探偵見習いアリサの事件簿

ぽんぽこ太郎

1章 探偵と魔法使い

第1話 柊アリサ1-1

【柊アリサ】


 柊アリサは帽子を被り直し、息を潜めた。


 時刻は夕方から夜になろうとする頃合いで、星と欠けた月だけが周囲を照らしている。


 狭い、路地だった。廃墟と化したビルと、夜にしか営業していない飲食店の間に挟まれた薄暗い場所。青いポリバケツが二つ、奥に見える。片方は地面に倒れ、中の生ゴミが散乱していた。


 そこに一匹の黒猫がいた。薄汚れた毛並みをしている。猫はゴミを漁って食べていた。しかし野良猫というわけではない。赤い首輪をしている。


 アリサは、懐から写真を取り出した。写真は依頼人から預かったもので、ペットの猫が写っている。見比べてみると、大きさ、特徴ともに一致している。垂れた耳、丸まった尻尾、どこか呑気な顔。それに首輪まで一緒なら、間違いないと言ってしまっても良いだろう。


 依頼は迷子のペットの捜索だった。行方不明になって一週間ほど経っていたが、まだ無事でいてくれたらしい。猫を発見し、その無事も見届けた。依頼の第一段階はクリアだ。


 依頼を完遂するために、次は捕まえなければならない。これには慎重さが必要だ。足音を忍ばせそっと近寄り、背後から一気に飛びつく。


 猫が悲鳴を上げて暴れまわった。


「よしよしっ、落ち着いて。落ち着いて。私は敵じゃないわ。大丈夫。何もしないから。ほら、怖くない。ほら……もう! 落ち着けって言ってるでしょ!」


 頭をなでたり、少し首に回した手に力を込めてやると、ようやく猫はおとなしくなった。だらんと力を抜いて垂れ下がる。元々お腹が空いて力が出なかったらしい。


「よしよーし。どっちが上の立場かわかったみたいね」


 賢い動物は好きだ。アリサは、持ってきていたペット用のにぼしを与えてやる。猫は喜んで食べた。


 おやつの時間が終わると、猫も少し落ち着いてきた。ペット用のキャリーバッグに猫を誘導し入れる。おやつを与えたことで警戒を解いたのか、今度はおとなしく従った。


 ため息を吐いて額の汗を拭った。これでほぼ、依頼は完了だ。後はこの猫を飼い主のもとに届けるだけ。


 コートの埃を払い落とす。キャリーの網目からこちらを不安そうに覗く猫に目配せをして、バッグを抱き上げた。そのまま反転して帰ろうとした時、ふと路地の奥から大きな音がした。


 ガラガラと何かが崩れるような音だ。


 アリサは立ち止まり、一瞬迷う。でも結局、気になって少し覗くことにした。


 キャリーバックを一旦路地の隅に起き、不安そうにきょろきょろしている猫のために、鞄の上から軽く頭を叩いてやる。そして路地の奥へと進んだ。


 路地の角を曲がると、少しだが広い場所に出た。壊れかけの電灯が広場を照らしている。どこかの店の裏手のようだ。ビール瓶などを入れるケースが散らばっていた。さっき聞こえた何かが崩れる音は、あれのようだ。


 そのケースの前に女の子が尻もちをついていた。アリサと同じくらいの年頃だ。つまり、十三、四あたり。そして女の子を囲むようにして、いかにもガラの悪い、高校生くらいの男達がいた。


 危険な状況だ。すぐにでも警察を呼びたくなる光景だったが、アリサは呆気に取られて立ち尽くしていた。女の子の格好があまりにも奇妙だったからだ。


 女の子は、外国人のようだった。ブロンドの髪を、後ろで三つ編みにまとめている。顔は丸っこく、親しみやすい印象を受ける。翠色の目は、遠くからでもハッとするほどに綺麗だ。


