手放した恋の拾いかた
おくらねこ
第1章 恋の在処
第一話 エンカウントのしかた
昔から、嘘をつくのが得意だった。
中学校というある種閉鎖した空間の中で、特別親しくもない同輩たちにわざわざ本心を告げる理由もなく、その場その場で空間に合った当たり障りのない嘘をついてきた。
そのおかげでクラスでは、『無口だけど、特に害はない奴』というポジションを得ることが出来たし、2年生に上がってからは特別だと思える恋人も出来た。その際に僕は、彼女に対してだけは嘘をつかないでいようと決めた。
「水原、別れよう。もう君のことが好きじゃなくなった」
「−−−え?や、
「……僕が君に、嘘をついたことがあったか?」
「……わかった」
−−−その日初めて、僕は彼女に嘘をついた。
ガヤガヤとした、どこか浮ついた喧噪をBGMにいつの間にか机で寝てしまっていた僕は、その喧噪がピタリと止んだことで目を覚ました。
さっと教室を見渡すと、教壇に担任と思われる先生が向かうところだった。
本来であればたった今まで僕がBGMとしていた様に、僕も今日から同じ教室で過ごすことになるクラスメイトたちと、親睦を深める必要があったのかもしれないが、僕はそうした普通の高校生が初日に行うであろう行為を全面的にスルーし、入学式が終わると共に一目散に教室の机に向かい、文字通り頭を抱えていたのである。
その結果、混乱している頭では良い結論も出ないし一旦寝よう。という結論を導き出し、次々と教室に帰ってくるクラスメイトたちの喧噪を聴きながら睡眠へと潜っていった。
つまり何が言いたいかというと、僕がまるでぼっちになりたいかの様に初日から一人で机で寝てしまったのも、あんな碌でもない夢を見たのも、入学式で見たある一人の女子生徒に起因するということだ。
−−−というか、なんで彼女がこの学校にいるんだよ!
※※※
担任を含めたクラスメイトの自己紹介と、初日ということもあってか、簡単なホームルームを終えた僕は荷物をまとめ席を立った。ちなみに自己紹介は例年に倣って簡潔に済ませた。
「あっ!
教室の出口に向かって歩いていた僕の進路を、体の左側三分の一ほどを使い堰き止めてきた女生徒が、遠慮がちに聞いてきた。
−−−名前は確か……
「
「そっかあ、了解!ホームルーム中ぼーっとしてたから、名前なんて覚えられてないかと思ったけど、新発田で合ってるよ!新発田でも、香織でも、なんでも好きに呼んでね!」
「うん。それじゃあね、新発田さん」
「じゃあねー」と言いながら新発田さんは胸の前で軽く手を振って教室の前方に戻っていった。
あの辺りで固まっている人達でこれから出掛けるのだろう。
ごめん新発田さん、初対面から下の名前で呼ぶのは僕には無理だった。
挨拶を終え、教室を出た僕は周囲を警戒し、目的の人物に出会わない様に足早に下駄箱に向かった。
エンカウントしなかったことに心底ほっとしながら靴を履き替えていると、数人の新入生と思われる男子生徒が話しながら向かってくるのが見えた。
「いやー、しかし9組の
「それなー。容姿端麗で学年首席!才色兼備の擬人化だよなあ。おまけに声も超可愛いと来たもんだ」
「わっかるわ!代表の挨拶とか真面目に聞いたの初めてかも知らん」
それを聞いて思わず体が硬直する。
嫌な汗が出てくるのを感じながら辺りを見回すが、名前が上がっただけで本人はまだなのか、もうなのかはわからないが、居ないらしい。
入学式後のコミュニケーションなども考えると、僕や今話していた男子たちの様にすぐに帰宅するのは恐らく少数派であろうから、まだ居ない。で良いのだろうけど。
−−−水原笑美。
今しがた、どのクラスかもわからないが、彼等が話していた様に、彼女は県内有数の進学校であるこの学園において、首席入学を成し遂げ、見事に新入生代表の挨拶というものをやって見せた。
それを見ていた、あるいは聞いていた人たちの反応は、さっきの彼等とそう大差はないだろう。そう、僕を除いて。
