第十五話『天使と恨み―1』

 壁をぶち破った天使は胸を張って仁王立ちし、乳房の大きさが強調されている。

 まるで格の違いを見せつけられたようでロトは人知れず拳を作り、静かな怒りを抱いた。


「あはは! やっぱり居留守だったわね! ロト!」


 してやったりと言った風に高笑いをして、金色の髪を片手で梳いた。天使の正体はアリアであり、その背後には申し訳なさそうにしている知恵が顔を覗かせている。


「アリアね……こうして顔を合わせるのは久しぶりな気がするわ。最後に会ったのは三ヶ月前かしら?」


「な、違うわよ! 忘れもしない一か月前の天使集会の日! あの時、アンタが侮辱してきたことを忘れてないんだからね!」


 ビシッとロトを指しては、恨めしそうに睨みつけるアリア。

 しかし、記憶にないロトは首を傾げて、頭にクエスチョンマークを浮かべている。嫌な記憶というのは被害者しか覚えていないのが殆どだ。


「なら聴かせてあげるよ! ロトナンバー百五! あれは一か月前の天使集会の日! ロトは私の恋路を邪魔したの!」


 アリアは肩身離さず持ち歩いている真っ黒な手帳を取り出した。

 表紙には血で殴り書いたような文字で『ロトナンバー』と宝くじのようなタイトル。見ただけで呪われそうで、少し読めば死んでしまう。そういう先入観を抱いてしまうほどに禍々しいオーラを放つ手帳を読み始めた。





 天使集会とは月に一回はある会議の事で、地域の天使たちが集まっては情報を交換して、親睦を深める。いわば連携を強化し、効率良く悪の欠片を除去するのが目的だった。

 と、いってもその文化は時代と共に廃れつつあり、今ではすっかり形骸化しているのが現状である。

 広野市担当の三天使も会議という形だけを取り、駅前のファストフード店で学生のように駄弁っていた。


「それで貴方たちはノルマを達成したのでしょうね?」


 先ず、話を切り出したのはロトだ。スマホに表示された自分の業績を見せ、それはノルマの二倍を達成している。仄音に会う前の彼女は仕事熱心であり、ブラック企業に勤めているかのような働きぶりを見せていた。


