第103話 不穏な言葉

「忌々しい! ああ、何と忌々しい。欲を知らぬ。恐れを知らぬ。人の世の苦しみの一切合切を知らぬ。そんなことが許されるのか? そんなことがあって良いのか?」

「貴様は人ではない! 人の形をした何かよ」

「ああ、二足の獣として生まれながら、その完全さ。貴方それでも男なの? この不能! この不能!」


 まん丸な巨大な肉の塊にいくつもの顔がついている。そしてそれらが血の涙を流しながら飽きることなく呪詛を吐き出している。


 危険指定S『呪いの人面球』。幾つもある顔が紡ぐ同時詠唱から繰り出される魔法は、ドラゴンの火力すら凌駕すると言われ、実際戦いは極めて壮絶なものとなり、周囲の地形が大きく変わってしまった。


「私達の目を正面から見れるなんて。心に何の欲望も抱かないなんて」

「こんな人間がいるはずがない。つまりこいつは人間じゃないのよ」


 顔達は血走ったと表現してもまだ足りぬ、血で溢れ返った瞳を私に向けてくる。


 狂乱の眼。その瞳を見た者は己の中にある暗い衝動を極限にまで高められて、自滅せずにはいられないと言われている悪魔の魔眼だ。しかしそれもどうやら私には何の効果もないようだった。


「末期の呪詛は吐き終えたかな? 些か気が進まないが、私にも立場というものがあってね。数百年は生きたであろう貴方の生に幕を引かせてもらう」


 少しだけ憂鬱だ。目の前の魔物は確かに人類にとって悪であろう。しかし己の力に依って数百年もの長き時を生き延びたというのは、善悪に関わらず敬意を払うに足る偉業であった。そのような相手の歴史を終わらせなければならないとは……ままならないものだな。


「諸君! 見ろ、諸君! 勝ち誇っている。奴は我らを前に勝ち誇っておるぞ」

「許せん。このような傲慢な猿。許せん」

「不便な二足動物のくせに。劣等種のくせに」


 魔眼が殊更強く、それこそ空間すらも歪める密度で発動されるが、やはり私の内面には何の変化も起こらない。肉に浮かぶ必死な形相を前に、私は多少申し訳ない気持ちになりつつも、この機会にちょっとした質問をすることにした。


「一つ聞きたいのだが、汝は何故このような無謀を犯したのだ? 片端から村を滅ぼしていけば、人類が本気になることなど分かりきっていただろうに」


 S指定に限らず国家を恐れさせる魔物というのは、総じて無駄なことをしない。その凶暴な性からあまりにも残虐な犯行を行う魔物でさえも、時期や環境を見定め、嵐のように訪れたと思ったら数年、あるいは数十年レベルで姿を消すのも珍しくはないのだ。自分が何処にいるのか喧伝するような魔物はどれだけ強かろうが、国家の天敵にはなり得ないのだ。S指定を受ける魔物はそういった生存戦略からして優れているのだ。いや、いたと言った方が正確だろうか?


「汝だけではない。ここ数年で今まで慎重に行動していた高位の魔物達が、まるで図ったように活動を活発化させている。何か知っているならば、呪詛のついでに吐いてくれると嬉しいのだがね」


 過去に例を見ない高位の魔物達による立て続けの襲撃。それによってすでに滅びた町や村が幾つもあり、市井がパニックを起こさぬよう、教会とギルドが連携して行っていた当初の情報規制は既に解除されている。事態はそれほどまでに深刻なのだ。


「ギャハハ。こいつは傑作だ。こいつは何も知らないのだ」

「お前らはね、死ぬよ。皆、死んじゃうヨォおお!?」

「誕生されたのだ。我らを統べるお方が。我らの信仰の対象が」

「北の地での戦いにももう時期決着がつく。あの地を守る、愚かなる守護者どもが倒れれば、貴様らなど猿だ! 猿猿猿猿猿、二足の猿!!」


 何故そこまで猿を馬鹿にするのかは分からないが、何はともあれ、聞き捨てならぬ言葉ではあった。


「信仰の対象? 魔物として最上に位置する汝が一体誰を信仰すると言うのかね」


 S指定を受けるような魔物はたった一魔で国すら滅ぼせる、それこそ魔王といってもいいような力の持ち主達だ。それがまるで自分達がかしずく相手が現れたかのような言い方をするではないか。


「あのお方は来られたのだ。そう、神話の彼方から」

「貴様らを絶滅させる。彼のお方の牙は世界すら喰らう」

「私達も食べられちゃう。でも逆らえない。ギャハハハハ」

「「「でもその前に」」」


 数多の顔が一斉に眼を剥いた。


「「「「貴様は死ねぇえええ!!」」」

「光よ。世界の始まりよ。お前に続くものを許すな。自らの足に出来た影を貫け。『ホーリー•ランス』」


 光魔法で作り上げた槍を以って、突如膨れ上がった肉面球を貫く。恐らく自爆する気だったのだろうが、ホーリーランスは魔法を解いて世界に帰す槍。人々の畏怖を集めた恐るべき魔物は絶命すると、光の粒となって消えていった。


「お見事です。ガルド様」


 目ざとく戦闘の終わりを感知したのか、いつものように絶妙なタイミングで副官のリリーナが現れた。


「今の話を聞いていたかな?」

「はい。聖王様に報告すべきことかと」

「そのようだね。戻って宿を引き払うとしよう」

「お疲れではありませんか? 少し休まれては?」

「確かに多少の消耗はあるが、馬車の中で十分に取れる類のものだよ。よって心配は不要だ。今日街を経てば生誕祭までには着けるだろう」


 もとより他者に比べて様々な欲求が薄い身。大仕事の後ではあるが特に休みたいとは思わなかった。ならば次の目的地が定まった以上、時間を無駄にしても仕方ないだろう。


「それなのですが、本部より帰還の前に是非ガルド様に受けて欲しい依頼があると、先ほど連絡を受けました」

「ほう。それで内容は?」

「新たな聖女の可能性であるドロテア姉妹と面会し、本当に聖女であるかどうかの確認をするようにとのことです」

「ドロテア……ああ、二十年近く前、あの野蛮な国の侵略を見事に跳ね除けて、休戦にまで持ち込んだ立役者が当主をやっている、あの家か。新たな聖女? ふむ。なかなかに興味深い」

「それでは……」

「ああ、行くとしようか。その姉妹に会いに」


 聖者として生まれた。それはこの世界において特別だったようで、生まれた瞬間から私は他の者とは違っていた。愛を知らぬ。憎しみを知らぬ。快楽を知らぬ。痛みを知らぬ。ただ光だけを知っている。そんな私でも同じ聖者と会うと、ほんの少しだけ心が動く時がある。そんな時、一瞬だけ生きているという実感が湧くのだ。しかし聖者と呼ばれる者はあまりにも少なく、私達は群れることすらままならない。もしもドロテア姉妹が両方とも聖者であれば、きっとそれは私達にとって大きな喜びとなるだろう。


「……ドロテア姉妹、か」

「いかがされましたか?」

「いや、何でもない」


 激しい戦闘の後だからだろうか? どうしてだか姉妹のことを想うと妙に胸が高鳴る。そんな自身の奇妙な心境を不思議に思いつつも、私は新たな同胞となるやも知れぬ姉妹に会いに出掛けた。

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