第842話 柊木空真

「詐欺なんだから、笑い事じゃないんだぞ」

「分かってますけど、あんまりだから」

 アリサがやっと笑いを止めた。

「そんな詐欺師の講演会なんかに、行く人が多いというのが不思議だ」

 アリサが俺の顔を見た。

「講演会を見に行くの?」


 俺は警察に任せる事にしたのだが、その詐欺師には興味があった。

「行ってみようかな。どんな事を話すのか興味がある」

「行く時には、東郷平八郎のマスクを着けて行った方が良さそう」

「どうしてだ?」


「だって、その人は終末論を話すんでしょ。そんなところに日本のA級冒険者が行ったら、話題になると思う」


 そう言われて納得した。俺が邪神が復活して終末戦争が起きると考えている、と思われるのも困る。事実なのだが、それを知った人々が不安になり社会が混乱するかもしれない。東郷平八郎のマスクは、マジックポーチⅧに入っているので使う事にした。


 それからアリサと一緒に町を散策して買い物などを楽しんでから、アリサと別行動になった。アリサは大学時代の友人たちと食事をするという。


 俺は講演会まで喫茶店で時間を潰そうと思い良さそうな喫茶店を探した。講演会が開かれる宮竹ビルの近くに美味いコーヒーを淹れる店があるのを思い出し、その店に向かう。


 その店は大通りの反対側にあるので、近くの歩道橋の階段を上がる。反対側の階段を半分ほど下りた時に小学二年生くらいの子供と擦れ違った。俺が階段の下まで来た時、上で悲鳴のような声が聞こえた。パッと振り向くと先ほど擦れ違った子供と、俺の後ろから来た男がぶつかり子供が階段から転げ落ちそうな体勢になっている。


 俺は『アキレウスの指輪』に魔力を流し込み素早さを強化すると同時に階段を駆け上がった。子供が頭を下にしてゆっくりと落ちようとしている。頭が階段に打ち付けられる寸前に、子供を掬い上げるように抱きかかえた。


 指輪に流し込む魔力を止めると、遅くなっていた時間が元に戻った。腕の中の子供が泣きそうな顔になっている。


「痛いところはないか?」

 できるだけ優しい声で尋ねた。その声で子供は安心したようだ。

「大丈夫、痛いところはないよ」

「そうか、良かった」

 子供を立たせると、子供は俺に礼を言って去っていった。子供とぶつかった男はどうしたのだと思い探したが、そいつは居なくなっていた。


「クズだな」

 俺は吐き捨てるように言うと、目当ての喫茶店に向かう。その店で時間を潰してから講演会の会場へ向かった。途中、トイレに入って東郷平八郎のマスクを着けてから講演会の会場に入って周囲を見回す。意外なほど人が集まっていた。


 席に座って柊木空真が登場するのを待っていると、壇上に三十歳ほどの男が現れて話し始めた。見覚えのある男だと気付いた。先ほど子供とぶつかり逃げた男だ。


「あのクズ男が、柊木空真だったのか?」

 碌な人物ではないと思っていたが、予想していたより数倍も酷い男だったようだ。


 その男の話が始まっていた。

「皆さん、日本でただ一人の賢者である柊木玄真の息子空真です」

 それを聞いて腹が立った。そのクズ男があまりにも堂々としていたからだ。壇上では邪神の復活が近いと言い、空真は最後の戦いで人類が生き残る方法を研究していると言う。


 その研究を進めるために寄付が必要だと遠回しに言っているのだが、嫌になるほど巧みな弁舌だった。だが、その中の一言が俺を怒らせた。


「邪神の復活を防げないのは、冒険者たちに問題があるのです。彼らは自分たちの利益だけに目を向け、人類の脅威となる邪神に無関心だった。彼らに死んでも邪神の復活を阻止するのだという決意があれば、邪神が復活寸前という事態にはならなかったでしょう」


 勝手な事を言っている。励起魔力発電システムが開発された現在でも、電力供給の主力はまだ魔石発電炉であり、その燃料は冒険者がダンジョンから持ち帰る魔石なのだ。


 この社会の基盤の一つである電力供給は、冒険者たちの働きにより成り立っている。それを忘れて『冒険者が死んでも』などという言葉が出てくるのは、冒険者の命を軽く考えている証拠である。


 俺は怒りを覚えたが、それは俺だけではなかったようだ。この会場には他に冒険者も来ていて、その冒険者が立ち上がった。


「ちょっと待ってくれ。その言い方だと、冒険者は命を捨てて戦えと言っているように聞こえる。そんな偉そうな事を言うのなら、あんたも一緒に戦うんだろうな?」


 空真が薄ら笑いを浮かべる。

「残念ながら、私は冒険者ではありません。戦いに加わっても足手纏になるだけでしょう」

「なんだ、口だけの先生だったのか。失望したよ」


 その言葉が周囲に広まると、会場がシーンと静かになった。空真の顔が強張ったように見える。その空真が誰かに合図した。すると、会場の隅に立っていた男が、その冒険者に近付いた。冒険者を会場の外へ連れ出そうとするが、冒険者が抵抗したので喧嘩になってしまう。


 しかし、この対応は最悪だった。魔物と戦う専門家である冒険者が、用心棒のような男を気絶させて空真を睨んだ。そして、冒険者が空真に詰め寄る。


「近寄るな。警察に通報するぞ」

 そう言われた冒険者がためらった隙に、空真は壇上から飛び下りると客席に逃げてきた。俺の横を通り過ぎようとしたので、足を引っ掛ける。


「あっ」

 空真は派手に転んだ。顔から床にダイブしたので、鼻血を噴き出している。会場は大騒ぎとなり、誰かが通報したのか警官が現れた。


「何があったんですか?」

 警官は周囲の人々に説明を求めた。その人々の中には俺も含まれている。

「詐欺師の柊木空真という男と、冒険者が揉め始めて騒ぎになり、空真が逃げようとして転んだんです。自業自得という奴ですよ」


 俺が警官に説明する。

「なぜ空真が詐欺師だと分かるのです?」

「魔法庁に知り合いが居るんですが、賢者の柊木は四捨五入すれば三十歳くらいだったはずです」

 空真が『えっ!』と驚いていた。


「なるほど、こんな大きな子供が居るはずがないのですね」

 警察署に連れて行かれた空真は、厳しい取り調べで詐欺師だというのがバレた。そして、余罪を追及される事になる。騒ぎを起こした冒険者は叱られただけで不起訴となった。


 今回の事件はちょっとした騒ぎで終わったが、世界的に邪神を不安に思う人々は増えているらしい。


 その不安となる邪卒が、イギリスに現れたという情報が魔法庁から届いた。俺に協力要請はないが、待機していてくれとお願いされた。


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