「んな!? 私より多いじゃん! くっそー……自信あったのに……」


 一番に反応を示したアリアは悔しそうに肩を落とす。女子高生のような制服のうえ金髪であり、雰囲気的にはギャルだろう。この店に、いや人間社会にしっかり溶け込んでいる。


「そう……残念ね。アリアが私を超えることはあり得ないでしょうね」


 対して、ロトは余裕そうにポテトを一本一本抓んでは口に運んでいるが、魔法少女を彷彿とさせるドレスであり、物凄く目立っていた。

 周りに一般人はそんな天使たちを見てはヒソヒソと私語を話している。


「な!? 私に喧嘩売っているの!?」


「ま、まあまあ落ち着いて……確かにロトさんの方が多いけど、アリアさんも平均よりも多いよ」


「くっ……此処が店の中じゃなかったら水魔法を放つのに……!」


「あはは……」


 アリアを宥める三人目の天使は朗らかな微笑みを見せる。

 サラリーマンのようなスーツを着ている彼の名前はサトウ。漢字で書けば佐藤であり、ロトとアリアと違って人間社会の歯車として働いている、一番の常識天使だ。


「で、サトウはどうなの?」


「いつも通り、ギリギリノルマを達成したよ」


「またなの? 貴方、それでも天使の誇りを持っているのかしら?」


「ご、ごめん……言い訳のつもりじゃないけど人間社会ってたいへんなんだ。仕事は難しいし、飲み会に付き合わされるし……」


「ブラック企業に勤めているからじゃないの? 天使の仕事に集中したら?」


「……二十四時間働いているロトさんに言われたくないなぁ」


 サトウは天使の仕事の他に、普通のサラリーマンとしても働いている。そこらの天使よりは毎日が忙しく、いつもギリギリな生活を送っていた。

 しかし、それは成績が伸びない理由にならない。サトウが人間社会で働くのは趣味であり、天使の使命ではないのだ。


「いや、サトウ君は凄いよ! 私たちと違って人間社会で働いて、天使の仕事をこなしているんだから! 元気だしなよ!」


 立つ瀬がないと落ち込んでいたサトウを、アリアは頬を赤らめながら一生懸命に励ました。


「あはは……ありがとう。そう言ってくれると気が軽くなるよ」


「はぅ……」


 サトウの笑みを不意打ちされたアリアは茹った風にもじもじと手を弄り始める。

 明らかに恋する乙女(三十路)であり、青春のワンシーンのようなやり取りを食事中に見せつけられたロトは段々と苛立ってきた。


「あ、そうだ。サトウ君もポテトを食べる?」


「え? ぼ、僕は別に……」


「いいからいいから、ほらあーん……」


 アリアはソースを軽く付けたポテトをサトウの口元に運ぶ。

 最初は恥ずかしがっていたサトウだが観念して口を開いてポテトを受け入れた。


「ん? ――か、辛らああああああい!」


「ひぇっ! さ、サトウ君!?」


 柄にもなく叫びながら水を飲み干すサトウ。本当に辛く、まるでハバネロを舌全体に塗ったように痛い。その証拠に舌が赤く腫れ、あまりの痛さぁら大事にとっておいた白い粉を舌に塗った。

 するとみるみるうちに赤みは引いていき、舌は本来の姿に戻った。


「ひ、酷いよアリアさん……エンジェルパウダーを使っちゃったよ。これ、結構高いのに……」


「え? わ、私じゃ――はっ!」


 アリアは悪魔のような微笑を浮かべているロトに気がついた。手元にはご丁寧にドクロマークが描かれた黒い小瓶を転がしている。

 そう、これは冤罪だ。アリアはロトに罪を被せられたのだ。


「わ、私じゃないよ! 犯人はロトに決まってるよ!」


「何を言っているの? こういう悪戯は貴方の専門でしょ? いつも私にしているじゃない」


「くっ……」


 確かにアリアはよくロトに悪戯を仕掛けていた。その殆どはロトに効果がなかったが、それでもこのグループでは悪戯=アリアという図式が成り立っていたのだ。

 どう弁解しようが無駄だと思ったアリアは悔しそうに歯ぎしりをし、恨んでやるとばかりにロトを見つめることしかできなかった。

 このピリピリとして緊迫に満ちた空気が店内に漂い、客は悪寒を感じて静まり返っていたが、鈍感であるサトウは気にせずにハンバーガーを頬張っていた。





 読み上げ終えたアリアは怒りのあまりロトナンバーを地面に叩きつけた。


「そう! アンタの所為よ! アンタの所為でサトウ君に嫌われたじゃない! きっと悪戯好きなババアって思われたわ!」


「……知恵だったわね。何をしに来たの?」


「無視するな!」


 腫れ物には触れないと決めたロトは後ろの方で隠れている知恵に尋ねた。


「えっと、あんたがロトね。私は相生知恵。此処に来たのは仄音さんと色々と話をしたかったからで、アリアに案内してもらったんだけど……見た感じ居ないっぽい?」


 アリアの後ろから観念した様子で知恵は出てきた。平然としているように見えるが、少しだけ声が震え、海のように青い髪を弄っていることから緊張しているのが察せられた。


「そんなに緊張しなくても殺したりはしないわ。貴方の担当はアリアだもの」


「そ、そっか……なら安心かな」


 自分の心境を当てられた知恵はドキッとしたが、内容が好ましいものだったので胸を撫で下ろした。

「で、知恵の言う通り仄音はいないわ。さっきギターの弦を買いに出かけてね。それよりも誰が扉を直すの? 貴方のペットが責任を取るのかしら……」


「だ、誰がペットじゃ――うぐっ……」


 ペット扱いされたアリアは思わず声を荒げてロトに掴みかかろうとしたが、背後にいた知恵に羽交い絞めをされた。


「ん? アリアは私のペットだよね? 確かに扉を破壊したのは悪かったよ。ほら謝って」


「な!? ちが――はい、そうです。責任を取ります」


 脅されたアリアは屈した。現実を理解したのだ。此処は地獄だと……自分は今、悪魔二人に遊ばれていると。もう天使のプライドはズタズタだった。

 だけど清々しい。ここまで酷いと一周回って清々しかった。諦観と言われる域に陥ったアリアは自虐的な笑みを浮かべ、綺麗な土下座を披露する。ロトに弁償としてエンジェルパウダーを払った。