僕が机で突っ伏すことになったのも、あんな夢を見たのも、今みたいにコソコソと駅までの道を歩いているのも、全ては水原笑美がこの学園にいたという僕にとっての衝撃の事実のせいである。
聞いていた話では、彼女は−−−厳密に言うと、元彼女はこの学校ではない所に進学していた筈なのである。
もう二度と会うこともないと思っていた、中学校時代の元彼女が、自分と同じ学校に居て、しかも首席入学しているというのは、本当に、本当に僕に心の底から衝撃を与えた。
さっき水原について論していた彼等や、その他大多数の新入生が恐らく抱いているであろう彼女の、眉目秀麗、才色兼備といったイメージと、僕の中の彼女のイメージはまるっきりとまでは行かずとも正反対であるのだから。
※※※
「ゴメン、水原。先生と話してて遅くなった」
「ううん。大丈夫だよ、八色くん。お疲れ様」
「ありがと。じゃあ、いつもより短くなっちゃうけど、勉強始めようか」
「はい!今日もよろしくお願いします!」
「「…………ふふっ」」
これはもう既に終わった話であるのだけれど、当時−−−中学3年生の頃の僕には、一年以上付き合っている彼女が居た。いわんや水原笑美である。
中3の5月。
受験生ということもあり、学年内が受験ムードに移行していく中で、僕と彼女も自ずとそういった、将来の話をすることが増えていた。
どちらもしっかりと言葉に出した訳ではないけれど、僕も彼女も同じ高校に進学しようという気持ちが確かにあり、その中で中学の近くにある公立の高校に行こうかなと、確かに彼女は言っていたのだった。
当時の彼女は成績でいうと、丁度学年の真ん中より少し上辺りを上下しており、お世辞にも成績が良い。とまでは言えなかった。
かく言う僕は学年10位以内から外れた事はなく、放課後になると彼女に勉強を教える。−−という名目の、空き教室での逢瀬を満喫していた。
正面に座る彼女は、同年代の女子と比べると、少々豪華さに欠ける髪型をしており、顔のパーツは整っているのだけれど、それをわかりにくく見せている眼鏡が印象的な女子だった。
彼女の交友関係がとても狭かった事もあり、彼女の顔が実はとても整っている事も、笑うと小さく笑窪が出来る事も、人見知りだけれど、慣れてくれるとたくさん喋ってくれる事も、繋いだ手の柔らかさも、この学校の男では僕だけが知っているのだと、そんな愚かしい優越感に浸っていた。
まあ、紆余曲折あり、そんな僕と彼女は中学三年の冬に交際を終わらせた。
今朝、教室で見たあの夢の様に、僕から別れを告げると言う形で。その時やその後の、水原と周囲への対応もあってか、僕は彼女から蛇蝎の如く嫌われた。
噂は校内にも瞬く間に広がり、学内の僕の評判はあっさりと地に堕ちたのだった。
水原と別れる前に僕が想定していたほどの事は起こらなかった。なんなら校舎裏で、ボコボコにされるくらいは覚悟していたんだけど。
まあ暴力に訴える、物が無くなるなどの直接的な被害はなく、せいぜい学内の生徒から総スカンを喰らう程度であった。
元々僕は目立つ方の生徒では無かったし、学内に特別親しくしている人もいなかった事もあり、その程度の事であれば特に気にしないように出来た。
努めてそう振る舞ったのだ。
それに何よりも、当時の僕にとっては今の高校に特待生として進学する事こそが、何よりの目標であった為、周囲にかまけている時間は無かった。
学内での総スカンついでなのか、「お前は絶対この学校に進学するなよ!」との命令を聞いた時は意味が分からなかったけれど、状況から推測するに、きっとその高校に水原が進学する予定だから、僕には来るなと言う事なんだと思っていた。
まあそれ以外はまず考えられなかった。
幸い指定された学校は僕が目指していた学校とは別の学校だったけれど、そこそこ偏差値が高かったのを思い出し、水原は勉強を頑張っているんだなー。なんて、少しだけ考えたりもした。
そんなこんなで無事に今の高校に合格し、しっかりと特待生としての身分を得られた僕は嫌われ者のまま中学を卒業した。
