第四章 最後に笑うのは(5)
倒れた凛陽の手に、トールが手錠グレイプニル・イプシロンをかけようとした。
凍える風が吹いてくる。常に適温を保っている室内に、急な冬の寒さが訪れ、つい身震いしてしまう。
眼鏡に水滴が付いたと思ったら篠突く雨が降り注ぎ、白いスーツをびしょ濡れに。
広大な空間その一点に膨大な自然の流れ。純粋で畏怖すら覚える力を束ねた、青々と輝く幻影の標が現れる。
風は悲しみを叫びながら怒り狂う様に吹きつける。激しくも澄んだ光を帯びた雨が血で穢れた床を洗い流し、恨みを抱いた死者を清めていく。
霧が晴れるように青き標が消えると、凍える風は瞬時に凪いで篠突く雨も静まり返った。
青く揺らめく光が、標の現れた跡に。決して高まった力の残滓ではない。
一人の少女の闘気。幽玄の如く仄かに美しい。集約した力だ。
麗しい長髪は青い月の如く鮮やかで、薄紅色の花をあしらった銀のかんざしで飾り。白雪に夜を淡く染めた着物は着崩し、みずみずしい肌をした肩は眩しく、峰のある豊かな胸を強調している。
トールは息を呑んだ。尋常ならざる色香を漂わせた艶な佇まいもそうだが。それ以上に湛えた静かなる怒気と、研ぎ澄まされた刃よりも鋭い禍々しい殺意に。
「真吹……時雨、なのか?」
ヴァルハラのデータベースで見た時と、実際にこの目で見た時とでは相違点があった。それでも、髪の色や雰囲気が変わった程度で、少々の面影はあった。だが、今目にしているその姿は別人と言ってもいいくらいだ。
古色ゆかしい紺の袴に差した天叢雲剣。手を添え、姿勢を落とす時雨。
斜め後ろ。トールの死角に立っていた。
トールが口から血を吐き出す。頑健極まる痩身が緩慢に崩れ、片膝を突く。大きく切れた脇腹、真っ白なスーツを赤く染めた。
時雨が姿勢をほんの少し落とした直後、電光石火を上回る俊敏さでトールを横切り、刀を抜いた事も気取られぬ神速の居合切りで胴体を切断した。
「貴様ァァァッッ」
けたたましい雷吼が鳴り響く。時雨は臆する事無く超然としている。トールは真っ白なスーツを破り、筋骨隆々の逞しい巨体に変貌。鬼気迫る形相でミョルニルを振るう。
電撃を纏う鎚が迫る中、時雨は跳躍しながら身を翻し天叢雲剣を抜刀。猛り狂う雷神を斬り裂き。真っ二つにしようと、禍々しくも美しい蒼の波動を流し込んだ。
時雨がよろめくトールの頭を踏み付けた。巨体は無様に倒れ、筋骨隆々の逞しさは萎びる様に痩せ細り、電光を発する事は無かった。
「……呆気ないものね」
僅かに弾んだ声。殺意漲る蒼い波動を放つ刀身を、鞘へと収めた。繊細な人形が修羅に目覚め、凍てつく美しさで他を寄せ付けない。それが今の時雨だ。
「よぉ」
重々しく威圧的な殺気。
「のろま」
ねっとりと時雨が言ってやった。弱い犬の吠えと動じず、瞬息でギルガメッシュの背後に回り込み抜き打つ。
切っ先が背中を削いだものの、ギルガメッシュは距離を取りながら振り向き様に剣を現して一閃。それを時雨は跳び退かず、姿勢を落として向こうの間合いに入り込み。抜き身の刀で胴を斬った。
「ほぉ、なかなか」
感嘆の声。皇威を放つ黒衣が血に染まった。
迅速な追撃。右に回り込んだ時雨が溢れる蒼い力と一緒に逆袈裟を放ち、ギルガメッシュの腕や肋骨、肺と心臓をまとめて斬った。
さっきから何太刀も浴びせているのに苦痛がはね返っておらず、時雨はかすり傷一つ負っていない。
正面から天叢雲剣を振り下ろすと灼熱の炎に包まれた曲刀が現れ、鍔迫り合いの形で阻まれてしまう。
「新しいドレスに舞い上がってんなぁ。ガキ」
「私に逝かされたいんじゃなかった?」
時雨が剣を引き、ギルガメッシュが剣を消す。現れた新しい剣と打ちこむ剣がぶつかる。
「ようやく価値が出たか。この俺と戦う価値が」
