第276話 ディアスポラの襲撃

 為五郎をエミリアンに貸した俺は、ワイズマン憲章をもらって自分の部屋に戻った。ベッドに寝転がった俺は、ワイズマン憲章を読み始める。


 ほとんどはどうでも良い条文だったが、三つの条文が重要だと気付いた。一つはワイズマンに仲間入りをする時に、実名を公表しなくても良いという条文である。


 但し、実名は所属する国家の首脳と魔法庁のトップに知らせる事になるという。賢者の存在は、それほど重要な事なのだ。


「通称名を賢者としての正式な名前とする場合、賢者の承認を受ける時に届け出ないといけないのか。これを知らなかったら、実名で登録するところだった」


『わざと知らせないようにしているのではないですか?』

「そんな感じがするな」

『もう一つ重要だというのは、何ですか?』


「賢者が申請すれば、『審査免除証』というものを発行してもらえるらしい」

 この審査免除証というのは、A級冒険者の中で十分な実績を上げた者や分析魔法の権威に発行されるもので、魔法庁に魔法を登録する時に審査を免除して迅速に魔法の登録ができるものらしい。


『なるほど、審査免除証は欲しいですね。それで最後は何でしょう?』

「税金の控除だ。賢者は五億円くらいが控除になるらしい」


 この控除はA級冒険者になった者にも存在するのだが、控除額は一億円だったはずだ。それにプラス五億円が控除になるという事は六億円までの利益なら、税金を払わなくて良いという事だ。


 これらの事を知らなかったら、俺は賢者になる事をためらっただろう。実際にバレるまで自分から動こうとは思っていなかった。だが、このワイズマン憲章で気が変わった。このワイズマン憲章の情報は数億円の価値があった事になる。


 翌日、俺はホテルの部屋で秘蹟文字で書かれた『干渉力鍛練法』の本を翻訳していた。翻訳という作業が好きではない俺が後回しにしていた作業である。


 翻訳が終わった頃には、夕方になっていた。

「はあっ、一日が潰れてしまった」

『その干渉力鍛練法で鍛えると、どうなるのですか?』


 俺は首を傾げた。どうなるかまでは本に書かれていなかったからだ。この本にはひたすら鍛練する方法が詳細に書かれていただけだった。


『明日は大丈夫でしょうか?』

「エミリアンなら、ワイズマンなんだから大丈夫だろ。為五郎も居るし、エルモアもミシェルの影の中に居る」


 ホテルのある場所からエミリアンが借りた別荘までは、直線距離で五十キロほどである。その距離でメティスがエルモアを制御できるか確かめないといけない。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 エミリアンに変装した高瀬とクラリスが、ミシェルと子守役の女性メレーヌを別荘に連れて行き、龍神ダンジョンへ向かった。


 メレーヌとミシェルだけになり、二階建ての木造である別荘のテラスでジュースとサンドイッチで食事を済ませる。

「叔父様、為五郎を出して」

「ミシェル、この格好の時は、メレーヌさんよ。それに為五郎は出せないの」


 エミリアンが変装しているメレーヌは、四十歳前後の気品のある女性という感じである。これは魔装魔法を使って顔の形を変え、女性に変装しているのだ。


「つまんない」

「それじゃあ、釣りでもしましょうか?」

 ミシェルは嬉しそうに頷いた。別荘の近くには小さな川があり、川辺に二人は向かう。メレーヌの手には釣り道具があり、川に到着した二人は優雅に釣りを楽しみ始めた。


 二時間ほど釣りをしてから川遊びを楽しんだ二人は、別荘に戻った。そして、食事の用意を始める。ミシェルも手伝いカニとエビ、それに野菜を使ったクリームスープを作る。他はサラダ、パンという簡単なものだったが、ミシェルは美味しそうに食べる。


 食事が終わり、ミシェルが眠そうに目を擦り始めた頃、メレーヌは気配を感じて魔装魔法を発動する。その瞬間、リビングの窓を破壊して二人の男が別荘内に入ってきた。


 メレーヌは片手で椅子を持ち侵入者に叩き付ける。侵入者は椅子の一撃で弾き飛ばされた。もう一人の侵入者がメレーヌに銃を向けた。


 メレーヌは椅子をそいつに投げつけ跳躍する。侵入者は慌てて横に跳び、椅子を避けてからもう一度銃をメレーヌに向けようとした。


 だが、メレーヌは手が届く位置にまで接近していた。銃を持つ手に右手を絡めて銃の向きを逸らし、手首を握って潰す。握力だけで行った事だ。


 痛みで悲鳴を上げる侵入者に膝蹴りを入れて気絶させた。

「為五郎、ミシェルを守れ」

 影から為五郎が出て来て、ミシェルを庇うように立つ。


 侵入者は二人だけでなく、追加で八人が現れた。男たちは為五郎を見て、どこから現れたんだと驚いたような声を上げる。その声を聞きながら、メレーヌは収納魔道具の指輪から剣を出した。この剣は蒼銀製の剣で魔導装備ではない。


 エミリアンの愛剣は魔導武器であるフラガラッハである。神によって作られた風を支配する剣と言われている。ただフラガラッハは威力が有りすぎて屋内では使えなかった。


「貴様、テオドール・エミリアンだな」

 侵入者のリーダーらしい頬に傷のある男がメレーヌの正体を見破って声を上げた。メレーヌが変装の魔装魔法を解除すると、メレーヌの顔が歪み、その下からエミリアンの顔が現れる。


「お前たちは罠に掛かったのだ。おとなしく捕縛されるなら、命だけは助けてやる」

「ふん、A級冒険者だと言っても、これだけの人数を相手に、あの子を守れるかな」


 そう言い終わった瞬間、頬傷男が手に持っている剣を握り締めてエミリアンに襲い掛かった。それは人間の動きを超えるもので、この男も魔装魔法使いだったのだ。


 その斬撃をエミリアンは剣で受け流して一歩踏み込んだ。前蹴りで男の腹を蹴り上げる。十分な手応えがあったが、男は腹筋で受け止めて反撃する。


 エミリアンが頬傷男と戦っている間に、他の侵入者が為五郎に殺到した。為五郎は強力な前足と体当たりで瞬く間に二人の侵入者を撃退する。残りは五人となった。


 一人の男が機関銃らしいものを構えて為五郎に向けて引き金を引く。けたたましい音が響き渡りミシェルを庇った為五郎の身体に穴が開いた。それを見越して、男は機関銃を使ったのだ。


 シャドウパペットは基本的に痛みは感じないが、シャドウクレイが変化した筋肉が傷つくと動作に影響する。為五郎は片方の後ろ足を引きずるように突進して機関銃を持つ男を爪で引き裂き、機関銃を咥えた。その顎の力で鋼鉄製の銃を破壊する。


 為五郎はミシェルのところへ戻ろうとした。だが、残った四人の中の一人が、為五郎の背中に短槍を突き立てた。残りの三人はミシェルを捕縛しようと近付く。


 その時、ミシェルの影からエルモアの頭だけが現れる。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る