第104話 衝撃
「それでは、先方に到着の旨を伝えてきます」
目的の国へと到着し、宿を取ると、リリーナが一息入れる間もなくそう切り出して来た。
「ふむ。そこまで急がなくても良いのではないかね? 私はともかく汝は疲れたであろう。少しばかり休んだところで咎めはせんよ」
聖人である自分の体力が並外れている自覚はある。そんな私に合わせていては疲労が蓄積されるのが道理というものだろう。
「事前に訪問の旨は伝えてありますが、緊急クエストが舞い込むかも知れませんし、伝えられたのは非常に大まかな日程のみです。こちらの到着を早く伝えないと、場合によっては待たされる可能性があります。その間に教会からガルド様に新たなクエストが入れば非常に大きな手間となるでしょう」
「いつもながら忙しのない話だね」
それを本気で不満に思う感性を生まれ持たなかったのは、さて、幸福なことなのかどうか。
「そのような訳でして、やはり私は出掛けて参りますが、ガルド様は如何されますか? このまま宿におられますか?」
「そうだね。今日はいい陽気だ。久しぶりに散策でもすることにするよ」
「畏まりました。ただ、くれぐれもフードを被るようにお願いいたします」
「ふむ。私の名前はともかく顔までは出回ってないはずだが?」
「ガルド様の容姿は人の目を引きます。勿論人類最強たるガルド様の御身に何かが起こるとは思いませんが、不要な争いは避けるのが肝要かと」
「人類最強などと、私はそんな大層のものではないよ。三聖の方々が冗談混じりに言ったにすぎん」
エルフの三聖人。この中央大陸で最も長く生きる人種。私は先達である彼らに敬意を払い、己の上位者と認識しているのだが、どういうわけか、市井では私が聖者の中で最も強い位置付けとなっている。
「三聖のお歴々は冗談でそのようなことは仰りません」
リリーナは何やら分かったようなことを言って部屋を出て行った。
「ふむ。……まぁよかろう」
自分が人類最強かどうかなど拘るつもりもない。過分な称号をひけらかす気は毛頭ないが、こちらが否定した上で呼びたいというのであれば好きにするといいだろう。
私は宿を出ると特に目的地も決めずに街をぶらりと歩いた。
「中々どうして、雰囲気の良い国ではないか」
入国の際に軽くチェックしたが、平均よりもずっと高い防衛力に囲まれた街は活気が花のように咲いており、凶悪なる魔物が跋扈するこの頃、このような国はそう多くはない。
「……奇妙な気配が点在しているが、神格種の溜まり場でもあるのかな?」
より高次の世界へと住処を移した神格種は基本的にはこの世界に関与することはないが、妖精をはじめとした幾つかの種は今でも時折、思い出したようにこちらの世界にちょっかいをかけてくる。
「さて、どうするか」
高位種の縄張りがあるのならば挨拶に出向くべきだろうか? それとも気付かぬふりをするのが礼儀だろうか?
「ふむ。悩ましい問題だ。とはいえ街自体の空気は悪くない。この王都に屋敷を一つ作るのも良いかもしれんな」
独りごちると、私は進んで人混みの中を歩いた。このような喧騒に自分が決して溶け込むことはないと理解はしているものの、雑踏の中に紛れていればほんの一時、私は群れの一員でいられる。そんな妄想は私に奇妙な安堵をもたらすのだ。
このまま街の隅から隅まで歩いてみようか? そんな思惑によって、私の足は少しだけ速度を上げた。大勢の人とすれ違う。理由もなく。意味もなく。奇跡のような確率で。そんな一期一会を微笑ましい気持ちで堪能しているとーー
スッ、と。あまりにも美しい『何か』とすれ違った。
衝撃に思考が真っ白に塗りつぶされる。もしも心の臓が大きく跳ねていなければ、一日中だって立ち尽くしていたに違いない。
「ま、待ちたまえ!!」
私がかつてない動揺を抱いたまま声を掛ければ、彼女はゆっくりと振り返った。
魔法使いなのだろう。ローブに身を包み、両手は黒いロンググローブに覆われている。髪は空気が澄み切った山で見上げる夜空のような黒で、瞳は宝石を思わせる紫。優しさと強さが絶妙なバランスで混同して出来たかのような相貌はあまりにも可憐で、彼女と視線があったその瞬間、私の全身は落雷に打たれように痺れた。
「あの、何か?」
不思議そうに小首を傾げる彼女の、ああ、ああ、その美しさときたら。ようやく私は自分が『何』とすれ違ったのかを理解した。これは、そう、これはーー
「愛だ」
「え? えっと……」
彼女は戸惑った様子で左右を見回す。ひょっとしたら人違いかもと思っているのかもしれない。だがそんなはずがない。人が夜空を見失わぬように、私の世界から彼女が失われることは、最早決してありえないのだから。
私は彼女の足元に跪いた。
「私は汝を愛する者。夜空のように美しい君よ、よければ私と結婚してはくれまいか」
「ええっ!? あの、ちょっ、こ、困ります。というか、た、多分人間違いしてますよ? 私はその、貴方とは初対面だと思います。……ですよね?」
「愛を学ばなかった私には愛とは時間のみが育むものなのかどうかは分からない。だがそんな無知な私でもこの衝動が愛であることは確信できる。それ程までに汝に夢中なのだ。それ程までに私にとっては衝撃だったのだ。最早私の人生に汝のいない世界など考えられぬほどに」
「ええっ!? いや……ええっ!?」
ああ、慌てふためく彼女のなんと可憐なことか。確かに性急な話だ。ならば待とう。彼女が落ち着くまで、たとえどれだけの時間であろうが、ただ待とう。
「……どうかしたの?」
「あっ、アリア。良いところに」
パッと輝く彼女のその笑みの、何と眩しいことか。いつか私にもそのような笑みを向けてくれる時が来るのだろうか? その時が来るのならば私はいかなる努力も惜しまないだろ。
「……誰?」
自分のことを指す言葉に、彼女の美しさに見惚れていた私は現れた第三者へと視線を移した。
瞬間ーー私の全身を人生で二度目となる衝撃が駆け抜けた。
「こ、このようなことがあろうとは。今日は何という日だろうか」
生涯で初めて愛を知ったその日に、また新たな愛と出会うなどと。しかし出会ったものは仕方がない。何故ならばそれは厳然たる事実としてそこにあるのだから。だから私は跪かずにはいられなかった。アリアと呼ばれた彼女の足元に。
「私は汝を愛する者。月のように妖しく輝く君よ、どうか私と結婚してはくれまいか?」
「ええっ!?」
と、夜空のように美しい人が一度、とても大きな声を上げた。
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