりゃ、嬢ちゃんは命の恩人だからな。だがなボウズ、状況が分からないうちに飛び出せばかえって事態を悪化させる場合もあるんだぜ。例えば嬢ちゃんが上手く敵から姿を隠しているところに、状況を把握してない俺達がノコノコ出て行って、結果共倒れなんて場合もある。今は辛抱して状況の把握に努める時だ」

「それは……」


 アリュウさんの言ってる事は正しいと思う。でも現実問題、ドロシーさんが今窮地に陥っている可能性だってあるじゃないか。それなのに三日後? 冗談じゃない。


「分かった。ちょっと考えてみる」

「そうしろ。くれぐれも早まったことはするなよ」


 アリュウさんの言葉を背後にギルドを出る。次に行くところは既に決めていた。


 そのお店は人通りの少ない裏道に、まるで人の目を避けるかのようにひっそりと建っていた。


 オオルバ魔法店。週に何度も通っている店のドアを勢いよく開ける。


「オオルバさん。話……が?」

「おや、レオの坊や。今取り込み中なんだけど、タイミングを考えるにひょっとして同じ要件かい?」


 キセルから離れた唇から紫煙が上がる。大きく肩が露出したワンピース。妖艶な仕草で脚を組む絶世の美女の前に、もう一人美女が立っていた。


 褐色の肌に銀の髪のオオルバさんが女としての魅力を極めているとしたら、こちらは性とは無関係に人を魅了する、大自然の如き美しさ。銀の髪を揺らして振り向いた彼女の表情はいつもと同じ無表情なのに、何故か焦りのようなものが浮かんで見えた。


「……レオ」

「アリアさん。どうしてここに?」


 

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