131、モモ、手に入れる~保護者様をびっくりさせるのは子供の特権だよね~中編

 扉で音が遮られてるはずなのに漏れてる。桃子の頭の中で、ボクシングのリングが登場した。赤と青のハーフパンツを穿いた二人は両手にグローブを嵌めており、ボカスカ殴り合っている。大変、止めないと!



「カイ、二人が喧嘩してるよ!」


「ちょっ、こらっ、モモ!」


「レリーナさん、ドアを開けて!」


「はいっ」


 桃子がお願いすると、レリーナさんはカイの前に立って、さっと扉を開けてくれる。緊急事態だと思った桃子はカイの腕から飛び降りて、開いた扉の先に突撃していく。


「二人とも喧嘩は止めようーっ!! ……あれ?」


 叫びながら決死の思いで突撃した桃子は、予想外の光景に目をパチクリさせることになった。殴り合いの喧嘩をしているとばかり思っていた二人は、それぞれの席に座っており、異変と言えば、バル様の執務机に両手をついている団員さんが一人いたことだけだ。しかも、この人は見たことある?


「……モモ? どうした。寂しくなって訪ねて来たのか?」


 バル様が足早にやってきて、桃子は逞しい腕に回収される。いつもと変わりない無表情に見えるけど、ちゅっちゅっと両頬に口づけられてわかった。表に出てないだけで実はすんごくお疲れなんだね! 右手にプレゼントを入れた袋を抱えてるから、左手でバル様のスベスベほっぺをなでなでしておく。化粧品要らずの綺麗なお肌ですね!


「モモ……」


 黒曜石のように美しい瞳が伏せられて、抱きしめられる。吐息のような声で名前を呼ばれる。背中がざわつく美声は疲れのためか深いため息を帯びて色濃い艶が見える。はぅっ、バル様の美声で心臓が速くなっちゃう。ドキドキして顔が熱くなってきた。団扇でパタパタしたい!


「ずるいですよ、団長! 私にも抱っこさせてください!」


「……断る」


「断らないでください!」


 キルマがずかずかと近づいてきて、両手を差し出す。けれど、バル様はふいっと顔を逸らして拒否した。珍しい様子に、二人のお疲れ具合を察せられる。後ろをちらっと振り返ると、カイが苦笑していた。さっき言い淀んでいた理由がわかったね。


「お疲れなんだね。じゃあ、私がおまじないしてあげるよ。──疲れたの疲れたの飛んでけーっ!」


「……あぁ、本当に飛んでいきそうだ」


 痛いの痛いの飛んでいけっていうおまじないを、桃子風にアレンジしてみる。ほっぺをなでなでしながら窓に向けて投げる仕草をすると、バル様がうっすらと笑った。極上の微笑みはまさに眼福! 大好きな人に笑ってもらえると嬉しくなるよねぇ。


「モモ、ぜひ私にもお願いします!」


「キルマもお疲れ様。疲れたの疲れたの飛んでけーっ!」


 美しいお顔を寄せてくれたキルマのほっぺもなでなでして、同じように窓に投げる振りをする。キルマの美麗なお顔が嬉しそうに笑む。少しは効果ありそう? 癒し効果的なもの出てる?


「……気持ち悪っ」


 辛辣な言葉を吐き捨てたのは、バル様の執務机から両手を離した団員さんだった。その態度で思い出す。以前、隊長さん達と顔合わせをした時に、キルマが叱ってた相手だ。元の世界でも居そうなお名前だったはずだけど、なんだっけ? トー……なんとかさん。トーム? トーガ? トージ? 名前が思い出せないよぅ。


「トーマ!」


「あ、それだね!」


 桃子は思わずキルマに大きく頷く。正解がわかってすっきりする。そうそう、そんな名前だったよ! 人の名前を覚えるのは苦手だけど、こっちの方が覚えやすかったはずなのにねぇ。覚えやす過ぎて逆に忘れちゃったパターンですな。うむうむ。カタカナの名前ってどうしても耳を素通りしやすい気がする。