県内有数の進学校といっても、自分の学校から僕一人だけが進学するなんて事は無いと思っていたし、実際に合格を報告するために登校した時には、詳細は良く聞いていなかったけど、僕で3人目だ。みたいなことを言っていたと記憶している。
それに、進学した先で同じ学校だった人が僕のしたことを高校の生徒たちにバラしてしまうような事があっても別に良いと思っていた。
なんなら普通は「あいつはこんな男だから気をつけろ」みたいに一つのネタとして、周りに話してしまうのが普通なんだろうとまで思っていた。
思っていたけれど、それでもまさか水原本人が入学しているなんて思いもよらなかった。
同姓同名の別人じゃ無いかって、入学式中何度も、何度も何度も見直した。
けれど、そこには確かに水原笑美が居て、僕の記憶の中の彼女よりも、ずいぶん垢抜けてはいたけれど、帰り道で聞いたように『眉目秀麗』、『才色兼備。』なんて言葉が似合うような容姿に変わっていたけれど、でも確かに僕の記憶の中にいる、眼鏡を掛けていない水原と入学式で見た彼女はどうしようもなく、僕には被って見えたのだ。
※※※
僕の心に大きな衝撃を与えた入学式を終え一夜が過ぎ、僕は通学のためホームで電車を待っていた。
昨日は帰ってからも衝撃が頭からなかなか抜けず、僕の担当している家事にも大きく綻びが出て、妹には散々迷惑を掛けたのだった。
その際に妹−−−
「お兄ちゃん、そんなのさあ………お兄ちゃんだってバレなきゃ良いじゃん!中学と今じゃ名字だって違うんだしさ!」
−−−とのことだった。
いくつか突っ込みたい事はあったが、「良いから気にせず行ってこーい!」と、文字通り家を追い出されてしまったので、(僕は電車通学なので自転車通学の妹よりも家を出る時間が早い)電車に揺られながら僕は妹に言われたことを反芻していた。
−−−結論、妹は正しかった。
そもそも僕と水原との関係は中学時代にどうしようもなく終わったのだ。
今更向こうに僕が同じ学校にいる事がバレたところで、別に僕と水原は今現在なんの関係もないのだから問題はない。ないったらないのである。
それに、別れてからあれだけ嫌われていたのだから、水原も僕が同じ学校にいると知っても、積極的に僕に関わってくるとはまず思えない。
それは逆も然りで、勿論僕の方から水原に進んで絡んで行きたいなんて、露ほども思ってはいない。
まあ彼女は中学時代よりも少しばかり見た目に変化が起きているので、中学時代の容姿であったり、様子を周囲に話すなと念押しくらいはしてくるかもしれないが、その時は「わかっている」と一言返せば済む話だ。
自分の中で結論が出て、すっきりとした気持ちで駅から学校への道を歩いていると、不意に視界がブレた。
「っ!?」
住宅街でもある通学路の、横合いに伸びる小道に引きずり込まれ、尻もちをつく形で転んでしまったのだと、自分の状況を分析した刹那、目の前に黒いタイツに覆われた、スラリとした2本の脚がトンッと音を立てて立ち塞がった。
その脚が履いている黒のローファーは汚れ一つ見つからず、タイツ越しにも程よい肉付きが感じられる、モデルのようにほっそりとした足を経て、意識して顔を上へと押し上げるとそこには。
見知った様な、酷く懐かしい様な、でも僕の記憶には無い顔で、その女。
−−−水原笑美が立っていた。
どこか勝ち誇った様に口の端を小さくあげて、しかし目は氷の様に冷たく、その目から感情を窺い知ることは出来ない。
僕は突然の事で何を言うことも敵わず、水原の顔を眺めることしか出来なかった。何秒、いや何分か?そうして水原の顔を見つめていると、ふいっと視線を逸らされた。
そこで僕もハッとなり、慌てて立ち上がった。
いきなりの出来事過ぎて頭が回っていなかったけれど、立ち上がってからお尻の辺りがジンジンと痛むのを感じて、文句の一つでも言ってやろうと口を開き掛けたその時。
「全然関係ないんだけど。あんた何で名字変わってんの?あと、絶対に学校で私に話しかけて来ないでよね」
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