不安定

 誰かと話したくて、でも、話し相手がいなくて。空腹感は、むしろ他者との触れあいへの渇望からやってくるのだと知る。何を食べたいわけじゃない、ただ、食べるという時間を、ひとと過ごしたいのだ。そんな思いでいて、でも、声を掛けられるひとなんか限られていて、だからわたしは、こうして、喫茶店で、ひとりで、食事をしている。周囲にひとの声がふわりと膨らんで、漂っている。耳に届く言葉の数々が、形を成さないのは、わたしに向けられたものではないからだ。でも、楽しげに、穏やかに、語る彼女らの声は、わたしにも心地よい。

 窓の外に見ゆる景色もまた、わたしにとっての意味を成してはいない。ただそこで、街路樹が揺れ、植え込みが揺れ、人々は過ぎゆき、車も、集合住宅も、賑々しく光を夜へと投げかけている。光は、わたしにも向いていたけれど、わたしへ向けられたものではなく、夜を押し返そうと、力んでいるのだ。ガラス一枚を隔てて、わたしにはただ、それらが、旧いフィルム映画を見るように、匂いも音もなく、流れていく。

 そういったものたちを見ながら、眠たい目を、懸命に宙で泳がせて、珈琲の匂いに思索を緩ませて、言葉を探している。わたしの言葉を探している。

 言葉を話すのは好き。こうして文章を連ねていることに、ある種の快感を覚えている。けれどもわたしは、同時に、言葉でわたしを表すのがとても苦手。わたしの中から言葉を取り出すのが苦手。わたしの中には何もないのだろうかと、そんなことを思う。でも、きっとそんなことはなくて、形にならないままぐるぐると、もやもやと、胸につかえて、ただ不快感として押し出されてくるのだ。何をやっていてもそう。楽器をやっているときにも、わたしの中にあるのは、楽譜通りに演奏しようということだけで、べつに何かの主張をしたいわけじゃなかった。でも、すてきな演奏には憧れがある。伝えたい、という感情は、それ以上の色彩を得ることなく、不分明のまま、周囲から与えられた形に固められて、わたしのうちから吐き出されていく。結局は、わたしを表すことはできないのだった。誰にもわたしの形は伝わらないのだった。

 珈琲を舌の上で転がす。重たいけれど爽やかな、色濃い苦み。隣に誰かがいたならばと夢想する。ひとと言葉を交わしているうちには、わたしはわたしの形を得たような心持になる。けれどひとたびひとりになれば、夜空に溶け出してしまうような不安が、足許で、或いは背中のすぐ後ろで、ひたひたと揺れていることに気づかされる。他者との交流は、相手の望む受け答えをしていれば、双方に不満なく進行する。けれどもそこには、能動的な意思はなくて、低きに就く水に掉さすように、ほとんど自動的な即興の演劇に過ぎない。キャラクターを得られるのは心地よい。けれどそれは、やはりわたしではなかった。

 わたしの在処はどこなのだろう。どうして、それを、誰かに伝わる形で表せないのだろう。ずっとすれ違いが続いている。ずっと空振りが続いている。でも、明確な形を成したとき、同時に、今いるわたしは粉々に砕けて、いなくなってしまうような直感がある。形のないわたしが、どうして粉々になろうというのか、それはわたし自身にもわからない。でも、形を成すことで、壊れてしまう、そんな不安も、ずっとあるのだ。不分明で、誰にも理解されないのならば、理解されないことを諦められる。けれども明確な自分がそこに生まれたとき、結局、誰の目にも映らないのではないかと、そんな気がするのだ。

 不安で、不安定で、たまらない。たまらない。

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わたしのわたし 茶々瀬 橙 @Toh_Sasase

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