 バル様も周囲が日常的に呼んでくれてるから耳に馴染んで、バルクライ様って覚えられたけど、最初の一回で覚えるのは無理だったもん。あっ、じゃあ、漢字を当てはめて覚えればどうかな? バル様なら、漢字を当てると、葉琉(バル)様とかかな? おおー、さすがバル様! 漢字になっても格好いい! そんなことを考えていたら、トーマさんにじとっと見られた。


「チビ、お前今オレの名前忘れてただろ?」


「……ごめんなさい?」

「トーマ・ナビンだ。今度は忘れるなよ。」


「トーマさんだね、今度は忘れない、と思う」


「おい、自信ねぇのかよ」


「口の悪さを改めなさい、トーマ! あなた、モモのことを責められる立場だとでも思っているのですか。モモも彼にさんなんてつける必要はまったくありませんよ。上官に気持ち悪いなんていうような子に育ってはいけませんからね」


「無口で何考えてんのかわかんねぇ団長と、口調だけはやたらと丁寧なくせに実は腹黒の副団長がこんな子供にデレデレしてるんだぜ? そりゃ気持ち悪ぃって言いたくもなるだろ。仮にも上官なのにそんなザマでいいのかよ?」


「お黙りなさい。まったく減らず口ばかり上手くなって。あなたこそ、自分の部下をその口で丸め込んでみなさい」


「……っ」


 キルマの鋭い反論に初めてトーマが黙り込んだ。トーマは部下の人ともめてるの? 桃子はおろおろと二人の口論に合わせて顔を動かす。その動きを止めさせたのは背後のバル様だった。


「先程の決定は覆さない。害獣討伐は個人で行うものではないだろう? お前が強くとも2番隊隊長として団員をまとめられないのなら任務に参加させるわけにはいかない。2番隊は今回の討伐任務は本部にて待機を命じる。オレがそう命じる意味をよく考えろ」


「……くそっ! 従えばいいんだろ!!」


「腐るなよ、トーマ」


「うるせぇ女タラシ!」


 落ち着いた声で断じるバル様を、トーマが舌打ちして睨む。抱っこされてる桃子も睨まれた気がしてプルッと震えた。よほど害獣討伐に参加出来ないことが悔しいのだろう。肩を怒らせたトーマは、宥めるように声をかけたカイにさえ怒鳴り返して、レリーナさんの横を通り抜けて廊下に出て行く。バンッと荒々しく閉まった扉に、キルマが苦り切った顔で片耳を押さえる。


「まったく、やはり彼に隊長職は早すぎたのではないですか?」


「それは言いっこなしだぜ、キルマ。2番隊の元隊長が認めちまってるんだ。本人が辞さない限りはトーマが隊長だ。そして、奴は絶対に自分から辞めることはないね。負けず嫌いだからな」


「トーマは本部の隊長の中で一番若いせいか、血気盛んだ。しかし今のあいつは部下を纏めきれていない。本部で待機と聞けば部下から不満が噴出するのは避けられまい。それを隊長として纏めることが出来るか否かが、あいつが真に隊長として相応しいか否かの判断基準となるだろう」


「出来なければ、団長はトーマを隊長から下すつもりで?」


「それも止むを得ん。トーマが隊長として起って1年になるが、大多数の団員が未だに元隊長を慕い、現隊長の指示には頑として従わない態度を取っている。同じ部隊内で反発しているようでは、害獣討伐に出しても自滅するのが落ちだろう。オレは部下を無駄死にさせる気はない」


 バル様の厳しい姿勢には強い意思が伺えた。これが信念と呼ぶものなのかなぁ? 桃子は無表情でありながら、びっくりするほど整った美形なお顔を見上げた。その無表情の中に、部下を無駄死にさせまいとする決意や、感情に流されず冷静であれと自分に課しているバル様自身が見えた気がした。


「バル様はトーマに隊長として乗り越えてほしいんだね?」


「協調性には欠けるが、戦いの技量は同期の中では随一だろう。こんなところで潰すには惜しい」

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