即間合いを離し針に糸を通すよりも正確な突きは、手応え無し。竜巻を起こしかねない大剣による薙ぎ払いが襲いかかる。姿勢を落とし、蛇をも思わせるすり足で幻が消えるよりも早く迫り心臓目がけて一気に斬り上げる。
また手応え無し。先んじたギルガメッシュが時雨の背後に立ち、拳を振り下ろす様に新しい剣で後頭部を斬る。
瞬時に受け止めた。背中越しに天叢雲剣を振り下ろして。
「ねぇ、あの日、心臓を斬られてどうだった?」
言葉でくすぐり。天叢雲剣で武器を跳ね上げたら華麗に身を翻し一太刀浴びせる。
かったるそうな息、裏拳を放つみたいに首を刎ねる。時雨は紙一重でしゃがみ、半月を描く足さばきと共にせり上がる様な突きで反撃。だが、ギルガメッシュの持つ数多の中の一本に防がれてしまう。
「心臓を斬られた? あの日? 何の事だよ時雨」
初めて聞く話に、耳聡いロキが疑問を口にせずにはいられない。
「知りたい? 大した話じゃないから、期待しないでね」
「余裕か。オイ」
襲いかかるギルガメッシュ。剣の種類を目まぐるしく変え、変幻自在の間合いで荒々しさと洗練さを兼ね備えた超速の一斬、突きを繰り出していく。
剣閃の嵐を柳みたいに受け流し、霞の如く触れさせない。反転、仕掛ける隙あらば、硝子細工よりも技巧を凝らした手を打ち。時には、滝登りみたいに大胆な業で虚を突く時雨。剣には届くものの肝心の暴君には刃が一切届かない。
「ヒェーッこいつはスゲェぜ。これなら、ギルガメッシュのハートもとれそうだな」
時雨とギルガメッシュによる一歩も譲らない剣戟に、ロキが舌を巻く。
「昔はとれたの。財宝に目が眩んだ賊を、返り討ちにした時に」
死線を潜りながら秘密を口にしていく時雨。
「私が居合を披露したら、雑魚は皆散ったわ。でも、親玉はしぶといものと相場が決まっているから、もう一振り」
時雨が薄く笑ってみせる。口を封じようと押し寄せる連撃を余裕で捌きながら。
「そしたら、親玉の心臓がフォンダンショコラみたいにバックリ。けど、生きていたのね、おめおめと消えていったわ」
舌打ち。
「アッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ。コイツは傑作だ。他の神を殺すどころか、人間にボッコボコにされて逃げ帰ったんだろ。今まで、そんな安っちい復讐に必死だったとか、ハハハハ、お前器ちっさいなぁ。ハハハハハハ」
あまりにも笑えるから、ロキが笑い死にしそうだ。
ギルガメッシュの恥部を晒した時雨が動揺に付け入る。天叢雲剣を左右に払い、突きを放つ。相手の胸部は深々と真一文字に裂け、肉を抉り取った。
「ッハッハッハッハッハッハッハ。安っちいか」
怒りを通り越して、狂気を孕んだ笑い声。ギルガメッシュは時雨から間合いを取ると、自ら破れた黒衣を千切り、鍛え上げられた立派な肉体を現す。
さっき付いた傷が綺麗に塞がる中、左肩から心臓、右の脇腹にかけて、一筋の綺麗な線とも言える傷が。
「見ろ。テメェが付けた傷だ。神に付けられんのも許せねぇが、テメェみたいなモブに付けられたとあっちゃ、全ての神をブッ殺しても、ナンバーワンが成立しねぇ。戦えるテメェをミンチにして、天叢雲剣を手に入れる。それでようやく落とし前がつくんだ。メス豚ァッ!!」
「そう」
無関心な相槌が憤怒をあしらい。ギルガメッシュの頭を時雨が鞘で打ちのめす。
背中に回り込んで、滝の様に溢れ出す蒼い闘気を込めた天叢雲剣による神速の斬撃。降り続け暮れる事を知らぬ手数の雨、華麗に咲き誇る牡丹の様に美しい太刀筋。
終に向かおうと、踏み込んだ斬り上げがギルガメッシュを宙へ。
一拍置いた時雨。
掲げた天叢雲剣は昂ぶる蒼い波動を帯び。吹っ飛んだ暴君を両断。刃から神をも滅ぼさんとする力を解放し、その全てを喰らった。
