91、モモ、初めての依頼を達成する~幼児の時の痛みは大きくなってからより強いの?~後編
「うぐっ……我慢……っ」
桃子の中で五歳児がボロボロ泣いている。けど、十六歳は転んだくらいで泣かないんです! 涙が滲んだ目元を手の甲で乱暴に擦っていると、頭に何かが乗っけられた。
「派手にコケてたなぁ、嬢ちゃん。大丈夫か?」
顔を上げると、ぼさ髪と無精ひげの男の人、ルイスさんが腰を曲げて桃子を見下ろしていた。
「ルイスしゃん……」
「両膝から血が出てる。痛かったよなぁ。それなのに、泣くのを我慢するなんて、頑張ったな」
さん、を思いっきり噛んじゃったけど、ルイスさんは気にしてないのか、大きな手でよしよしと撫でてくれる。そのまま慣れた仕草で抱き上げられて、桃子が反射で胸元にしがみ付くと、のしのしと歩き出す。
「ここからなら飯屋の方が近いか。傷に菌が入るといけないからな、ちょっと待ってろよ。おいちゃんが手当てしてやるよ」
傷に触らないように片腕に抱えられて桃子は移動する。よれっとした格好をしてるけど、ルイスさんは意外と筋肉質でがっしりしてるみたい。着やせするタイプと見た! 桃子を片腕で抱えてるのに平然と歩いてるもん。
予想外なことにびっくりした弾みで出かけていた涙も止まっちゃったよ。でも、ギルから依頼書を取り戻すことは出来なかったんだよね。頑張って働いたのに……。プレゼントをようやく選べるとわくわくしていた心がしょんぼりした。これは落ち込むよ。
ルイスさんは二階建ての木造の大きな建物に、膝抱っこのまま入っていく。桃子達に視線が飛ばされる。驚きの目が無数向けられている。おじさんと幼女の組み合わせって変?
奥の席でお酒が注がれたジョッキを掲げた男の人が陽気に声をかけてくる。
「おぉ、ルイスじゃねぇか! 子供連れたぁ、珍しい。どこから攫って来たんだ?」
「馬鹿言うな。オレが人攫いなんてするか。人助けだ、人助け」
「野暮ったい恰好の男とちんまい女の子じゃ、どう見ても人攫いにしか見えんわな」
「ぶあっはははっ、違ぇねぇわ!」
「適当なこと抜かしてるなよ。この酔っ払いども。教育に悪いから、いい子はこっちを向いて座ろうな」
大きな丸テーブルを囲むように座る屈強な男達だ。豪快に食事をしているようだ。話ながらも身の丈にあった大きな口を開けて、骨付き肉に被りついている。おぉー、いい食べっぷりだね。桃子の口にはとても入りそうにない大きさの肉が一瞬で消えていく。大食い大会があったら優勝候補にノミネートされそう!
膝の痛みも一瞬忘れるほどマジックのような光景に見入っていたら、ルイスさんに壁側の隅に桃子を座らせてくれた。後ろでだみ声の笑い声が上がっているけど、見えないのがちょっと惜しい。楽しそうな人達だったけど、駄目なの?
ルイスさんは店員のお兄さんに声をかける。
「兄ちゃん、水とタオル、それから傷薬とガーゼと包帯を頼めるか? この子が転んじまったもんだから、傷口の手当てをしてやりたくてな」
「すぐ持ってきます」
慌てて走っていく店員さんを気にしていると、ルイスさんが安心させるように緩く笑いかけて来た。
「元気がないな? そう言えばどうして一人であんなとこにいたんだ? なにか事情があるなら、おいちゃんに話してごらん」
「でも、迷惑かけちゃう」
「いいじゃないか。人間ってのは少なからず、お互いに迷惑をかけ合いながら生きてるもんだぞ。一人で全部を完璧にこなせる人間なんていやしないさ。小さなうちはな、周囲を頼って生きればいい。大きくなったら助けてくれた人を今度は助けてやれるようになればいい。なんて、ちょっと説教臭かったか?」
「……ううん。優しい言葉だと思う」
「ははっ、そうか。それじゃあ、おいちゃんにぜひ迷惑をかけてくれ。訳を教えてくれるな?」
「うん。あのね、ギルって子と一緒の場所で依頼を受けていたの。今日が最後の日だったんだけど、サインをもらった依頼書をその子に取られちゃって」
「ははぁ、その子を追いかけていたのか。相手の子はいくつだ?」
「十歳の孤児院の子なの。返して欲しいけど、もう捨てられちゃったかも……」
「なるほどなぁ。依頼料はいくらだったんだ?」
「銀貨2枚」
「それなら、おいちゃんが代わりに払おう。ギルって子には請負屋に知らせて、おいちゃんからも話をしておく。なぁに、悪いようにはしないさ」
ルイスさんの言う通り、請負屋さんには知らせるべきなんだとは思う。だけど、十歳のギルだけを悪者にしてお金を受け取るのは、なんか違うよね。
桃子は俯いていた顔を上げて、ルイスさんの顔を見上げる。
「……ううん。請負屋さんには知らせないで。確かに悪いことをしたのはギルだけど、私も気に障ることをしちゃったの。それに自分でちゃんと解決出来るように頑張りたいから、お金はいらないよ」
「本当にいい子だなぁ。よし、おいちゃんはその心意気を買おう! それでも、もし自分だけじゃ無理だと思ったら、いつでも言いにおいで」
「うん! ありがとう、おいちゃん」
呼び方にちょっと照れが出ちゃった。でも、そう呼んだらルイスさんが口端を上げる。琥珀の目が和むととっても優しい顔になるね。
「店にあるのを持って来ましたけど、これで足ります?」
「ありがとよ。さぁ、まずは手から見ような」
店員さんが清潔そうな白いタオルと水と救急セット一式を持ってきてくれた。ルイスさんはそれをテーブルに置くと、桃子の前でしゃがんで転んだ時にとっさについた両手をじっくりと見ていく。手の平が赤くなってるだけで、こっちは大したことはない。ルイスさんもそれがわかったのか、しぼったタオルで軽く両手を拭いてくれた。
「こっちは良さそうだ。次が本番だな。傷口を洗わなきゃいけないから、沁みるぞ、用意はいいか?」
「ん…………ひゃぐぅっ!!」
こっくり頷いたら、そろりと濡れタオルが右膝に触れた。激痛が奔り、桃子は悲鳴を上げる。続いて左ひざも拭われる。口を必死に引き結んで両手を握って必死に耐えても、涙がボロボロと出ちゃう。ふうぅぅ、痛いぃ! 拭われて、膝を綺麗にすると、血がにじんでくる。我慢我慢我慢んんっ!!