 そして問題の格好はというと、黒い三角帽子に、黒いローブ、黒いブーツ。そして手には大きな竹箒。それはまるで、絵本から飛び出してきた『魔女』そのものだった。


 コスプレイベントの帰りか何かだろうか。それにしてもどうしてこんな場所に……。


 とはいえ、格好だけだったらアリサも負けてはいない。アリサの格好は、学校のセーラー服の上に、ブラウンのケープコートと鹿撃ち帽を被ったものだ。これは探偵としての正装ではあるが、世間一般からすると、奇妙な格好であることは自覚している。


 倒れていた女の子がふらふらと立ち上がった。周りを囲んでいた不良の一人が猫なで声で言う。


「お嬢ちゃん、大丈夫かい。いきなり転んだりして」


 周りはその言葉につられるようにして一斉に笑う。嫌な笑い方だった。転んだも何も、あの不良達のうちの誰かが突き飛ばしたのは明白だった。女の子の肩の所に手の跡がまだ残っている。


 明確な悪意にさらされているにもかかわらず、女の子は困ったように笑うだけだった。怯えて相手を刺激しないようにそうしているのか、それともあまりにも鈍くさくて馬鹿にされていることに気づいていないのか。アリサは何となく後者のような気がした。普通ならありえないが、あの女の子の目には困惑の色の方が多い気がしたのだ。


 女の子はずれた帽子を被り直すと、周りに問いかけた。


「あの、すみません。……わたし、人を探しているんです」


 一瞬辺りが静まり返った。アリサは、さっきの自分の考えが当たっていたことを悟った。


 不良達は顔を見合わせ肩をすくめる。


「へえ。誰を探してるんだい。コスプレ仲間とか?」

「こ、こすぷれ……えっと、なんですかそれ」

「お嬢ちゃんみたいな変な格好した奴らのことだよ。違うのかよ」

「えっと、変な格好はしてるかもしれないですけど……。あの、わたしも詳しくなくて。えっと……」

「よく分からないけどさ、詳しい話聞くぜ。俺たち、良い店知ってるんだ。ついてこいよ」

「ほ、本当ですか! ありがとうございます」


 呆れたことに、女の子は深々と頭を下げてみせた。それを見て、不良達はにやにやと笑みを浮かべる。ロクでもないことを考えているのは明白だった。


 流石にこれ以上様子見をしていても仕方がないだろう。このまま黙っていれば、女の子は不良どもに連れていかれてしまう。


「ちょっと」


 声を上げると、不良たちは全員、ぎょっとしたようにアリサの方を見た。しかし、立っているのが中学生の女の子だと気づくと、力が抜けたのが分かる。


 アリサは黙って、不良たちの間を抜けて女の子のもとまで歩み寄った。驚異と見なされていないのか、あっさり辿り着く。急に現れたアリサを見て、女の子が戸惑った声を上げる。


「え、あの、誰、ですか」

「あのねえ、あなた馬鹿なの? こいつら、あなたにロクでもないことしようとしてたのよ」

「はい? あの、わたしはこの人たちに聞きたいことがあって……」

「そんなの、教えてもらえるわけないでしょ。ほんと警戒心ないのね」

「おいお前」


 不良の一人がドスの聞いた声を飛ばす。


「なんだよ急に入ってきて。このコスプレ女のお仲間か。変な格好しやがって」

「失礼ね。れっきとした正装よ。私、探偵なの。まあ、見習いだけどね」

「探偵?」


 眉を寄せて、それからげらげらと男たちは笑いだす。


「なんだそれ、ごっこ遊びか? 中学生にもなって、もうちょいマシな遊びを覚えなよ」

「あなた達よりマシよ。良い年こいて、寄ってたかって女の子襲おうとしてる下衆よりね」


 ピクリと不良の顔が歪んだ。


「このアマ、調子にのりやがって……」


 すぐそばにいた三人のうち、一番短気な男が拳を振り上げた。振り下ろされるそれを、アリサは半歩下がって回避する。


 探偵にとって、観察力は必須の技能だ。油断せず相手を見ていれば、攻撃の予兆は掴むことができる。ましてあんな挑発に乗るような相手だ。攻撃を避けるのは容易かった。


「っ、てめえ!」


 男がさらに拳を振るう。アリサはそれをまた数歩下がって回避、そして急に体の向きを変えると、つま先を少しだけ前に出した。男は面白いように引っかかり、派手に転ぶとビールケースの山に飛び込んでいく。