「まあ反省しているようね。こうして物を貰ったし、許してあげるわ」


 満足げにエンジェルパウダーを懐に仕舞い、ロトは修復魔法を唱えてドアを新品同様状態に戻す。

 下手な発言をしたらまた責められると、懸念したアリアは不貞腐れたように顔を背けていた。


「あ、あんたも天使なんか? いや、それよりもここに書かれていることは本当なん?」


 そんな哀愁漂うアリアに話しかけたのは胡桃だった。手にはロトナンバーというアリアの呪術書を持っている。

 閃光魔法を喰らって気絶していた胡桃は先ほどの扉を破壊した轟音で目が覚めて、偶然にもロトナンバーを拾って読んでしまったのだ。


「あ……もしかして貴方も?」


「ああ、そうや。あんたは天使らしいけど……随分とロトにやられたらしいな」


「そういう貴方も……」


 虚ろ気な目と目で通じ合った。お互いにどれだけロトに蔑まれたかを、二人は理解して手を取り合った。肩を組み合って泣き崩れ、互いに励まし合い、同情し合う。

 そんな二人の傷の舐め合いを目の当たりにした知恵は白い視線を向けつつ、ロトに尋ねた。


「えっと……彼女は?」


「ああ、隣に住むただの人間よ。私とは隣人だから仲良くしてやっている程度ね。取り敢えず、入ってちょうだい」


「あ、うん。お邪魔します」


 ロトの手招きに従って、知恵は部屋へと入った。


「ってなにさ! この大穴は! なにがあったの!?」


 二人を放置して知恵は家の中へ入り、トンネルを見て絶句した。まさか友達の家に人が通れるほどの大きな穴を開通しているとは誰も思わないだろう。


「ああ、これが気になるの? 後で直すから気にしないで」


「いや、気になるんだけど……仄音さんも苦労しているんだなぁ……」


「はい、どうぞ」


 炬燵へと座った知恵は目の前に置かれた林檎ジュースを見つめ、ふと仄音の顔を思い出す。


「お、林檎ジュースじゃん。そういや仄音さんは休み時間に林檎ジュースばかり飲んでたなぁ……」


「……貴方は仄音と友達なのよね? どうしてさん付けを?」


 純粋な疑問をぶつけられ、知恵は「あー……」と言いづらそうに表情を曇らせた。


「私は友達と思ってるけど、仄音さんがどうか分からないから……もっと仲良くなりたいんだけど……」


 ロトはこの前の仄音の言葉を思い出す。

 仄音は知恵と仲良くなりたいと願っていたので、知恵と仄音は両思いということになるだろう。互いに腹を割って話せば、すぐに仲良くなるはずだ。


「……そうなの。仄音は貴方のことが嫌いよ」


「えーほんとうかなぁ……」


 しかし、ロトは敢えてそのことを伝えず、息をするかのように嘘を吐いた。嫉妬の挙句の行為だ。仄音の気持ちを踏み躙る最低の行為でもあるだろう。

 幸いにも半信半疑な知恵は自分の髪を弄りながら聞き流した。基本的にポジティブなのが知恵の長所なのだ。


「それで、仄音さんはいつ帰ってくるの?」


「さあ? 夜には帰ってくると思うけど……聞いてみましょうか?」


「いや、そこまでしなくていいよ……今日は用事があるし、ちょっとだけ待とうかな」


 ロトが連絡を取れば仄音がいつ帰るのか判明したが、知恵はそれを拒否した。自分が訪れたからと言って、急かして帰ってきてもらうのは気が引けるのだ。

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