第76話 確執

「良かったわ。お茶会に応じて頂けて。ここ暫くつれない返事ばかりだったから、てっきり避けられているのではと勘ぐっていたところだったのよ」

「ご冗談を。王妃様にお誘いいただける。そんな栄誉を嫌がる者など、この国のどこを探してもおりますまい」


 まったく面倒な。王から重要な話があるからと聞いてアリアを連れて来てみれば、肝心の王は職務の最中。馬鹿王子とその馬鹿を溺愛する女狐なんぞとテーブルを囲むことになるとはな。王の性格からしてこんなふざけた真似をするとは思えんし、馬鹿王子の考えにしては迂遠すぎるから王妃の仕業だろう。


 女狐め。嘘をついてまで我らを呼び出すとは、一体どういうつもりだ?


「嬉しい言葉だけど……それは貴方の本心なのかしら? ジオルド」

「はて、それは一体どういう意味ですかな?」

「いやね、聞いた話だと最近巷では王族を貶める根も葉もない噂が飛び交っているようなのよ。だから王妃である私と距離をとりたがるお馬鹿さんがいても不思議はない。そう考えたのだけど、貴方はどう思うかしら?」

「その噂ならば私も耳にしておりますが気にすることはございません。民衆とは得てして全ての元凶を上に立つ者へと押し付けるものなのですよ。流されやすく、感情的。しかしそれ故に熱が冷めるのも早い。そんな流行病のようなものがどうして偉大な血筋の輝きを僅かなりとも曇らせることができますでしょうか。根も葉もない噂など放っておけば宜しいのですよ」


 何が根も葉もないだ。危険な魔物を相手に指揮を取ったこともない若造がでしゃばった挙句、大勢を死なせたとあっては戦場で後ろから刺されなかっただけでもありがたく思っておけよ間抜け共が。王子がどうしようもない無能なのは分かっていたが、それを無条件で庇う貴様も有害だぞ、女狐め。


 いや、そもそも何故、魔物の危険度が分かった時点でこの私に相談しなかったのか。この私ならば無能王子とは違い最も効率的な方法で犠牲少なく勝てただろうに。ドロテア家当主である私をないがしろにするからそのような目に遭うのだ。


「そうね。貴方の言う通り下々の噂など取るに足らないことよね。分かりきったことではあるけれど、それでもこうしてハッキリ言ってもらえるのは嬉しいわね」

「何をおっしゃいますか。少しでも上に立つ重責を知る者ならば、誰に聞いても私と同じことを答えるでしょう」


 話が終わりならさっさとこのくだらん茶会を終いにしろ。私のように高貴な人間には貴様らが放つ悪臭漂う愚かな思考は毒以外の何者でもないのだ。


「誰でも、ね。それなら、ねぇアリアさん。貴女もそう思ってくれるのかしら?」


 唐突に女狐はアリアに水を向けた。


「ここ最近、貴方とゲルドの間に意見の相違があるようだけど、その原因が根も歯もない噂にあるんじゃないかって心配してたのよ。ああ、誤解しないでね? 勿論貴方がそんな愚かな女じゃないことは分かっているのよ? 貴方は化粧一つまともにできないお姉さんとは違うものね?」


 なるほど。何の目的で呼び出したのかと思えば、溺愛する無能王子を蔑ろにするアリアに嫌がらせをしたいのか。


 チッ、無能が母親の影に隠れてニヤニヤと笑いおって。


「私と姉が違う人間であるのは客観的な事実。噂になっている愚王子事件も大筋に間違いはない。何故見当違いなことばかりを口にするの?」


 不思議そうに小首を傾げるアリア。瞬間、王子と王妃の顔色が変わった。


「なんだと貴様!!」


 ガシャン!! と王子の拳がテーブルを激しく揺らす。


「ゲルド、落ち着きなさい」

「しかし母上、今の言。やはりこの女は少しばかり魔法が上手い程度で王族である我らを見下しております」


 魔法が上手い程度で? 猿程度の知能しか持たぬゴミクズが!! 貴様らが我らドロテアより下なのは当然であろうが。地位に相応しい才を持たぬゴミが! 人が下手に出ていれば調子付きおって。


「いかに天才といえどもアリアさんはまだ学生。愚かな民衆の話をそのまま信じてしまうのも無理はないわ。ねぇ、そうでしょうジオルド」

「……はっ、お恥ずかしい限りです。アリア、王妃様に謝罪しなさい」


 アリアは紅茶の香りを楽しみ、そしてそれをゆっくりと口に含んだ。王子の拳が再びテーブルを揺らす。


「貴様、話を聞いているのか!? 謝れと言っているだろうが!!」


 激昂する王子にしかしアリアは何の反応も返さない。


「……アリアさん、その紅茶美味しいでしょう? 今日の為に用意したとっておきなのよ」

「確かに美味しい」

「でしょう。その紅茶に合うとっておきのケーキもあるのよ。ぜひ食べて行ってね」


 給仕が私達の前にケーキの乗った皿を置く。


 無能な息子を溺愛する王妃の立場からすればアリアの態度は許せないものであろうに、あの親しみのある態度は一体全体どうしたことだ?