納刀。
「天(てん)紅(べに)・蒼(あお)。ごめんなさい、凛陽の楽しみを奪っちゃった。なにか埋め合わせをした方がいいかしら」
悪戯気に呟く時雨。
「ッハッハ」
見下す笑い声と一緒に、正面からマグナムの銃口。光を纏った六発の銃弾が時雨に襲いかかる。
咄嗟にかわし、六発一中で肺に穴があいた。戦いで負った初めての激痛に困惑していると、追撃が迫ってくるので、堪えて居合抜き。なんとか受け太刀をした。
「残心を忘れていたわ」
余裕の口ぶりだが、肺はまだ再生しきっていない。体も黒衣も再生させたギルガメッシュの力に時雨が押されてしまう。
「テメェは妄想の中じゃ、俺を何度もブッ殺しただろうよ。所詮、机上の空論。生まれ立てのヒヨッコだ」
時雨は強引な剣圧をいなして体勢を崩す。だが、読まれていた。崩した瞬間ギルガメッシュが剣を消し、踏み込みながら得物を持っていなかった手でスピアを放ってくる。
「この俺が、
避けようとして、脇腹に穂先が刺さった時雨。自身の肉を引き裂くよりも、早く柄を捻じ込まれて串刺しに。スピアから目を眩ます程の真っ白い力が噴き出し、赤い呪文が浮かび上がると、粉々に砕け散って傷口から体内へと侵入。
本能的に時雨の体が反応。内側から蒼い力が溢れ出し、発動した魔法ごと破片を祓い、消し去った。おかげで、よけいな苦痛に苛まれずにすんだ。
「メンドクセェ体質だな。ダニか、テメェ」
「呪詛返しに褒められるなんて、恐悦至極の至り」
大仰な皮肉にギルガメッシュが飛び出す。圧倒する速さの腕の振り、現れる剣が首筋を斬る寸前まで引き付け消える時雨。
「バカが」
相手の側面に回り込んで斜めに斬り上げようとした。そこに、反撃のバスターソードが迫ってくる。稲妻の形状をした鍔の特徴通り、猛然とした電撃を周囲にまき散らしていく。
重々しい衝撃を受け止め、雷神の再来を思わす力を時雨は自身の高めた力で鎮める。バスターソードは消え、肝心のギルガメッシュを見失ってしまう。
不快で威圧的な殺気が見下ろしてくる。時雨が見上げると案の条だった。
厳めしく銃と呼ぶには大きすぎる塊、無数の射出口を備えた発射装置が二機。時雨に狙いを定めている。跳んでいるギルガメッシュが引き金を引くと、一気に禍々しい力に包まれ、射出口から凶星とも呼べるエネルギー弾が雨あられとなって降り注ぐ。
防御も回避も必要無い。時雨は瞬く間の集中から天叢雲剣を一振り。再び、神をも喰らわんとする蒼い波動を放ち、不快なもの全てを消す。
青々とした閃光に包まれる中、時雨の腹部と顔面がほぼ同時に潰れた。着地したギルガメッシュが、自身のサイズに合わせた、エンキドゥの履いていたブーツ型の鎧で一足飛び。衝撃を叩き込む魔法を込められたメリケンサックで殴ったのだ。
吹っ飛んでしまう時雨。背後から追撃を狙うギルガメッシュに反応して、剣を振るおうとした。
訂正、今度は正面に殺気。時雨は姿を確認はできた。肉を斬り裂いてくる刀身は冷たく、白銀に輝き美しすぎる。見覚えがある凛陽を凍らせた剣だ。
辺り一面が凍結した。氷の花となって動く事のできない時雨。眺めるギルガメッシュは笑みを浮かべようとしない。むしろ完璧な作品ができず、少し不満そうだ。
「顔面が再生してやがる、すましてんじゃねぇよ、クソが」
「お生憎様」
凍り付かなかった口許が嫌味を口にすると、氷がひび割れ蒼い力が湧き上がる。一気に溶かした時雨は全身に水を滴らせて艶を増す。
呆れるような嘆息。
「ありとあらゆる力の弱体化ってところか。テメェにはもったいねぇ代物だな」
「この子はお断りみたい」
天叢雲剣その刀身を撫でて、ひけらかしてみせる。
鼻で笑い。シンプルにデザインされたハンドアックスを時雨に叩き込む。
