修羅場を経験するには早すぎる



「お戯れにしては度が過ぎているのではないでしょうか。アルブレヒト王太子殿下」



 一週間前に会ったきりで、ずっと、また会いたいと願っていた声。



「セシル・フント侯爵子息……だよね?」



 側にあった王太子殿下の気配が離れ、緊張感で張っていた体から力が抜ける。

 でもその後すぐに聞こえた、想像だにしなかった殿下の冷たい声にまた体が固まった。


 見えずともわかる、部屋のピリリとひりつくような緊張感。



「王太子殿下に名前を覚えていただけているとは、恐悦至極に存じます」



 微塵も思っていなそうな、聞いたこともない鋭いナイフのようなセシルの声。

 王太子殿下にそんな殺気で固めましたみたいな声向けていいの……?



「婚約者が親しくしている人くらい、知ってるよ。ローナの"友達"のセシルくん」

「…………」



 今なんか「友達」の部分やけに強くなかった?



「如何にも私はローナの友人ですが……しかしそれは、今は貴方も同じでは?」

「…………」



 いつになく強い口調でセシルも言い返す。



 二人はそれから口を閉し、一触即発の雰囲気で沈黙が続く。


 そもそも何で急にセシルがここに現れたのかも気になるけどーーどうしてこんなに険悪な雰囲気になったのかが今はもっと気になるし、重要だ。



 ゲームにおける二人の関係は当然悪いはずがなかった。



 なんせアルブレヒト王太子殿下は何事もなければ国を治める王となり、セシルは順当に行けば、ゆくゆくは父の後を継いで王室師団団長である。


 貴族は一様に王家の家臣であるが、王家の直接の盾となるフント侯爵家はその中で最も忠臣でなければならないのだから。



 それなのに、この状況。

 ……かなりヤバいのでは?



 何か言わなければ。とりあえず何か言って、この象よりも重い空気をどうにかしなければ。


 そう思って私は口を開こうとしたのだけれどーーそれよりも先に、いつの間にかまたすぐ横についた王太子殿下が私の体を引き寄せた。


 驚きで私が硬直したのをいいことに、王太子殿下は腰に手を回してさらに近づかせる。



「あ、あの、王太子殿下……」

「ところで君は、いつまでここにいるつもりかな。僕たちは大切な話をしている最中だったのだけれど。それにここはローナ・リーヴェという淑女の部屋だ、淑女の部屋に無断で入るのは"礼儀知らず"というものでは?」



 まるでセシルに私たちの仲を見せつけるかのようにーー仲も何も契約以外のものは無いのだけれどーー王太子殿下は私の頭に頬ずりして小さく笑った。


 いや、やめて?セシルに勘違いされたらどうするの?と言いたいところだけど、まだ婚約は破棄されていないので拒否することはできない。

 むしろ、なぜ受け入れないのだと責められるだろう。



 というか、やっぱりアルブレヒト・メクレンブルガーのキャラクターとはかけ離れた言動のように思える。

 ゲーム通りの誠実、清廉、正統派王子様ならばこんな事はしないだろう。


 そりゃあ、一国の王子様が清廉潔白というだけでは国は成り立たないだろうけど。

 だとすると、この王太子殿下はゲームのシナリオ中、主人公もといプレイヤーを永遠に騙し続けられる特大の猫を身の内に飼っていたということだ。



 ……一気に王太子殿下が恐ろしく見えてきた。

 ゲームの通りにしていれば、婚約破棄イベントは簡単だと侮っていた私は馬鹿だったのかもしれない。



 パニックになって心の中で冷や汗を流しながらも表向きは平然としていた私は、セシルが私たちの目の前まで近づいていた事に気がつかなかった。



「ですからそれは貴方も同じだと言った筈でしょう。それに私は、リーヴェ侯爵から許可を得てここにいる。もうローナの婚約者ではない貴方こそ、淑女の部屋に入り浸り、あまつさえその淑女に不貞を働こうとしている"礼儀知らず"で御座いましょう」

「……なに?」



 ふわっと羽毛布団を持ち上げるような簡単な動作で、私はセシルに軽々と抱き上げられた。

 いわゆるお姫様抱っこで突然持ち上げられた私は驚きで声にならない悲鳴を上げたが、拒否するどころか喜んでこの身をセシルに委ねる。


 なんで持ち上げられたかはわからないけど、とりあえず何か恐ろしい王太子殿下から離れられたのでありがとう!と言うかわりに、そっとセシルの肩に腕を回す。



 ……いや待て。今セシル、「リーヴェ侯爵」とか言わなかった?



 リーヴェ侯爵とは言わずもがな、私の父にあたる人。

 その人がなぜ、王太子殿下が訪れているとわかっている部屋に乱入することを許したのだろうか。



 しかも今サラッと、"もう私の婚約者じゃない"とも言わなかった?



 騒動の中心どころか当事者の自覚は有るのに、騒動があらぬ方向に行きすぎて何が何やら理解できない。



「セシル……」



 縋り付く先は何やら色々な情報を把握している、私を抱えるこの人くらいしかいない。


 だがセシルは何を思ったのか、砂糖菓子に蜂蜜を垂らしてしまったかのように甘い声で「大丈夫だよ」と言うだけで、何も教えてはくれなかった。



「言いたいことはたくさんあるけれど……まずはローナから離れてもらおうかな。不愉快で堪らない」

「殿下とはその一点では気が合いそうです。ですのでーー絶対に離しません。

「…………」

「…………」



 また部屋に強い静電気が走ったかのような重々しい緊張感が訪れる。


 いい加減勘弁してくれーー私の内なる願いを聞き届けたというわけではないだろうが、しかし救世主たりえる人物がついに部屋に現れた。




「セシルくん。いくら君に理があるとはいえ、王太子殿下をあまり煽らないように。アルブレヒト王太子殿下、ご挨拶が遅れましたこと、お詫び申し上げる。ここから先のことはーーこの私、ギュンター・リーヴェが請け負いましょうぞ」



 私の父、リーヴェ侯爵のご登場である。


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