「さぁ。召し上がれ。あら? どうかしたのかしらアリアさん」


 何だ? 何故アリアはケーキをジッと見つめたまま動かないのだ? 私も自分の前に置かれたものを見てみるが、なんの面白みもない普通のショートケーキだ。味も……まぁ悪くはないが特別美味いと言うほどでもない。


「貴方の感想を聞きたいの。そのために用意したとっておきなのよ?」

「どうした? 母上が貴様のために用意したものがまさか食えんと言うつもりではないだろうな?」


 先ほどまで怒り狂っていたくせに、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる無能王子のあの変わりよう。いや、王子だけではない。王妃の後ろに控えている侍女の中にも悪意のある笑みを浮かべている者がいる。


 この状況でこの反応。まさか……一服盛った? いや、それしかあるまい。どうりで見慣れない侍女が多いはずだ。普段王との会食の時にはいないあ奴らは野蛮な国から嫁いできた王妃に付いて来た者達か。流石に命に関わるようなことはしないだろうから、何らかの醜態を演じさせる劇物が入っているのだろう。それでアリアがお望み通り醜態を演じたら、ここにいる侍女達がそれを城中に広めて笑いものにする。そんなところか。


 ふん。くだらん。くだらん。全くもってくだらん連中だ。これだから下賤な連中とは距離を置きたくなるのだ。これだから真に高貴な私が権力を握らないとダメなのだ。その為には業腹であっても極力このクズ共とは仲良くしておきたい。しかし、だからといってドロテアの名に泥を塗られるのを黙って見ているつもりもない。


「申し訳ありませんが王妃、少々用事を思いーー」


 空間に小さなさざ波が走る。


 それは私だから気付けた違和感。確かに今、魔法の気配があった。だがそれに誰も気付いていない。……誰も? アリアはーー


 パクリ!


 し、しまった。魔法の気配に気を取られている間にアリアがケーキを食べてしまった。


「どうかしらアリアさん。とっても美味しいでしょう」


 王妃が勝利を確信した笑みを浮かべる。無能王子にいたっては声こそ堪えているものの腹を抱えている。


「普通」


 ええい! アリアめ、何を呑気に次々とケーキを口に運んでおるのか。なんという迂闊さだ。周りの様子に気付いていないのか? どうする? 多少強引にでも部屋からアリアを連れ出すか? おのれ、他の手段が思いつかん。何よりも迷っている時間は……ん? いや、待て。王妃の顔から笑みが消えた? 王子も笑うのを止めたぞ。これはまさか……


「王妃、いかがされましたかな?」

「えっ? な、なんのことかしら?」

「いえ、顔色が優れないようでしたので、何か気になることでもあるのかと」

「べ、別に何もないわ」


 私と話している最中にも王妃は時折不可解そうな視線をアリアへと向けている。この反応、ケーキに仕込まれていたのは即効性のもの? 効いていないということは魔法で無毒化したのか。流石だ。流石は私の娘。そしてそれでこそドロテア家の人間よ。


 ホッと息を吐く。


 私としたことがこんなくだらんことで動揺してしまうとはな。女狐め、くだらんことを企みおっ……て? はて? アリアと王妃の皿、給仕が最初に置いた場所からほんの少しずれているような……。気のせいか? いや『配置』は儀式魔法において重要な意味を持つ。ドロテア家当主であるこの私が置かれた皿の位置を見間違うはずがない。しかしならばどうして皿が勝手に動いているのか。数センチ、あるいは数ミリとはいえそれには理由があるはず。…………ま、まさか!?


「貴方は食べないの?」


 不思議そうに小首を傾げるアリア。王妃の眉間に一瞬だけ皺が寄った。


「え、ええ。頂きますとも」


 まずい。と、思った時には王妃はすでにそれを口にしていた。


「ウゲェエエエエ!! なっ!? ご、ごれは……ど、どうし、ウゲェエエエエエ!!」


 テーブルの上に盛大に胃液をぶちまける王妃。部屋にいる全員が泡を食う中、アリアは一人ケーキと紅茶を楽しんでいた。

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