激しい衝撃と一緒に斧頭が砕ける。受け太刀した時雨、平静を装っているが、あまりの重みに体が思うように動かない。弱り目に、ギルガメッシュが容赦無く二本の斧を叩き込んでくる。
時雨がまた受け止めた。だが、神さえも打ち滅ぼさんとする力を以ってしても尋常ならざる過重を減らし切れず、片膝を突くのもやっと。
「ハハ、悪くない。だが」
二本の斧を消した直後、ギルガメッシュが華麗に身を翻しながら洒落た装飾の大鎌を振り上げ、跪いた時雨の腹部を貫く。刃から強烈な竜巻を起こし、遥か高くにある天井へと叩きつけた。
追い撃ちにマグナム拳銃を出し次々発砲。
「チッ、手応え、なし、か………………?」
水浸しの床に拳銃が落ちた。ギルガメッシュの体から途端に力が抜け、痺れたように動けない。
冷たく撫でる声。
「見下してばっかりなんだから、足下を見たら」
ギルガメッシュの足下、青々と光っている水たまり。離れた所から天叢雲剣を突き立てる時雨。刃から溢れ出す鎮める清浄の力を、水へと変えて床に流し込んだ。
背後から時雨が一閃。鮮烈な蒼が暴君を飲み込んだ。
「流石ね」
自己(ナルシ)陶酔(ズム)ではない相手への賞賛。本来なら一気呵成の攻撃を浴びせるつもりが、ギルガメッシュの体を螺旋状に包む刃。それによって、さっきの攻撃は防がれていた。
「カラド……ボルグ…………」
時雨が口惜しそうに言った。
蛇の様にしなっていた刀身。切っ先が元に戻ろうと巻き戻る様に縮んでいき、真っ直ぐな剣になる。
ぶ厚く長い刀身は力に満ち溢れ、装飾は皇威を誇示する黒衣に合わせたのか退廃的な優美さを誇っている。
天叢雲剣が言った。姿は多少変われど、この剣が極大射程と神に致命傷を与えられる程の絶大な破壊力を持つ。神器カラドボルグだと。
「ッハッハッハッハッハッ。その通りだ。メモした甲斐があったじゃねぇか。刀身を自在に変えられるんだ、防御にだって使える。この俺が持つ最高の神器。そこに、テメェの天叢雲剣が加わる。ッハッハッハッハッハッッハッハッハッハッハッッハッハッハッ、最高じゃねぇか」
不快な笑いに堪えながら構え直す時雨。
「もう勝った気でいるなんて、管理職にありがちな見積もりの甘さね」
笑うのをやめた。
「そうでもねぇさ」
ギルガメッシュがカラドボルグを消した。その隙を突く時雨。電光石火の速さで反撃を許さぬ技量の斬撃を繰り出す。
「テメェの力は見切っている。ヤキトリよりは強い。だがな、所詮その程度だ。女王にでもなったつもりだろうが、テメェ自身分かっているんだろ?」
時雨の背後から全身を握り潰してくる怖気が。
「半分が最大だって事をよぉ」
不快で陰湿に富んだ囁きに、時雨の動きが鈍った。正面から凄まじい灼熱と破壊力が襲ってくる。
吹っ飛び、無様に床へと叩きつけられた時雨。胸部、胴体が裂けて、血塗れになった。攻撃に回していた力を咄嗟に防御に回したおかげで、この程度の被害で済んだ。
殺気がのしかかってくるのを察知、でも遅い。圧倒的な速さで迫ったギルガメッシュが二刀一対の剣を振り下ろそうとしている。
無骨で逞しい黄金の剣に、暴君の趣向とも言える漆黒の装飾。あり余る程の絶大な力、密度濃く集約した炎は、さっき受け止めた二本の斧を軽く凌駕している。ギルガメッシュが持つ神器の一つコラーダとティソーンだ。
コラーダは一振りで起こす破壊力。ティソーンは一振りで炎を巻き起こす。そして、両方同時に振るえば、一本の剣に炎と力の特性が付与され、四倍以上の破壊力を発揮する。
直撃を免れることはできない。取り乱す事は無かったが回避も防御もせず、神器の分析をしている時雨。
不快な死に引き裂かれる。
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