97、バルクライ、部下と飲み交わす

* * * * * *


 慣れない魔法訓練に疲れたことと、夕食を食べて腹が満たされたせいか。ミラから手紙を貰ったのだと楽しそうに話していたモモが次第に目を擦り始めた。眠いのを我慢しているのだろう。目を細めてパチパチと瞬きを繰り返している。


「限界のようだな」


「まだ、だいじょぶ」


 モモはそう答えるが、言葉が舌っ足らずでふわついている。バルクライはソファから幼女を抱き上げて、自分の膝に乗せる。トントンと背中を叩いてあやしてやれば、大きな黒い目が眠気にとろんと溶けてくる。胸が温かな熱を持ち、穏やかな心地だ。


 このまま寝てしまうかと思えば、途中で我に返ったように不満そうな顔をして、ぐりぐりとバルクライの肩に額を擦りつけてくる。よほど眠りたくないらしい。……猫のようだな。


「お姫様はおねむかい? 無理しないで寝ておいで」


「みんな、いる……」


「気持ちはとても嬉しいですが、子供は夜更かしするものではありませんよ」


「もっ……と……」


 小さく囁きかけられてさらに眠気に誘われたのか、モモの瞳が瞼に隠れていき、間を置かずに、胸元にことんと小さな頭が寄りかかってきた。顔を覗けば、スヤスヤと気持ちよさそうに眠っていた。小さな口が少し開いていて愛嬌がある。


「寝室に寝かせてくる。待っていてくれ」


 バルクライは二人にそう言い置いて、応接間を出た。光の精霊の力で廊下は明るい。起こさないようにゆっくりと歩いていれば、レリーナが早足で近づいてくる。


「よろしければ、私がモモ様をベッドまでお連れいたしましょうか?」


「いや、オレが連れて行く。代わりに、三人分のコップと軽いツマミを用意してくれ」


「えぇ、わかりました。すぐにお持ちいたします」


 レリーナの一礼を受けながら、バルクライは階段に足をかけた。昼間、モモから話を聞いたバルクライは、その訴えを汲んで彼女には注意をするだけに留めた。実際こちらにも非があるのだ。レリーナとロンにはモモが加護持ちであることは伝えているが、異世界から来たことは教えていない。


 それは、情報の広がりを抑えるためであったが、今回はそれが裏目に出てしまったようだ。請負屋は子供でも働ける場所だ。モモの場合は例外だが、加護持ちは届け出さえしなければ普通の子供と傍目にはわからない。つまり、本来ならば働くことに支障はなかったはずなのだ。


 しかし、言い訳一つせずに頭を下げたレリーナは、やはりモモに対する忠誠心が強いことが見て取れた。幼女が来てから、屋敷の使用人達も以前より生き生きと働いていると、ロンに報告を受けていたが、落ち着いた物腰のレリーナの変化は中でも著しいものがあったようだ。……素直な性格が、心を掴んだのか。


「それがお前の武器だ」


 自室の扉を片手で開くと、バルクライはモモをそっとベッドに横たえた。シーツをかけてやりながらしばし見つめる。無邪気な寝顔は何も知らないまま、穏やかな眠りの中もいるようだ。神をも惹き付ける魅力は周囲の人間にも影響している。しかし、それを本人だけが自覚していない。大人の顔色を伺うことには長けても、好意を向けられると戸惑うことが多いようだ。


 その意味を考えると、うっすらと、泥水を飲んだような不快な気分になる。モモが元の世界でどういう育てられ方をしたのか、想像が出来るからだ。だから、バルクライは思う。元の世界で甘えが許されない環境だったのなら、この世界で存分にバルクライに甘えればいいのだ。それこそ、本当に傍を離れられなくなるほどに。バルクライは口端で笑むと、まろやかな額に口づけを落として、寝室を出た。


 下に降りる前に書庫に寄り、二人に振舞う酒びんを棚から取る。【嘘吐きな蜜バ・ブルガ】と呼ばれる上等な蒸留酒だ。濃厚な果物の香りと蜂蜜を使っているのに甘ったるさはなく、舌を痺れさせるスパイシーな口触りが魅力の酒である。酒は嗜む程度のバルクライが、気が向いた時に好んで飲むくらいは気に入っている。これなら酒飲みのカイも満足するだろう。