 大きな音がして、周りは一斉に色めき立った。


「こ、このガキ!」


 一触即発という様子だった。ただ一人、女の子だけが急な展開についていけずに戸惑っている。


「あ、あの、なんで、こんな急に」

「あのねえ」


 アリサはいつでも動けるよう身構えながら、ため息を吐いた。


「さっきも言ったけど、こいつらはあなたにロクでもないことしようとしてたの。こんなガラの悪い連中、ついて行って良いことあるわけないでしょ」

「え、ええ! それじゃあわたし、どうすれば」

「どうすればって、そんなの逃げるしかないでしょ」

「ふざけんなっ! 逃がすか!」


 ビールケースの山から男が鼻を押さえたまま叫んだ。アリサはその男のもとに近づき無言で股下を蹴りつけた。


 男の絶叫が響き渡る。アリサの靴には鉄板が仕込まれている。男は白目を向いて気絶した。


 不良達は一瞬恐怖に満ちた目でアリサを見た。しかし流石に引き下がる気にはならないらしい。


「言っとくけど、先に仕掛けたのはそっちだからね。正当防衛よ」


 それが引き金だった。不良達は雄叫びをあげてアリサのもとへ飛びかかってくる。


 女の子が悲鳴をあげた。アリサは、彼女の手を引き、自分のすぐそばに寄せる。そして周りに視線を巡らす。一瞬の内に相手の人数と間合いを把握する。


 探偵はいつでも冷静でいなければならない。焦れば焦るだけ、戦いは不利になる。


 不良は元々すぐそばに三人。広場の離れた所に五人いた。三人のうちの一人は、先程股間を蹴りつけ無力化した。故に、まずどうにかしなければならないのは、今にも襲いかかろうとしている二人だ。流石に全員の相手をするのは厳しいから、二人を潰してやって来た方の路地へと逃げる。それが最良の手だろう。


 アリサは、背中に提げていた金属バットを取り出して、右から向かってきていた男に向けた。長い獲物が突きつけられれば、それだけで人間は怯む。男もいきなりのことに一瞬たたらを踏んだ。そうすることで、二人の男が襲いかかるタイミングをずらす。


 先に片付けるのは、左の男だ。突然出てきたバットにぎょっとしながらも、男は手を止めない。


 アリサはバットと同時に左手で懐から催涙スプレーを取り出していた。左側の男へ向けてそれを放つ。市販のものを改造し、さらに威力を高めたものだ。男は悲鳴を上げて飛び退く。その鳩尾に、バットの先端を突き入れた。男は胃液を吐き出し転がった。しばらくは動かないだろう。


 振り向いている余裕はなかった。アリサはバックステップをしてもう一人の男の懐へと自ら入り込んだ。男と衝突し、向こうは拳を振り下ろすタイミングを逸らされた。スプレーは仕舞う。そして、自分を掴もうとする男に対し、今度はハンディータイプのスタンガンを取り出し、男の太ももに当てた。これも改造が施してある。青白い光が弾け、焦げ臭い臭いとともに男は崩れ落ちる。


 瞬く間に二人の男が撃沈したことに、不良たちは驚きを覚えたようだった。動きが鈍くなる。


 チャンスだった。流石に五人の男に囲まれれば逃げるのが難しいのは分かっている。


「行くわよ!」


 未だに混乱している女の子の手を強く引き、アリサは走った。

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