「……こんなもんだな。さて、傷口は綺麗になった。モモちゃん、今からすることは誰にも内緒だぞ?」
そう言うとルイスさんは人目がないことを確認して桃子の膝に右手を翳した。なにをしてるのかな? 桃子はじんじん痛む膝をまじまじと見下ろす。
「光の精霊よ、助力をこう」
ルイスさんが雨が大地にしみ込むような声で呟いた。その瞬間、どこからか微かな白い光が集まり、桃子の膝に暖かな熱が降り注ぐ。すごいキラキラしてるよ! それが消えていくと、膝の怪我がさっきよりずっと小さくなっていた。元の傷の3分の1くらいだ。
「おいちゃんは魔法使いだったの?」
「ははっ、治癒魔法をほんの少しだけ使えるのさ。だが、このことはおいちゃんとモモちゃんだけの秘密にしてくれ。教会に目をつけられるのもやっかいだからな」
「うん、誰にも言わないよ! 治してくれてありがとう」
「今度は転ばないようにな」
ほとんど治ったけど、ダミーのためにも傷薬とガーゼと包帯を巻いてもらい、桃子はすっかりご機嫌になった。初めての治癒魔法を体験しちゃったよ! ぽかぽかして、とっても優しい力だねぇ。心を弾ませていると、入り口でバーンッと音がした。驚いて振り向けば、ぜぇぜぇと濁音の呼吸をしているレリーナさんが必死の形相で店内を見回していた。
「ありゃあ、モモちゃんの護衛か」
「うん。ギルを追いかける時に置いてきちゃったの」
「ご無事でしたか、モモ様! 心配したんですよ」
いろいろあったせいで忘れちゃってたけど、桃子の美人な護衛さんはずっと探してくれていたようだ。レリーナさんが真っすぐに突っ込んでくる。ルイスさんがさっと横に逃げると、桃子はしなやかな両手でふわっと抱きしめられた。はぅ、お胸が……って、そんなこと言ってる場合じゃなかった。
大きなお胸に埋まりかけた顔を上げてレリーナさんに謝る。
「ごめんなさい。勝手に追いかけちゃって」
「ご無事ならようございます。ギルはどうしましたか?」
「逃げられちゃった。でも、ちゃんとお話したいって思ってるの」
「私は反対です。あの様子では危険がないと言い切れません。請負屋に連絡してお任せしましょう。モモ様になにかあってはご主人様が悲しみますよ」
「お願い、レリーナさん! 解決する努力をさせてほしいの。ギルともう一度だけちゃんと話をさせて。もしそれでもどうにもならなかったら、その時はちゃんとギャルタスさんに言うから」
「……わかりました。無理な時は請負屋に任せる。約束ですよ?」
「はいっ」
びしっと返事を返すと、レリーナさんがようやく小さな笑みを浮かべてくれた。それだけ心配かけちゃったってことだよね。
「我儘言ってごめんね」
「いえ、私も差し出がましいことを申しました。しかし、わかってください。私はモモ様をけして傷つけたくはないのです。怪我をされては心が痛みます」
レリーナさんの抱擁からは解放されたと思えば、包帯の巻かれた両足に痛ましげな視線が向けられる。大げさだから骨折でもしてそうに見えるけど、ちょっぴり傷があるだけだからね。なんちゃって大けがに見えちゃうね。
「大丈夫! ルイスさんが治療してくれたからそんなに痛くないよ」
「モモ様がお世話になりました。ありがとうございます」
「いやいや。こんな美人にお礼を言われるなんておいちゃんからすれば役得だよ。小さい子は衝動的に動きやすいからな。よく見てやんな」
「えぇ。ではエマさんとリジーに改めてご挨拶に行きましょうか。二人共心配しているでしょうからね」
桃子は深く頷いて椅子から降りた。目標はギルを捕まえて話をすること! だけど、その前に今はお店に戻らないとね。
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