 蜂とリンガの描かれた酒びんを腕に抱いて一階に戻れば、すでにレリーナは仕事を終わらせていたようだった。


「おっ、いい物を持ってきましたね! オレその酒にお目にかかるのは久しぶりですよ」


「どんな物なのです?」


「キルマは自分で買うほど飲まないから知らないか。結構稀少な酒でな、コップ1杯で銀貨2枚もするんだぜ?」


「えぇっ!? そんなにお高いんですか? というか、あなたそんなのよく飲みますね」


「いやいや、オレも飲んだのは1回だけだって。ディーと飲みに行った時に一番高い酒を飲んでみようって話になってね。店の親父に言ったら、これが出て来たんだよ。値段聞いて目玉が飛び出るかと思ったけどな。まぁ、それだけ美味かったぜ」


「翌日に残らない、いい酒だ」


 バルクライはソファに座ると、三つのコップに惜しみなく酒を注いだ。トプトプと音が鳴り、コップが満たされていく。三人はコップを手に取ると、軽く前に掲げた。


「ルーガ騎士団に」


 バルクライがそう言えば、二人も軽くコップを掲げて頷き、ゆっくりと酒を傾けた。バルクライも喉を潤す。スパイシーな味わいがやはり美味い。感嘆のため息を吐き、キルマがコップを見つめる。


「香りに騙されました。甘いのかと思っていたら、とても飲みやすいですね」


「だろ? とうとうキルマも酒のみに鞍替えか?」


「気にいったようだな」


「えぇ、酒のみになる気はありませんが、大事に飲ませてもらいますよ。さて、ついでに軽く仕事のご報告もしておきましょうか」


「頼む。こちらは明日から2週間、索敵部隊を害獣討伐に備えての周辺調査に向かわせる。部隊編成は4番、7番、8番部隊。主に森と遺跡周辺の調査、並びに人の行き来が多い街道や他国との国境付近まで回る予定だ。──6番隊に任せた街の調査はどうなっている?」


「キオリア隊長から、二、三、不審な話を聞いたと報告を受けました。父親と息子、夫婦、飲み仲間、といった親しい関係の者達が言い争いの末に激昂して相手を殴り殺してしまった事件がここ一月の間に起こっているようです。不思議なのは、捕まった後に自分がなぜ相手を殺してしまうほど激昂したのかが分からないと、口を揃えて言っていることですよ」


「だけど、それだけで不審と判断するのは難しくないか? 偶然重なった可能性もあるだろ」


「えぇ。ですから尋問担当者に直接話を聞いてみました。すると、どうも不自然な点がありまして……親子、飲み仲間はともかくとして、普通、妻が夫を撲殺出来ると思いますか? しかも、加害者は全員拳を壊すほど相手を殴っているんですよ?」


「大の男が女性に殴り殺されたってのか……」


 カイが絶句した。さすがにこれは予想外だ。妻が拳を壊すほど夫を殴るとは、尋常ではない。バルクライは顎に手をやりながら考える。誰の頭にも、一つの可能性が浮かんでいるはずだ。


「何者かが作為的に加害者の怒りを増強した。そう考えれば、正気に返った後、加害者はどうして自分がそこまで激昂したのかがわからないと答えた理由に説明がつく。本来ならば荒唐無稽な推理だが、モモから軍神ガデスの忠告を受けたからな」


「やはり、団長もそうお考えなのですね。私もそれが妥当だと思います。この事件には人外の力を持った者が関わっている可能性が高いかと。しかし、街で騒動を起こした目的がわかりません。そんなことをしてなんの意味があるのでしょうか?」


「オレ達かモモに注目させたかったんじゃないの? 自分はいつでもお前達を操れるぞってメッセージ。それか、根性がひん曲がってて、目的なんてものはなくその状況を楽しんでいるのかもしれないぜ」


「ぞっとしませんね」


「6番隊には、引き続き街の調査と巡回に当たるように指示するつもりだ。これは索敵部隊が戻るまでの期間とする。今回の件、けして軽視するべきではない」


 ほの暗い嗤い声が耳を掠めた気がした。夢にさえ介入出来る敵がモモを狙っている。幼女の穏やかな寝顔を思い出して、バルクライは腕を組んだ。

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